ヨークシンシティ郊外、リンゴーン国際空港。
中央エントランス、最上階。
ここには、数少ない私用艇の中でも、さらに限られた船しか停泊の許されない飛行場がある。
その利用客達の待ち合い室として使用されているのが――プラチナスターラウンジ。
政府の重役や、世界に名だたる大富豪、各界の著名人が集まるその一角は、空港内でも特に高度なセキュリティに守られている。
警備は昼夜問わず厳重そのもの。一般の搭乗客は、近づくことさえかなわない。
そんな空間に、私は今……足を踏み入れようとしていた。
「一応、管制塔とのやり取りで、空港とラウンジの利用は認めて貰えたんだけど……後は、受付でこのカードを見せれば、中に入れて貰えるはず……なんだけどなあ」
大丈夫かな。
不安いっぱいで、飛行艇のタラップを降りていく。
でも、その時だ。
一台のリムジンが、こちらに向かって近づいてくるのが見えた。飛行艇の周りをぐるりと一周し、タラップの降り口にピタリと停止する。
ドアが開き、まるで執事のような出で立ちの初老の男性が一人。後部席を開けて、深々と頭を下げた。
「ポー様。ようこそお越しくださいました。本日は、当空港をご利用頂きまして誠にありがとうございます。わたくしは、プラチナスターラウンジコンシェルジュの――」
「……!?」
な。
なんか凄いお迎え来た――!!
何!?
何なの!?
何これ、前にイルミと来たときは、こんなお迎えなかったのに!!
べ、別料金とか取られたらどうしよう……!!
ワタワタ、内心で慌てふためく私に、一連の挨拶を終えたコンシェルジュのおじさんは人当たりの良い笑顔を浮かべた。
「さあ、お手を。どうぞお車へ」
「は、……はい」
うわあ……これが世にも名高いエスコートというやつか!
もう無理だよ!!差しのべられたこの手をどう取ったらいいの……!?
うう、今すぐにでもキキョウさんに電話して聞きたいよ。
リアルタイムでレクチャーして欲しいよ!!
じわりと眦に涙が滲んだとき、私の視界に――広々とした空港の片隅に、見慣れた飛行艇のフォルムが映った。
イルミの船だ!!
周りの様子だと離陸準備もまだのようだし、彼はまだヨークシンにいるらしい。
入れ違いにならなくて良かった!
「……よし。ここまで来ちゃったらもう、後には引けないもんね!」
よっしゃあ!と(内心で)気合いを入れ直した私は、顔を上げてコンシェルジュのおじさんに向き直った。
「ラウンジまで案内をお願いします。人を待ちたいのですが、お手伝いをお願いできますか?」
***
「では、メンバーズパスポートをお預かりさせて頂きます」
「はい」
おじさんにエスコートされつつ、いかにも高そうな絨毯の上を進んできた私。
ラウンジの入り口で、イルミから預かっているカードを手渡した。
硝子作りの自動ドアは、中の様子がわからないようにスモークが貼られていて真っ黒だ。
左右にスーツ姿のガードマンが二人。
扉の左側にある受付には、綺麗なお姉さんが背筋をぴんと伸ばして座っている。
綺麗に巻かれたシルクのスカーフに、明るみがかった紫の制服がとても上品だと思った。
帽子と、胸のところに銀色の星のついた紋章をつけている。
おなじものが、入り口の扉の上にもある。
きっと、これがこのラウンジを示すマークなんだろう。
そんなことを思ううち、手続きをクリア出来たのか、音も立てずに硝子の扉が開いた。
「ようこそ、お越しくださいました。ポー様。どうぞラウンジへ」
「あ、ありがとうございます」
おお。
おおお、やった!!
第一段階クリアー!!
妙に沈黙が長かったんだもん。
ここまで来てダメですとか言われた日には、ここにいる全員を速やかに眠らせた上で従業員カードを拝借、鍵を解除……おっと、その前に監視カメラをなんとかしなきゃ、とか。
ちょっと危ないことまで考えてしまった。
ははは、とこっそり苦笑いしたとき。
ラウンジ中央に置かれたあるものに、私の目は釘付けになった。
「クリスマスツリー!」
ええ、とコンシェルジュのおじさんが足を止めて振り向く。
「見事でしょう。毎年、この時期にだけ飾られているのです。このツリーに使われているもみの木は、ヨルビアン大陸パドキア共和国から取り寄せた一級品ですよ」
「へえ~」
うわあ、よりにもよって超地元じゃないか。
「そう言えば、最近妙に枝葉がついたままの木材の出荷量が多いと思ってたんだよね。そうか、パドキア共和国は良質な材木の輸出国としても有名だけど、こういう市場も支えてるんだなぁ」
聞けば、ツリーにかけられている飾りも全て、職人たちによって一つずつ手作りで作られているんだとか。
地元産のもみの木が、こんな高級ラウンジにクリスマスツリーとして飾られているだなんて、なんだか鼻が高い。
よし、そうと分かったら輸送船が海洋生物に襲われたりしないように、しっかり護送しないとね!
「そうだ!もみの木なんて、うちの庭にいくらでも生えてるもん。もうすぐクリスマスだし、帰ったら一本切らせてもらってツリーにしようっと!」
「うちの庭に……?」
はっと気づけばポカンとした顔のコンシェルジュさんが。
おおっとお、しまった……!!
「え、ええと……私の家ってとっても山奥にあるものですから――田舎者ですみません」
「いえいえ!とんでもございません。最近は、山間にある古城を買い取り、別荘になさる方も多うございますから」
山間にあるどころか、山そのものが家なんですけどね。
心に浮かんだ、そんな呟きには気づかないふりで、私はおじさんにエスコートされるままツリーを行きすぎ、窓際にある二人がけのテーブル席へと案内された。
「すごい、天井まで続くガラス窓なんて、空港のロビーみたいですね」
「こちらからは、下階の飛行場を一望して頂けます。当ラウンジ自慢の夜景です。お時間を忘れて楽しんでいただけるかと。お連れ様のご到着まで、今しばらくお待ちくださいませ」
「はい。色々とすみません――あの!」
「はい?」
「あの……実は私、一人でこんな場所に来るのははじめてで――とても助かりました」
ありがとうございました。
軽く頭を下げる。
たったそれだけだったのだけど、再び顔を上げた時、コンシェルジュのおじさんはとても嬉しそうな顔をしていた。
深々と一礼し、立ち去っていく。
うん、良い人に会えて良かった。
一人になった私は、ウェイターさんが運んできてくれたお水を飲みつつ、窓の外に広がる夜景をぼんやりと眺めた。
夜ももう遅い時間だ。
観光客用の遊覧船は姿を消して、飛行場には小型のプライベート機や、高速飛行艇の姿が目立つ。
艇は、巨大な硝子を振動させながら、すれすれを滑空してゆく。
赤く点滅を繰り返す尾翼灯が、ツリーのオーナメントに反射して、無数の光の粒となり輝いた。
「前から思ってたけど、空港の滑走路ってクリスマスのイルミネーションみたいだよね。ツリーもあることだし、ムード満点なのに」
なのに、イルミがいない。
それだけで、どうしてか全てのものが心に留まらず、すり抜けていく。
以前、イルミとゾルディック家を飛び出した時。
二人で、ヨークシンの街の夜景を眺めたことがあった。
あのとき、イルミは言っていた。
私と一緒に見れてよかった。
自分一人だったら、なにも感じなかっただろうから、って。
ああ、私も同じなんだと思う。
ここにイルミがいてくれたら。
この景色を、この時間を。
私は一生忘れない。
「イルミ、遅いな」
クラッチバックの中から携帯を取り出す。
期待はしていなかったけれど、イルミからはメールも着信もなかった。
彼と電話をした時点から、もう五時間以上も経っている。
「怪我……なんて、してないといいんだけど」
なにかあったのだろうか?
考えたくもない想像が勝手に膨らんでしまいそうで、頭を振って、切り離そうとした。
カチャン。
堅い音がしたのは同時で、見れば、髪留めの一つが床に落ちていた。
席を立ち、拾い上げようとした手の平に別の手が重なる。
「イルミ!?」
「ブー。はずれ☆」
久しぶりだねぇ、と髪留めを手にその人は長身を起こした。
「え……っ?」
臙脂色のスーツに、黒のストライプシャツ。
ネクタイも同じ黒で――そこに、縦に並んだトランプ模様さえ認めなかったら、私はこの人が誰であるかも分からなかっただろう。
切れ長の目にかかった緋色の髪をかき上げれば、ラウンジ中の女性からたちまち黄色い歓声が飛ぶ。
実にエレガントな仕草で、拾った髪留めを私の右耳の上へ戻した美青年は、茶目っ気たっぷりにぺろりと舌を出した。
「面白そうだから、来ちゃった☆」
「来ちゃった☆じゃないでしょ。ヒソカさん!!」
なんでいるんですか――!!
と、本当ならば怒鳴りつけてやりたい。
こんなキランキランな場所でさえなければね!!
あの妙ちくりんなピエロメークさえしていなければ、こんなリッチでゴージャスな場所にも溶け込めるのだから恐れ入る。
立ちっぱなしの私を慣れた仕草で席に座らせ、ちゃっかり自分も座って、ヒソカは近づいてきたウェイターさんにコーヒーを注文した。
「キミは?」
「お、お水でいいです」
「奢るよ☆」
「本当ですか!?やったあ!!このラウンジで一番豪華なケーキとコーヒー、アイスクリームとついでにパフェも!!」
「相変わらず、よく食べるねぇ」
クックックッ☆
どこか懐かしい笑い声が終わらないうちに、テーブルには注文通りの品が所狭しと並べられていた。
さすが超高給ラウンジ、仕事が早い。
メニューもなにもないから値段なんて分からないけど、ヒソカさんの驕りだからいいんだもんねー。
こうなったら破産するくらい食べてやる!
我ながら素晴らしい速度でプラチナスターラウンジ特性ケーキを頬張る私を眺めながら、ヒソカさんは長い足を組み、余裕しゃくしゃくの表情でコーヒーを口に運んだ。
出されたケーキはマロン・ド・ショコラ。
高級ブランデー漬けのマロニエはともかく、チョコレートクリームに金箔やプラチナ箔をふりかける意味はあるのだろうかという疑問はさておいて――
「それで、なんで来たりしたんですか?ヒソカさんもお仕事終わりでしょ。私なんかに構わず、ゆっくりすればいいのに」
「いけないかい?だって、本当に久しぶりだろう。キミから電話が来た時、ボクは正直に嬉しかったんだよ?」
「本当ですかあ~?」
「勿論。やっとイルミを捨てて、ボクのところに来てくれる日が来たんだって☆」
ぶは!
「ないですから、それは!!」
「ポー、レディは口からクリームなんて飛ばさないの★」
キュ、とナプキンで口元を拭き取り。
「ポー」
「なんで――」
気がつけば、思いもよらないほど近くにヒソカの顔があった。
「なななななんですか、その目は!?急に至近距離から真面目な顔で覗きこまないで下さいよ!」
「クックックッ☆驚いたよ。実は、随分前からキミのことを待ってきたんだけど、気がつかなかった。まさかキミがそんな格好をしてくるなんてねぇ」
「ああ。これは、キキョウさん――イルミのお母さんに話したら、みっともない格好で行かせられるかって、意気込まれちゃって。念の力で髪の毛も伸ばしちゃいました。でも、なんだか自分では大人っぽすぎて恥ずかしいんです。24にもなって、大人っぽいなんてセリフはおかしいかもしれませんけど」
「とっても素敵だよ☆そのドレスも宝石も、今のキミにはよく合ってる。でも、イルミはそういうのには無頓着だから、それが彼のためなんだとしたら勿体無いなあ★」
「えっ?」
「イルミは基本的に、女性には興味を持たないからね」
「そうなんですか!?私、いつもイルミといますけど、そんなことはないと思いますよ?」
むしろ興味がありすぎて困るくらいですよ!?
身を乗り出して力説する私にヒソカはことさらに楽しそうに笑った。
「それはキミだからさ☆その格好で彼に会ってごらん。彼はきっと見向きもしないよ」
「そっ!?そんなことないですよ。このドレスも髪も、イルミの好みを一生懸命考えながら、キキョウさんと選んだんですから」
着つけたのはほぼキキョウさんだけど、わ、私だって着せ替えされながら口だけは一丁前に挟んでたもん!
だからこそ、赤やピンクのくす玉にはされなかったわけだし。
言わば二人の合作なわけ!
「絶対に気に入ってくれます!無視なんかされませんもん」
「クックックッ☆大した自信だねぇ。それじゃ、ひとつ賭けをしよう」
「賭け?」
「そう。もしキミがイルミに見向きもされなかったら、今夜は――ボクと一緒に過ごしてくれるかい?」
「ええ!?」
「なんだ、自信があるんじゃないのかい?ま、キミがイルミのことを疑ってるっていうんなら――」
「いいですよ!賭けましょう!!」
うわあ、しまった乗せられた!
思ったときにはもう遅い。
どこからともなく取り出したトランプの束をアコーディオンみたいにシャッフルしながら、ヒソカはお腹を抱えて笑っている。
「決まりだね☆うう~ん、楽しいなあ。キミと二人で……なにをして遊ぼうか☆やっぱり、気になって来てみてよかったよ☆☆☆」
「何でもう勝った気でいるんですか!負けませんよ。そうだ!私が勝ったら、なんでも好きなもの買ってもらいますからね。クリスマスプレゼントに!!」
「いいよいいよ☆何でも言ってごらん☆」
「オーダーメイドのニミッツ級空母!」
「……常識の範囲で、何でも言ってごらん☆」
「無理なんじゃないですか」
ムスッと悪態づいたときだ。
ラウンジのドアが開いて、ダークグレイのスーツ姿の男性が一人。スッと、滑るような身のこなしで現れた。
イルミだ!
髪も短いし、銀髪だし、縁の無い細身の眼鏡もかけてるけど、間違いない。
「イル――むぐっ!?」
「おっと、名前を呼ぶのは反則★それだと勝負にならないだろう?あくまで、女性としての魅力で彼を振り向かせなくちゃあ」
「わ、わかりましたよぅ。行ってきます!」
な、なんだかやっぱり手の平の上で踊らされてるような気がするけど――でも!
絶対、無視なんかされないもん。
イルミのために……イルミに会いに行くために、ドレスアップしたんだから!!
目にもの見せてやるヒソカさんめ!!
すっくと席を立ち上がり、私はさっそうとドレスの裾を翻して、イルミの元へと駆け寄った。