それは、八月のある夜のこと。
忙しい仕事の合間をぬって、私は久しぶりに実家……もとい、ゾルディック家に帰って来ていた。
夏場は海洋専門幻獣ハンターの稼ぎ時だから、この一ヶ月あまり、ろくに帰れていなかったんだよね。
だから、イルミと会うのもほんと久しぶりだ。
殺し屋である彼にとっても、バカンスシーズンである夏は、ターゲットも油断していて暗殺しやすい季節。
おかげで、休みをとっても急な依頼が突然舞い込んだりして、大変だ、とか、いいかげん疲れたよ、とか、彼にしては非常に珍しいくらいぐちめいていた。
ダメダメ。
人間、仕事のしすぎってよくないよね!
だから、今回はちょっと気分転換にと思って、おもしろい企画を用意してきたんだけど……。
イルミ、一緒に行ってもいいって言ってくれるかなあ……。
***
「夏祭り?」
「そう!明後日、ベントラの港町で災害復興のチャリティーと、町おこしを兼ねて開くの!うちの大学も全面支援してるから、明日から忙しくなるよ―!」
「ああ。そう言えば、高波で押し流された港町の復興を、ポーとポーの大学が支援してるんだったよね。ふーん。それで、ポーはこの週末はそっちにかかりきりになるから、俺とは過ごせないって言うんだ?」
「え?」
ゆったりと、リビングのソファにこしかけたイルミの猫目がスウッ、と糸のようにすがめられる。
隣に座って肩なんか抱かれながら、久々のイルミを満喫していた私は、前触れもなく吹き出した彼のオーラに震え上がった。
そ、そそそ、そんな怒らなくたっていいじゃない……!!?
「酷いなー。明後日は立て込む仕事を早く終わらせて、無理矢理とった休みなのに。ポーは俺よりも、町の復興の方が大事だって言うんだね。いいよ、祭でもなんでも行ってきなよ。その代わり、今夜は容赦しないからね。向こう三日はろくに立って歩けないくらい、たっぷり可愛がってあげる」
ひい!!
イ、イルミのエノキの丸いとこが、首筋をツツーっと這い上がってくるぅ……!
し、しかも、ご本人は眉ひとつ動かさないかわりに、オーラがドス紫にうねってウォンウォンしていらっしゃる………!!
怖い!!
怖いよ!!!
「ちち、ちょっと待ったーっ!!違うの、誤解しないで!!その夏祭りの催し物に、イルミも参加して手伝って欲しいの!そしたら、ずっと一緒にいられるし、休憩時間はお祭りを見て回れるでしょ?」
「え?」
ピク……!
顔面凍結鉄面皮。
しかし、雄弁な彼の前髪が、触覚のよーにわずかに動いた。
よし、いける……!
「ポーと、お祭り……」
「そう!お祭りっていいよー。ストレス発散になるし、皆で騒いで、美味しいもの食べて、お酒飲んだりして……今回の夏祭りは、うちの大学の学祭も兼ねてるから、変わった出店もたくさんあるし、きっと楽しいよ!」
ピクッ。
「夜には花火大会もあるし!」
ピクピクッ!
「可愛い浴衣も着るから!!」
ピーン!!
「……わかった。でも俺、そういう地元のお祭りって行ったことないから、手伝えなんて言われても、何していいか全然わかんないよ?」
「大丈夫!出し物はもう決まってるの。イルミには、私のゼミの出店を手伝ってもらうね!」
「決定なんだ。まあいいけど。で、どんな店を出すつもり?」
くりっと、首を傾げるイルミに、私はにんまり笑って紙面を突きつけた。
模造紙四枚分。
両手を一杯に伸ばして、やっと広げられるくらいの大きな設計図だ。
イルミはソファから身を起こし、しばらくの間、そこに書かれている文字やら構図をじいっと見つめていたけれど、ややあって、ぱっと顔を上げた。
「ポー。これ、本気?」
「本気も本気。校内でも満場一致の大本気企画!計画段階からすでに、今年の文化祭の目玉になってるんだから!!」
「うーん。まあ、確かに地元ならではってしろものだし、インパクトは充分すぎるし、出店としては申し分ないと思うけど……なんだか複雑な心境だな」
「でも、どんなテーマでやるかって話になったときに、真っ先に思い浮かんじゃったんだよねー。パドキア共和国、ベントラ地区っていったらもう、ここしかないでしょ?」
「うーん」
「なんだ、お前たち。見取り図なんか広げて何を唸ってる。潜入が困難な暗殺先でもあったのか?」
なんとも物騒なお言葉に顔を上げれば、シルバさん。
しかも、どうやら湯上がりのご様子!!
格好はいつもの胴着みたいなやつなんだけど、胸元から覗く上気した肌と、首にかけたタオル。
さらに、水気を含んでしっとりした銀の髪が、房になって額にタラリと落ちていて……セクシー!!!
シルバさん渋い!!エロくて渋いーーーーーっっ!!
「ポー」
ギリギリギリギリッ!
「痛い痛い痛い痛い痛い!!なんで頬っぺた摘まむの―!?」
「心の声が聞こえたから。違うんだよ、父さん。明後日にベントラの港で夏祭りやるんだって。これはその出店の設計図」
「ほう、どれどれ……“震撼!真夏の恐怖体験!!暗殺一家ゾルディック~流血の紅きククルーマウンテン~”――なんだこれは」
「おばけ屋敷です!」
「うちをモデルにするんだってさ。でもこれ、入り口から先はずっと森になってるよ?」
「いいの、いいの。木のカキワリを置いて、天井に暗幕張って、真っ暗にするんだ。ほら、夜の森ってそれだけで不気味じゃない?あとは、ミルキくんにミケのキグルミを頼んであるから、物陰に潜んで――」
ドスドスドスドスドス!!
「おーい、ポー姉!頼まれてたキグルミが出来たぜ!大きさとかこれで……って兄貴!?か、帰ってたのかよ!!」
噂をすればなんとやら。
足音荒く、巨大なミケのキグルミを担いでリビングに現れたのは、ミルキくんだった。
あはは。
ダクダクに汗かいてるのに、顔が真っ青だ。
「ミルキ。お前もポーの祭りに一枚かんでるんだね。普段は、俺が死ぬほど脅しても外になんか出ないくせに」
「いや……ち、ちょっとねー。たまには童心にかえるのも悪くないかなって――」
「メインステージで好きな戦隊もののショーがあるんだよね!生で見たいんだってさ!報酬はその特別席と、レンジャー達との記念撮影会!」
「バラすなよっ!!ぶっ殺されるだろ!!?」
「大丈夫だよ。明後日はミルキくんもお休みなんでしょ?仕事をサボってる訳じゃないんだから、別にいいじゃない」
ねえ、イルミ。と、見上げれば、仕方ないなあと言うように、軽いため息が降ってきた。
「……ま、それはそうだけど。それで、俺は何をすればいいの?」
「イルミは暗闇に隠れるのが得意でしょ?だから、脅かし役。はい、このリストから、好きな役を選んでね」
「わかった。ふーん。死体役なんてのもあるんだ」
「うん!お客さんは、総勢百人の血まみれ死体がごろごろ転がってる中を歩いていくの。この死体は、ゾルディック家に侵入しようとした賞金首たちの成れの果てでね、お客さんが通りすぎようとしたら、一斉に起き上がって、奇声を発しながらどこまでも追いかけ回すの!!」
「怖ぇよ!!てかもう、それ死体じゃないだろ!!?」
「しょうがないじゃない、おばけ屋敷なんだから!」
「ふむ。改めて考えてみると、おばけ屋敷とは便利なものだな。ターゲットを中におびき寄せ、暗殺し、死体をその場に転がしておいても気づかれない……」
「お仕事禁止!!お祭りなんだから、シルバさんも参加するなら、ちゃんとお休みとって下さいね!」
「その日はもとから休みだが……なんだ、俺も何かやっていいのか?」
「もっちろんですよ!うわあ、シルバさんが手伝って下さるなら、ますます迫力が出ますねー!」
「ややややめとけって!!親父が脅かすおばけ屋敷なんて、マジもんの死人が出る!!!」
「いいんじゃない?なんたって、うちをテーマにしたおばけ屋敷なんだから。どうせなら、中に入った人間は、一人残らず殺しておばけにしないとね」
「イルミ……?」
「冗談だよ」
さらっ、と無表情にイルミ。
そのうしろから、細く白い腕がすうっと伸びた。
「……っ!!?」
「おほほほほほほほほ!!入り口をくぐり、暗闇の中を歩いていくと、突然、絹を裂くような女の悲鳴……これにはわたくしが適任ね!!ねぇ、カルトちゃん?」
「はい、お母様」
「キ、キキョウさんにカルトちゃん!?ああー、びっくりした。いつの間に帰ってたんですか?」
「たった今です。ああ!なんだか、物騒で血生臭くて面白そうな計画書だこと……明後日はわたくしもカルトちゃんもお仕事はありませんし、参加しても構いませんわよねぇ!?」
キュイイイン……!!
「もちろん!キキョウさんの絶叫、期待してます!!」
「よし。じゃあ、俺にはこの、ターゲットの首筋めがけてコンニャクを投げつける役をやらせてくれ」
「父さんて、わりと地味なの好きだよね」
「了解です!ねえ、イルミは何にする?」
「そうだなー。俺は、これがいいかな」
トン、と指し示された先を見る。
「え……これって」
「ダメ?」
「ダメじゃないけど、出来るの?これは流石に、ミルキくんに人形を作ってもらおうと思ってたんだけど」
「できるよ。針を使えばね」
「あ、そっか!じゃあお願いしようかな!」
よーし、なんだか楽しくなってきたぞー!
嬉々として計画書に皆の名前を書き込んでいたら、紙面に二つのシルエットが落ちた。
「あれ?」
見上げる。
「あ」
「ダッハッハッハッ!!随分と楽しそうじゃのう。ポー、わしらにも何か手伝えることはあるか?」
「ゼノさん、マハさん!おかえりなさい!!」
一日一殺!
垂れ幕の文字が今日も眩しい。
一体なにをどうやっているのか分からないけど……ゼノさんとマハさんが、二人ならんで天井に立っていた。
そんなことして、血が下がったりしないんだろうか。
「じ、爺ちゃんたち!びっくりするから、天井からいきなり声かけるのやめてくれよ!!」
「俺は気がついてたけど。ポーはともかく、ミルキ。お前は殺し屋のくせに注意力が足りなさすぎるよ?」
「ま、まあまあ、イルミ。ゼノさんとマハさんも、明後日はお仕事ないんですか?」
「あるにはあるが、急ぎでないから一日くらい大丈夫じゃ」
こっくり、無言で頷くマハさん。
マハさんって全然しゃべらないけど、なにやってても表情が変わらないとことか、黒目がちの大きな目とかが、ちょっとイルミに似てるんだよね。
ゾルディック家の御大二人に、果たしてどんな脅かし役をやって頂いたらいいものか……悩んで見つめるリストの上に、シルバさんの長い指が伸びた。
「親父たちには、これとこれなんかどうだ?」
「あ。シルバさんナイス!それ、絶対に面白いと思います!!」
「うん。どっちの役も、これ以上ないってくらいに適任だね」
「ダッハッハッ!分かった。やろう!それにしても楽しそうなことになってきたのー。ポーや、そのリストを見る限り、まだまだ人手が足りんじゃろう。うちの執事どもを使って構わんぞ」
「そうだな。どうせなら、ミケも連れて行って何かさせるか」
はい……?
ミケ?
「えええ――っ!!?そんな、ミケまで連れていったら、この家に誰もいなくなっちゃいますよ!?もし、その間に賞金稼ぎたちが襲ってきたらどうするんですか!?」
「構わん。奴らが欲しがっているのは、俺達ゾルディック一家の首だからな。誰もいなければ諦めて帰るか、勝手にトラップにひっかかって死ぬだろう」
カリン、と、ウイスキーグラスを鳴らしつつ、実に渋く言い捨てるシルバさんである……まあ、それもそうか。
よーし、そうと決まれば!
「わかりました!!こうなったら、この家まとめて全員、夏祭りに参加しましょう!!ゾルディック一家、ファイトーッ!!」
「おー!!」