シルバさんと一緒～ある年の年のゾル家のバレンタイン！～　その８

 

 

 

 

 

「……こんなこと、しなきゃよかったかなぁ」

 

 

 

 

重い足取りで水から上がった私は、東屋の近くにかかる橋の上で、イルミを待つことにした。

 

 

 

 

通話を切った瞬間、湧き上がったのは深い後悔の念だ。

 

 

 

 

 

“一時間逃げられたら、今夜のことは全部許して――”

 

 

 

 

あれから一時間後、潜伏していたグリンドリアン海溝3000メートル付近から、もといたNGKホテルの湖へと戻り、イルミに連絡を入れたわけなんだけど。

 

   

 

 

「一応、賭けには勝ったから、今夜のことは許してもらえる……はずなんだけどな……」

 

 

 

 

でも、なんだか、それじゃあダメなような気がするんだ。

 

 

 

 

上手く言えないけど……。

 

 

 

 

「……はぁ～、実力を示せば、少しは安心してくれるかなって思ったけど、間違いだったかな」

 

 

 

 

橋の欄干に身を預け、深くうなだれる。

 

 

 

 

辺りには風もなく、ぴんと張った湖の水面には、丸い月が煌々と照っていた。

 

 

 

 

今夜は、満月だ。

 

 

 

 

銀色に透き通る月の光を、ふいに、黒い影が遮った。

 

 

 

 

「海月」

 

 

 

 

「……っ、イルミ！」

 

 

 

 

するり、と背後から回された腕に、振り返ると同時に抱きすくめられた。細い顎を、私の頭の上に乗せて、彼は言う。

 

 

 

 

「捕まえた」

 

 

 

 

「い、一時間以上経ってるから、賭けは、私の勝ちだよね……？」

 

 

 

 

「わかってるよ。だから、許せばいいんだろ」

 

 

 

 

「……う」

 

 

 

 

うん、と頷いてみるものの、やっぱり、これではダメだと思い知る。

 

 

 

 

だって、イルミ、怒ってるんだもん。

 

 

 

 

頭の上から降ってくる声は、静かで、穏やかで、怒りなんて微塵も感じさせないけれど、それは彼が暗殺者だからだ。

 

 

 

 

暗殺者としてのイルミなら、胸の内に込み上げる鬱憤を無理矢理我慢して、無理矢理忘れることくらい訳ない。

 

 

 

 

……でも、分るよう、怒ってるよう。短い付き合いじゃないし、それに、身体から染み出す生体オーラの流れを観察すれば、精孔から今にも吹き出しそうなオーラを必死で抑えこんでるのも、一目瞭然だった。

 

 

 

 

「……イルミ」

 

 

 

 

俯いていた顔を上げると、二つ並んだ真っ黒な猫目が私を見下ろした。

 

 

 

 

「何」

 

 

 

 

普段なら、ふんわりと柔らかく細まるはずのそれが、凍てついたように動かない。

 

 

 

 

まるで、初めて出会った頃のイルミを見ているようだと思った。

 

 

 

 

最近になって、ようやく、まともに笑ってくれるようになったのに。

 

 

 

 

「……ごめん、なさい」

 

 

 

 

「どうして謝るの。許すって言ってるじゃない」

 

 

 

  

「ほんとに……？」

  

 

  

 

「うん。そういう契約だったからね」

 

 

 

 

「……！」

 

 

 

 

何の感情も含まないその言葉に、じわり、と涙が浮かんだ。

 

 

 

 

やっぱり、間違いだった。

 

 

 

 

イルミに実力を示そうと思ったのは、そうすることで彼を安心させたかったからだ。

 

 

 

 

でも、そのことに賭けを持ちだしたのは間違いだった。

 

 

 

 

「海月？」

 

 

 

 

「……イ、ルミっ！　ご、め……ごめん、なさ……い」

 

 

 

 

「なんで謝るの？　泣かないでよ。許すって言ってるじゃない、俺」

 

 

 

 

抑揚のない声で言いながら、イルミはタキシードの胸元に手を入れて、冷たく光る針を一本取り出した。

 

 

 

 

「怒らないから、泣かないで。海月のしたこと、忘れろっていうんなら今すぐに忘れるから」

 

 

 

  

「だ、ダメ！　針で記憶操作なんかしないで……！」

 

 

 

 

慌てて取り上げると、彼は真顔のまま、くりっと、首を傾げた。

 

 

 

 

 「じゃあ、どうしたらいいの」

 

 

 

 

「……っ」

 

 

 

 

「忘れろって言ったり、忘れるなって言ったりさ。俺は、どうしたらいいの」

 

 

 

 

「イルミは、どうしたい、の……？」

 

 

 

 

「俺？」

 

 

 

 

首を傾げたまま、イルミはじっと私を見つめてくる。

 

 

 

 

その、闇をそっくりそのまま固めてしまったような双眸には、感情の欠片すら見いだせなかった。

 

 

 

 

でも、それはなにもイルミが何も感じていないからというわけではないのだ。

 

 

 

 

荒れ狂う感情を、押し殺しているのだ。

 

 

 

 

暗殺者として――

 

 

 

 

「して、いいから……！　私が許せないなら、怒ってもいいし、イルミのしたいこと、なんでもしていいから……だから、イルミに戻って……暗殺者のイルミじゃなくて、いつものイルミに戻って、お願い……！」

 

 

 

 

「海月……？」

 

 

 

 

自分が何を言っているか、鳴き声に紛れて半分も分かってなかった。

 

 

 

 

何でも良かった。

 

 

 

 

イルミがいつものイルミに戻ってくれるなら、人形だろうが何だろうが、どんな扱いをされても構わない。

 

 

 

 

間違いだった。

 

 

 

 

私とイルミの間に、“取り引き”を持ちだしたことは、大きな間違いだった。

 

 

 

 

“取り引き”は、ゾルディックでは絶対の契約。

 

 

 

 

互いに嘘もなし、偽りも無し。

 

 

 

 

“取り引き”で決められたことは、必ず守らなければならない。

 

 

 

 

その条件がなんであっても――イルミは、今までにも何度も契約を交わし、それを守ってきたのだろう。

 

 

 

 

どんなに過酷な条件であっても。

 

 

 

 

守って、守って、全てを押し殺して、消し去って、守って。

 

 

 

 

自分の感情と表情を、犠牲にしたんだ――

 

 

 

 

「う、うえぇ……っ、ごめ、ん、イルミ……わた、し、が、間違ってた……」

 

 

 

 

「……」

 

 

 

 

イルミからの返答はなにもなかった。

 

 

 

 

ただ、背中に当てた手のひらで、トン、トン、と優しく叩いたり、小さな子供をなだめるようにさすってくれているだけだった。

 

 

 

 

そして、ふいに、密着していた身体が離れた。

 

 

 

 

「してもいいんだね」

 

 

 

 

「え……」

 

 

 

 

「言ったよね。俺のしたいこと、なんでもしていいって」

 

 

 

 

「……うん」

 

 

 

 

いいよ、と頷いた瞬間、視界が揺れた。

 

 

 

 

気がつけば、私の身体はイルミの腕の中にあった。抱き上げられたのだ、と理解するよりも早く、イルミは私を抱えたまま、信じられない程の身軽さとスピードで夜の庭を駆け抜けていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　＊＊＊

 

 

 

 

 

 

 

 

「入って」

 

 

 

 

「え……ここって、ええ！？」

 

 

 

 

イルミにしがみつくこと数分後。

 

 

 

 

連れて来られたのは、NGKホテルの最上階に位置するペントハウス。その名もプラチナムロイヤルスウィートルーム……の、バルコニーだった。

 

 

 

 

 

「ええええっ！？　入れって、ちょ、ちょっと、ちょっとイルミ！！」

 

 

 

 

 

「何？　なんでも言うこと聞くって約束しただろ」 

 

 

 

 

 

「し、したけど、でも、バルコニーから勝手に入ったりしたら、ホテルの人に怒られるってば……！」

 

 

 

 

 

「……」

 

 

 

 

 

ズ……と、無言で差し出されたイルミの指には、羽根を広げた白鳥の飾り彫りも麗しい、プラチナに輝くカードキーが挟まれていた。

 

 

 

 

「こ、こんなものいつの間に……」

 

 

 

 

「ごちゃごちゃ言ってないで、早く入りなよ」

 

 

 

 

……うう。

 

 

 

 

 

予想通りと言うべきか、まだ相当怒ってるなあ。でも、さっきみたいに、力づくでどうこうしてこないところを見ると、時間を置いた分、少しは頭が冷めているみたいだけど。

 

 

 

 

 

冷たい声に促されるまま、私は、バルコニーからホテルの室内へと足を踏み入れた。純白の絹張りの、立派なソファがいくつも置かれたリビングルーム。こんな部屋が、このスウィートには合計三つ。寝室においては五つもくっついている。

 

 

 

 

 

ここに泊まるのは二回目だ。以前にイルミと来たのはたしか、私がゾルディック家に花嫁候補として認められた夜だった。

 

 

 

 

 

そして、ここで初めてイルミと――

 

 

 

 

 

「服、脱いで」

 

 

 

 

 

「……っ」

 

 

 

 

 

「今更、そんな顔しないでよ。俺のしたいことをしていいって言ったのは海月だろ」

 

 

 

 

 

淡々と言葉を投げながら、イルミは私を、壁際にある大きな一枚鏡の前へ連れていった。

 

 

 

 

 

「早く脱いで。俺さ、正直、そんなものを着てる海月は見ていたくないんだよね」

 

 

 

 

 

「え……」

 

 

 

 

 

「そのドレス、父さんが選んだんだろ？」

 

 

 

 

 

「そ、そうだけど……どうして分かったの？」

 

 

 

 

 

イルミは答えずに、ただ、私の真後ろにある鏡を指さした。つられて振り向き、そこに写っているものに驚愕する。

 

 

 

 

 

「わ……っ！？」

 

 

 

 

 

「分かった？　自分がどんな格好で人前に出ていたか」

 

 

 

 

 

すうっと眇められるイルミの目――鏡に写っていたのは、ドレス姿の私だ。でも、その背中に開いたスリットが深すぎた。ざっくりと、肩から腰にかけてV字型に肌を露出するようデザインされているために、布らしいものがほとんどない。

 

 

 

 

 

わりと大胆に開いてるなあとは思っていたけれど、これほどとは。これでは、背中側は裸同然だった。

 

 

 

 

 

シ……シルバさんめぇ～～！！

 

 

 

 

 

「ねえ、海月……誰の許可を得て、こんなところを他人の目に触れさせたの？」

 

 

 

 

 

「ひっ！」

 

 

 

 

 

つうっと、人差し指で背筋をなぞられ、その感覚に悲鳴が漏れた。

 

 

 

 

 

「……っ、イ、ルミ、ごめん、なさい……！」

 

 

 

 

 

「今夜のパーティーに、一体、どれだけの男が参加してたと思うの？　そいつら全員、酒を飲みながらイヤラシイ目で海月のことを鑑賞してたんだよ……考えただけで、吐きそうになる」

 

 

 

 

 

「まとめてぶっ殺してやりたいくらいにね……」囁きながら、イルミの唇が耳朶を離れて項へうつり、首の後ろを通って、背中へと落ちていく。

 

 

 

 

 

優しい、触れるだけのキスの合間に、時折、針で突き刺すような鋭い痛みが走り、その度に涙が滲んだ。

 

 

 

 

 

怖い。

 

 

 

 

 

怖くて、でも、どうしようもなく身体が熱い。

 

 

 

 

 

身体も、頭も、溶けてしまいそうになる――

 

 

 

 

 

「い……るみ……？」

 

 

 

 

 

「海月。脱いで」

 

 

 

 

 

「……っ！」

 

 

 

 

 

「勿論、鏡を向いたままでね……わかってると思うけど、海月に拒否権なんかないんだよ。俺の言うことなんでも聞いて、俺だけの人形になって。俺のしたいこと、何でもしていいって、言ったよね？」

 

 

 

 

 

耳朶に、低く。

 

 

 

 

 

頭のなかに刻み込むようなその囁きに、震えながらも頷いた。

 

 

 

 

 

今は、こうするしか方法がない。

 

 

 

 

 

怒ったイルミに、火に油を注ぐような真似をしてしまったのは私なんだから……。

 

 

 

 

 

「……っ」

 

 

 

 

 

きつく目を閉じたまま、着慣れない型のドレスを手探りで脱いでゆく。

 

 

 

 

 

素肌を晒して、纏う布が少なくなるほどに、背中越しに感じるイルミの存在が痛いほど伝わってきて、目眩がした。

 

 

 

 

 

恥ずかしい。

 

 

 

 

 

「熱い……」

 

 

 

 

 

「熱い？」

 

 

 

 

 

どうして、と揶揄を含んだ笑い声。

 

 

 

 

 

「裸なのに。２月の夜にそんな格好してたら、寒いくらいじゃないの？」

 

 

 

 

 

「……見、ないで……」

 

 

 

 

 

「ヤだ。海月こそ、今の自分がどんな姿をしているか、目を開けてちゃんと見なよ」

 

 

 

 

 

「……っ、や……うあっ！」

 

 

 

 

 

嫌だ、と言う前に、両の手に乳房を掴み上げられた。乱暴に揉みしだかれて、痛いはずなのに、気がつけば喘ぎ声に近い吐息が漏れだしていた。

 

 

 

 

 

イルミに触れられている。

 

 

 

 

 

そのことが、なによりの快感だった。

 

 

 

 

 

「目、開けて」

 

 

 

 

 

胸を弄ぶ手はそのままに、声だけは穏やかにイルミが言う。

 

 

 

 

 

「目を開けて、今の海月の姿をちゃんと見て」

 

 

 

 

 

「ひ……っ、う……、わ、わか、った、から……あ、痛い、の……っ、やめ……て」

 

 

 

 

 

この上、まだ逆らえば握りつぶされてしまいそうだった。泣きじゃくりながら目を開けると、溜まっていた涙が球になって頬をこぼれ落ちた。

 

 

 

 

 

イルミの指が、眦に残った雫を拭う。

 

 

 

 

 

「厭らしいよね……ちょっと揉んだだけなのに、もうこんなに紅くなって尖ってる。下ももう、ぐちょぐちょなんじゃない？　最近、仕事ばかりで会えてなかったから、溜まってるんだよね。だから、親父と無茶な取り引きなんかしたんだろ」 

 

 

 

 

 

「……っ！」

 

 

 

 

 

「海月？」

 

 

 

 

 

「……っく、ふ……ええ……っ！」

 

 

 

 

 

「……海月」

 

 

 

 

 

泣いてもダメだよ、とイルミが囁く声がする。

 

 

 

 

 

でも、そんなのもう頭に入っていなかった。

 

 

 

 

 

これはお仕置きなんだから、意地悪や、酷いことを言われるのは分かってる。

 

 

 

 

 

でも、でも――

 

 

 

 

 

「……だから、泣いても許さないってば」

 

 

 

 

 

イルミの手が、肌を離れる。支えるものを失って、私の身体は大理石の床の上に崩れ落ちた。

 

 

 

 

 

「許さないって、言ってるのに」

 

 

 

 

 

苛立ちと、困惑と、ほんの少し狼狽を含んだ呟き。

 

 

 

 

 

それが、終わるか否かの時だった。

 

 

 

 

 

カンッ！　カンカンカンッ！！

 

 

 

 

 

「――ひっく、う……うぇ？」

 

 

 

 

 

「誰かが窓硝子を叩いてる。隣の部屋からだ。あのコソドロ、まだ懲りてなかったのかな」

 

 

 

 

 

やれやれ、と身を起こしたイルミは、着ていた上着を脱ぎ、私に羽織らせた。

 

 

 

 

 

 

「ここにいろ。なにがあっても動くな」

 

 

 

 

 

 

「う、うん……」

 

 

 

 

 

 

反論を許さない強い口調だった。私の返事を待たずに、彼は踵を返して隣の部屋へ向かっていく。

 

 

 

 

 

絶によって気配を殺し、全く音のしない動作で隣室へと身を滑らせたイルミを見送って、ようやく、こみ上げてくる嗚咽を飲み込んだ。

 

 

 

 

 

 

 あの部屋の向こうに、クロロがいるのだろうか。

 

 

 

 

 

 

一度欲しいと思ったものは、絶対に手に入れる――極悪非道の盗賊団、幻影旅団(蜘蛛)の頭。

 

 

 

 

 

 

彼が再びイルミと接触すれば、即座に戦闘に繋がることは火を見るより明らかだ。

 

 

 

 

 

 

涼しい顔をしているけれど、連日立て込んでいた仕事を無理矢理終わらせて、この場へ駆けつけてくれたイルミに、私のせいで、また迷惑をかけてしまう。

 

 

 

 

 

迷惑をかけて、無理をさせて、心配させて――

 

 

 

 

 

 

「……バレンタインなんて、我慢しとけばよかった」

 

 

 

 

 

 

立てた膝の合間に顔をうずめたとき、ドアの開く音がした。

 

 

 

 

 

 

イルミの足音がこちらへ近づいてくる。

 

 

 

 

 

 

戦闘の物音どころか、話し声すらしなかったことを思うと、さっきのはイルミの思いすごしであったらしい。

 

 

 

 

 

視界の端に現れた彼の爪先に、伏せていた顔をあげると、そこには、なんとも表現しがたい

イルミの表情があった。

真顔だけど、先ほどまでの冷たさは薄れ、どこか呆けたような無防備差がある。

 

 

 

 

 

 

手には、綺麗にラッピングされた小箱が一つ。

 

 

 

 

 

 

リポンと包装紙に見憶えがあった。

 

 

 

 

 

 

 

「それ、私が作ったチョコレート……どうしてイルミが持ってるの？」

 

 

 

 

 

 

 

「鷹が持ってきた。窓を叩いてたのは、こいつだった」

 

 

 

 

 

 

 

イルミが背後に一瞥をくれると、隣室から開けっ放しのドアをくぐって鷹が飛んできた。

 

 

 

 

 

 

 

慣れた仕草でイルミの肩に止まると、ひょいと片足を上げてみせる。

 

 

 

 

 

 

 

足に取り付けられた筒の中には、手紙が一枚。

 

 

 

 

 

 

 

「海月宛だよ」

 

 

 

 

 

 

 

「私に？」

 

 

 

 

 

 

 

一体誰から、と紙面を受け取ってみると、そこには大変美しく、几帳面な字でこう綴られていた。

 

 

 

 

 

 

“差し出がましい真似とは思いましたが、屋敷の執事に手配の上、お手元へ送らせて頂きました”

 

 

 

 

 

 

「“私の独断による行動をどうかお許し頂きたく――”ゴ、ゴトーさん……！　私が家に帰れなくなったと思って、わざわざ気を利かせて届けてくれたんだ……！」

 

 

 

 

 

 

ありがとうございますう……っ！！

 

 

 

 

 

 

 

感極まってその場に泣き伏した私を前に、イルミは無言で佇んでいる。

 

 

 

 

 

 

 

しばらく経って、私を呼ぶ小さな声がした。

 

 

 

 

 

 

 

「なに……？」

 

 

 

 

 

 

「これ、なに？」

 

 

 

 

 

 

「な、なにって、イルミにプレゼント！　今日、バレンタインだから、チョコレートを……」

 

 

 

 

 

 

 

作ったんだけど、と言いかけて、ふと、ある違和感に気がついた。

 

 

 

 

 

 

 

信じられない思いで彼を見る。

 

 

 

 

 

 

 

「イルミ……もしかして、さ。もしかしてまさかとは思うけど、まさか」

 

 

 

 

 

 

 

「…………ごめん」

 

 

 

 

 

 

 

忘れてた、とイルミ。

 

 

 

 

 

 

 

「……忘れてた？　今日がバレンタインだってことを？　私が帰って来て欲しいって言ってたのに、気が付いてなかったの……？」

 

 

 

 

 

 

 

「……ごめん。今回の俺の仕事先、西南の内戦地域だったから、バレンタインのバの字も目に入らなくて。ヨークシンにいたら気がついたんだけど」

 

 

 

 

 

 

 

「……」

 

 

 

 

 

 

 

「海月」

 

 

 

 

 

 

 

無言で、立ち上がる。

 

 

 

 

 

 

無表情の上、おそらく硬直しているのであろうイルミの手元から、触手でさっとチョコを奪い取る。

「あっ！」

 

 

 

 

 

 

「没収！！　もーっ、信じらんないっ！　イルミの馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿！！　もうチョコレートなんて作ってあげないんだから――っ！！」

 

 

 

 

 

 

「ごめん、海月。今日だけはどうしても会いたいって言ってくれてたのも、親父と取引して俺の休みを貰おうとしてくれたのも、このためだったんだよね。ごめん。本当にごめん。ごめんごめんごめんごめんごめんごめんごめんごめん」

「ダメ！！　そんな、回数ばっか増やして謝ったって、許してあげません！！　早とちりして怒ったバツとして、このチョコレートは全部私が責任をもって美味しく頂きます！！」

「あーっ！！」

間延びした……彼なりに最大限の絶叫を耳にしながら、リボンをとき、バリバリとラッピングを破り捨てる私。

とたん、イルミの目からぽろっと涙が落ちた。

両の手の平で顔を多い、しくしくと肩を震わせる。

「やめて……」

「泣いたって許してあげませんー！　自分は散っ々いじわるしたくせに！　すっごく恥ずかしかったし、悲しかったんだから！！　こういうことされたかったから、シルバさんと危険な取り引きしたんだろ、とか、酷いことも言うし！！」

「……ごめん……だってさ、俺……ゴトーから連絡を受けたとき、すごく嫌な予感がして、急いで駆けつけてみたら、あんな危ない場所で、あろうことかクロロに迫られてるし……謝って事情を話してくれたら、話も聞けたんだろうけど、逃げるしさ。深海に逃げられたら手がないし……」

「う……っ！　ま、まあ……今回のことに関しては、私に非が全くないって言ったらそうじゃないんだけどさ」

「だよね？　あーよかった。分かってくれて、嬉しいよ。はい、じゃあこれで後腐れなし。仲直りね」

「ちょっと！？　まだ許すって言ったわけじゃな――むぐっ！」

ぐい、と引き寄せられると同時に、口の中に固形物が押し込まれる。

舌を包み込む、甘い味覚。

鼻の奥に立ち込める、仄かな洋酒の香り。

チョコレートだ。

同時に、イルミの唇が覆いかぶさってくる。

熱い舌が、私の口の中のチョコレートをからかうように転がしていく。

「……甘い。おいしいよ、海月」

「……」

「もう、そんなふうにむくれないで……」

ありがとう、とキスの合間に囁かれ、

「お詫びに、今夜はたっぷりご奉仕してあげる。それで、明日は街にデートに行こうね。二人っきりで、朝からステーキ食べ放題」

「うっ！」

「それから、デザートには“ガレッド・デ・ロア”でバレンタイン特別ケーキバイキング、奢ってあげる」

「ううううっ！！　もう、ずるいよ、イルミ……」

「許してくれる？」

ちゅっと、キスで涙を吸い取って、イルミはくりっと首を傾げた。

いつものイルミだ。

「……」

たっぷり十秒、その顔を睨みつけ、

「……いいよ！」

「ありがとう」

いっぱいに腕を伸ばして、私は、その身体を抱きしめた。