ぐーきゅるるるるるるる……。
ぐーきゅるるるるるるるるるるるる……。
ぎにゅるぐぎゅるぐぐううううううううううううううううう~~!!
「……はっ! 自分の腹の音で目が覚めてしまった……!」
なんということでしょう。
やっぱり、コンビニのお弁当三つじゃ足りなかったみたいだ。
壁の亀裂から覗く空はまだ薄暗い。
夜明け前――4時過ぎくらいだろうか。
廃墟街はしんとして、風の音だけが響いている。
「うーん……体内のバクテリア量は好調時の約20パーセントってとこかな。昨日の触手パンチさえなかったら、もう少し回復してたのに」
いやしかし、あのパンチラッシュがなかったら、どうなっていたか分からない。
油断大敵だった……幻影旅団団長ともあろう人物が、あんなにも見境のない人だったなんて。未遂とはいえど、イルミに知られたら半端なお仕置きではすまなさそうだ。
黙ってよ。
「さて……なにはともあれ、この慢性的な空腹感をどうにかしないと。せめて好調時の50パーセント以上には回復しておかないと、また一昨日みたいに暴走しちゃうかもしれない……」
それに、このまま原作通りに事が進んだら、クラピカとウボォーさんが確実に出会ってしまう。
そして、その命を奪ってしまったらクラピカは……。
「だめだ……それだけは。友達に人殺しなんかさせない。絶対に、それだけは止めないと」
イルミは殺し屋。
私は海洋生物学者で、海の捕食者で……どちらも、生きるために命を奪う。
でも、クラピカは違う。
彼が命を奪うのは、彼の同胞の為――死者のためだ。
復讐の是非をどうこう言える立場に、私はいない。けれど、復讐は復讐を生み、その恨みの連鎖はやがて、クラピカ自身を蝕むだろう。
死者の念に縛られれば、クラピカは今のクラピカではいられなくなる。
あんな、心も身体もボロボロになって……あんなクラピカ、見たくないよ。
変えてみせる。
まだ何ができるかは分からないけれど、私が関わることで変わることだってきっとあるはずだ。
明日はいよいよ、9月1日――ヨークシン編が幕を開ける。
それに臨むためにも、今すべきことは……!
「朝ごはんを食べよう!! 栄養価の高い、オーラに溢れた獲れたてぴちぴちの朝ごはん……!」
そうと決まれば、善は急げ。昨日、団長さんから返してもらった作業着に着替えて、建物の出口を探すことにする。
廊下には見張りの団員もいない。
階段や通路は、所々倒壊して通れなくなっている所も多いので、そのたびに回り道をしながら、なんとか一階に出た。
ロビーの方向からは、あたり一帯を震わせるような轟音が折り重なって響いている。
例えるなら、工事現場で地面を押し固めるランマ―のような……。
「これって、いびき……? もしかして、全員飲みつぶれてる?」
まさか、と思いながらもロビーに入ると、そこには空っぽになった缶ビールや酒瓶、食べ散らかしたコンビニ弁当のパッケージやらともに、蜘蛛の男性陣がゴロゴロ転がっていた。
昨夜はここで、宴会でも開いていたのだろう。
そういえば、彼等が一同に介すのは約3年ぶりのこと。積もる話もあったに違いない。
女性陣の姿はないみたいだけど……ロビー奥の柱に、団長がロープでぐるぐる巻きに縛り付けられているのを見るあたり、こちらもなんだか色々あったみたいだ。
「食べられそうなものは、残ってないみたいだなぁ……仕方ない。外に何か狩りにいこうか」
これだけ酔いつぶれているんだ。さっと行ってさっと戻ってきたら、バレないよね。
よし、とロビー正面の入り口から外に出ようとした、その時である。
「待ちなよ……」
ぐいっと、強い力で左手を掴まれた。
見ると、足下に灰色の大きなモップが……ち、違う、この人は――
「コ、コルトピさん!」
「こんな朝早くにどこに行くの……?」
ひたひたと染み出す、静かな殺気。
灰色の長い髪の間から覗く瞳が、冷たく光っている。
ギリッと、私の左手を掴む手のひらに力がこもる。
「団長に、命令があるまで部屋で大人しくしているように言われたんじゃないの……?」
「そうなんですけど……すみません。お腹が空いて目が覚めてしまって。コンビニ弁当だけじゃ、オーラが足りなくて……」
「……」
無言のまま、私を見据えるコルトピさん。
そんな息苦しい沈黙を、私の腹の音が盛大にぶち破った。
ぐるおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!
「……すみません」
「ポーってさ、ほんとに食いしんぼだよね……」
はあ、とため息一つ。
殺気を納めたコルトピさんは、両手を左右のポケットに突っ込んで、ごそごそとまさぐった。
しばらくして、右の手を差しだす。
「はい、これあげる……」
「あ! おにぎり。たらこ味!」
「本当は、ボクの朝ごはんにしようと思ってとっておいたんだけど……」
「ええ!? そ、そんな大事なおにぎりを頂くわけには!」
「大丈夫……二個あるから……」
微かな、念の気配。
左側のポケットからそっと抜き出したコルトピさんの手には、もう一つ、同じパッケージのおにぎりが握られていた。
これって……これってまさか!
「すごい! あの、よかったら私、左手の方のおにぎりが食べたいです!」
「……ポーってさ、何気にすごいよね。こっちが偽物だって、分かってるの……?」
「そりゃあ、こっちはオーラの塊のようなものですから。コルトピさんは、具現化系なんですね!」
「……」
「いっただっきまーす! んん~っ! 海苔はパリパリ、お米はもっちり甘くて、中のたらこはプチプチしてて、しょっぱくって美味しい!」
昨日、同じく具現化系のクロロ団長の念能力『密室遊漁(インドアフィッシュ)』を食べてしまったわけだけど。
あちらも身がコリコリしてて、食感が良くて美味しかったんだ~!
「なるほど……具現化系のオーラは食感や歯触りがいいのか。勉強になるなあ。コルトピさんのオーラ、すっごく美味しいです!」
「よかったね……さ、それを食べたら部屋に戻りなよ。勝手に出歩いたことは黙っといてあげるから……」
「は、はい。分かりました! 色々とありがとうござ――」
ぎにゅるぐぎゅるぐううううううううううううううううううううううううううううう~~!!
「……」
「……すみません。やっぱり、おにぎり一個じゃ足りないみたいで……あの、ちょっと行ってぱっとなにか捕ってきてもいいですか? 一時間ほどで戻りますから!」
「駄目……あのね、ポー。昨日の夜に懲りたでしょ……団長の命令があるから、ボク達はポーを殺してない。でも、ポーが団長の命令に背くなら、容赦はしないよ……?」
「うう……! そ、そこをなんとか――っと、そうだ! だったら逃げなきゃいいんですよ。コルトピさんも一緒に来て下さい。お目付役として!」
「ええ~……?」
相手がコルトピさん一人なら、ごり押し出来るかもしれない。でも、そんな考えが旅団相手には通用しないと言うことが、次の瞬間、身をもって理解できた。
「おっと。そこまでだ、嬢ちゃん」
「――!」
さ、さっきまで床に寝転んで、一升瓶を抱き枕にして酔いつぶれてたくせに……!
ラフなTシャツにジーンズ姿のノブナガさんが、居合いの構えでもってオーラを高めていらっしゃる……!
間合いは、約3メートル。
一刀両断するには充分すぎる……さらに、その後ろから、
「待てよ、ノブナガ。オレ抜きでおっぱじめる気とはつれねーな!」
ウボォーさん……!
昨日の黒服も素敵だったけど……今日は黒のタンクトップにカーゴパンツ姿!!
色んな意味で目の保養――じゃない!
そんな場合じゃない!!
「――!」
背後に気配。
振り向くと、入り口はすでに他の二人の蜘蛛達に塞がれていた。
ジャージ姿のフィンクスさんと、いつもの黒い暗殺服姿のフェイタンさん……!
こちらもついさっきまで一個のソファーを取り合うように寝こけてたくせに、殺気ムンムンでこちらの出方を伺っている。
全く――揃いも揃って、なんて人達だ。
「観念しろ。逃げようってんなら、今度は容赦しねぇぞ」
「オイタには、相応の罰が必要ね……」
……。
高まる殺気、密度を増していく彼等のオーラ。
まずい。
これはまずい。
こんなオーラを、こんなに間近で感じたら、きっと――
「うう……うううう~っ! うわああああ、やっぱり!!」
勝手に飛びだすテンタ君!!
す、すごいスピード……そして、捕食能力だ。
現れた触手は四本、正確に、獲物の動きを予測して動き、捕らえる。
ただ、一昨日のようにはいかない。ここは完全に陸の上だ。水とは違って触手の動きが読まれやすかったらしく、フェイタンさんだけは僅差で取り逃した。
でも――
「き、強化系のステーキ……!!」
ウボォーさん、ノブナガさん、フィンクスさん……!!
「……ぐっお……!」
「くそ……ッ、またこいつか……!!」
それぞれ、利き手の精孔をしっかりと捕らえている。
そこから溢れ出すオーラを吸収し、触手に循環させれば強度も申し分ない。
これなら……喰らえるか。
三本の触手の捕食能力を一気に高めようとしたそのとき、黒い暗殺者が動いた。
研ぎ澄まされた、一刃の攻撃――私の死角を狙った白刃は、しかし、反応した守りの泡に阻まれる。
体内のバクテリアが一瞬、防御に気を逸らした。そのために、触手の拘束に隙が生まれる。
強化系三人の猛者が、その隙を見逃すはずはない。
「うおらあああああ!! よっしゃああ!! ぶっ千切ってやったぜ、今度はこっちの――」
ドクン、と身体の奥が脈打つ。
危険を察知したバクテリアが、私を構成する細胞の、その隅々からオーラを吸収しようとする。
意識が遠のきそうになる――駄目だ。
このままでは、また一昨日のように……その時、足下に落ちたガラス片が目に飛び込んできた。
とっさに手を伸ばす。
私が選択した次の一手に、蜘蛛達の動きが止まった。
「おい……?」
「……何やってんだ、嬢ちゃんよぉ」
左手が、熱い。
続けてやってくるのは鈍い痛みだ……意識するにつれて、だんだん鋭くなる。
右手に握ったガラス片は、私の左腕に深く食い込んでいた。
真っ赤な血が果汁のように噴き出して、指の先から滴る。
痛い……思っていたよりずっと痛い……!
「……い……ったあ……! うう……どうしよう、こんなに深く突き刺すつもりなんてなかったのに……!」
「ポー、出血が酷くなるから抜いちゃ駄目だよ……もう、いきなりなんてことするの……!」
コルトピさんの目が、驚きに丸くなる。
腕が痛いのと、心配してくれていることが嬉しいのとで、見る間に視界が滲んでいく。
「だって、このままじゃまた一昨日みたいにウボォーさん達のこと、食べちゃうかもと思って……念のバクテリアを、傷の回復と修復に集中させておけば、無駄な捕食能力も収まって、テンタ君も大人しくしてくれるかなって……!」
「それにしたってやりすぎでしょ……ぶっつりいっちゃってるよ、これ……」
「うん……あ、でも、痛みがましになってきたから、もう大丈夫」
ようやく、攻撃や防御に回されていたバクテリア達が反応したようだ。細胞の自己修復作用によって、出血は止まり、傷口はゆっくりとふさがって、ガラス片が押し出される。
これでしばらくは、血気盛んに捕食体制に入ることもないだろう。
「じゃあ、大人しく部屋に戻ります。朝早くからお騒がせしました……」
ちょっと遠巻きにこちらの様子を見ていた強化系三名と殺し屋さんに、あははー、と笑ってごまかし、そそくさと部屋に戻ろうとした私。
その首根っこを、大きな手に掴み上げられた。
見上げると、筋肉隆々、高めたオーラをどうしてくれようとばかりに滾らせたウボォーギンが。
「きゃあ――!! すみませんすみません!! 大人しくしてますから命だけはお助けを!!」
「うるせーよ! お前、ポーとかいったな。一時間くらいなら、つきあってやってもいいぜ」
「へ……?」
きょとん、と目を見開く私に、銀髪の強化系はにかっと笑ってみせる。
「俺も腹へっちまったしな!」
「ウボォーさん……!!」
それは、一瞬と言えどあなたの強化系オーラをぐいぐい吸収してしまった私のせいなのに……!
いい人だ!!
「おい、やめろ。ウボォー」
「なんでだよ、ノブナガ。ようは朝飯捕りに行くだけだろ? だったら別にいいじゃねーか」
「よくねぇ! そいつを逃がすなって団長命令だろうが、忘れたのか!」
「だから、逃がさなきゃいいんだろ? 俺達が同行すりゃあいい話だ。なっ!」
俺達、というのには、ノブナガさんに加えてこの二人も含まれているに違いない。
いきなり話題を振られたフェイタンさんは、あからさまに顔を歪ませる。
「なにが、なっ、ね。ワタシは反対よ。この女、きと海に逃げる気ね。そしたら、ワタシ達も簡単には追えないよ」
「海には行きません!! 反対方向の森に行くならいいですか!?」
「よくないね!! お前、あまり調子にのてると爪剥ぐよ……!」
う……イルミとはまた違った意味でドス黒い暗殺者オーラがひたひたと……!
でもでも、ここで引いたら朝ごはんが!!
「さっき無駄に争ったせいで、私のオーラは底を尽きそうなんですから! 何か新鮮な物を食べないと、またテンタ君が悪さしますよ。それに、史上最悪の盗賊団、幻影旅団の切り込み隊長四人がついてる状態で、例え逃げても捕まえられないわけがないでしょうが!」
「四人って……なんで俺も入ってんのかねぇ」
ぽりぽり、と後ろ頭をひっかきつつ、傍観していたフィンクスさん。ふいに、にやっと笑ってジャージのポケットに手を突っ込んだ。
なにか、丸く光る物をピン、と弾いてみせる。
「おい、受験生。良い機会だから、蜘蛛でのルールをひとつ教えてやるよ。“団員同士のマジギレ禁止。もめたらコインで”だ」
あれは……!
「フィン! こいつはまだ正式な団員じゃねーだろ」
「団長の話じゃ、今日から入団試験なんだろ? だったらもう始まってる。蜘蛛の争いは蜘蛛の掟で……運を試しな」
チッ、と、ノブナガさんが舌打ちをする。
冷たい双眸で私を睨み、
「仕方ねぇ……なら、俺が相手だ、嬢ちゃん」
「は……はい! よろしくおねがいします……!」
うわあああああああああああああああああああ!!
出来るんだ!
幻影旅団名物、もめたらコインで――コイントス!!
この流れに、フェイタンさんもウボォーさんも、コルトピさんも異議はないらしく、見守るつもりであるようだ。
運命を乗せるのは12本足の蜘蛛のコイン。
銀色に冷たく光るそれを、フィンクスさんが右の親指で高く弾いた。
「裏あっ!!」
「お、表っ!」
パシッ、と手のひらでコインを抑える鋭い音が響く――結果を告げられるまでの僅か数秒間が、時が止まったように感じられた。
「……表だ」
「クソッ!!」
や、やった……!!
「だはははははは! やっぱそうなるよなーあ!!」
「ノブナガ、昨晩のポーカーから運悪すぎね。タイミング最悪だたよ」
「うるせえ! ったく……しょうがねぇ、付き合うか。ただし、一時間だ。それまでにアジトに戻ってくる、いいな!」
「はい!」
「コルは残るね。団長が起きたら、事情を伝えろ」
「おっけー……」
やった……!
なんだかんだでやってやった……!!
戦力は充分、最強クラスの強化系三名と、こちらも蜘蛛1、2を争う実力者である変化系。
これだけの牙が揃っていて、狩れない相手はいない!!
身支度は特に無いというので、そのまま建物の外に出ると、よく冷えた早朝の風が髪をさらった。
空の端は仄かに明るく、夜明けが近い――でも、日が昇るまでにはまだ時間がある。
「朝まづめ……それなら」
残ったオーラを手のひらに集め、幾重にも重なった泡を形成。凝縮して弾けさせる。
『千里の水の目(ウォーターマーク)』
探索のためのソナーなら、使用するオーラは僅かでいい。
「何をした……?」
キロリ、と鋭い視線を向けてくるフェイタンさんは、まだまだ警戒を解く気はないようだ。
「広範囲の円みたいなものです。ほんとは水の中の方が調べやすいんですけど。早朝の空気は水分をたっぷり含んでいるから、念の波動がよく伝わります」
獲物の気配は――ここから東に、二キロほど先にあった。
遠くだから詳しくはわからないけれど、跳ね返ってきた感覚からしてかなりの大物と見た。
「ここから、東に二キロほど先に獲物がいるみたいです。歩くと時間がかかるので、風もあるし、飛んでいこうと思うんですが……」
「はあ!?」
「飛ぶ!? 念でか!?」
「はい……あの、私の能力はクラゲをモチーフにしているので、泡と触手を同時に出して、巨大化させるとパラグライダーのように風をはらんで飛ぶことが出来るんです。でも、今は私自身のオーラがとても少ないので、強化系の皆さんにご協力を賜りたいなと」
言いながら、五本の触手を用意。私を含めたそれぞれの身体に巻き付ける。
「練、お願いします!」
「おいこら、嬢ちゃん! 勝手に話を進めんな!!」
「おー、これ面白れぇな! オーラを高めると風船みたいに膨らむぜ!」
「3、いや、4回転半……くらいか?」
「ノリノリね。ウボォーにフィンクス」
「いや、だって俺、パラグライダーとかやったことねぇから、やってみたくてよ」
「嫌なら留守番しとけよ、ノブナガ!」
「うるせえ、ウボォー! チッ、仕方ねぇ……」
触手の先から送られてくるオーラ……質の良い、強力なオーラに念の泡の落下傘は勢いよく膨らんだ。
あっというまにビル風を掴んで――浮上!!
「おおー……飛んだ……!」
「コルトピさーん! 行ってきまーす!」
眼下で手を振る灰色の毛玉に手を振って、目指すは東。高度をとると、廃ビル街の途切れたその先に、鬱蒼と茂った森が広がっていた。
「やべえ!! マジで飛んでんぞこれ!!」
「全く、なんつー嬢ちゃんだよ……」
「触手も泡もほとんど透明で見えにくいから、身一つで浮かんでるみたいだな。おい、フェイ、大丈夫か?」
「……大丈夫、ね……余計な心配……するんじゃ……ない……よ」
「は、早めに降りましょう! ここから、森に向かってまっすぐ降下します」
「ゆっくり降下するね……!!」
「ゆっくり降下しますから……! 強化系が三人もいるんだから、燃料的には全く問題ないですよ」
そういえば、イルミもこれ、苦手だったな……高いところが怖いんじゃなくて、自分以外の誰かにそっくり命を預けるってことが、暗殺者的に無理なんだそうだ。
同じ理由で、念の泡に包まれてダイブするのも、底の見えないような深いところは苦手みたい。
私はどっちも気持ちいいと思うんだけどなー。
ようは信用の問題なんだろうか。
そんなことを考えながら、リクエスト通りにゆっくり降りていく。降下地点は、森の中の湖の畔だ。
木々の合間からすっぽり覗くほどの大きな湖が、真東にあった。
先ほどの反応はここからのものと見て間違いは無い。
獲物に気配を悟られないよう、ゆっくりと静かに降り立つ。
落下傘を解除しつつ、ちょっとだけ余分にオーラを頂いて――っと。
「お前……今ちょとだけ盗み食いしなかたか?」
「しっ、してませんよー、やだなー、そんな意地汚いこと」
ひい。なんて勘の良い……流石は、イルミと同じ暗殺者なだけはある。
僅かに滲んだフェイタンさんの殺気。
それに、何かが反応した。
ビリッと、空気が震えるような緊張が走る。
水の中から――
「……フェイタンさん、すみません。ここから先は殺気を放っちゃ駄目です。今ので獲物が勘づいてしまったので、ちょっと警戒されてます」
「獲物? ワタシには何も感じないよ……ハッタリじゃないのかね」
「いますよ。水の底ですね。水中ならもっとよく分かるかもしれません。陸の上だと、オーラが分散しやすいから」
言いながら、こちらも気配を抑えていく。
精孔を全て閉じ、オーラの流出を止める。
ひゅう、とフィンクスさんが口笛を吹いた。
「やるもんだな。目の前にいるのに、存在感がまるでない」
「ゾルディック仕込みですからね。じゃあ、私は水の中に潜って獲物を追い立てるので、今から言う方法で仕留めちゃって下さい。いいですか? いかに仕留めるかが重要ですよ? 仕留め方で美味しいかそうでないかが決まっちゃうんですから!」
「とか何とか言って、逃げんなよ、嬢ちゃん」
「逃げませんよ。逃げても追いかけて来るだろうから、わざわざ入団試験を希望したんです。ちゃんと不合格になって、二度とつきまとわないようにしてもらいます」
訝しげなノブナガさんににっこり笑って、漁法を的確に伝え、踵を返して湖へ向かう。
久しぶりの狩漁だ……なんだか、わくわくしてきた!
すうっと紙を差し込むように、水の中へ消えていく私を蜘蛛の団員達は黙って見送ってくれた。
***
早朝の湖畔に取り残された蜘蛛の男達。
しばらくてんでに伸びをしたり、あくびをしたりと暇を持てあましていたが、唐突に、ウボォーギンが沈黙を破った。
「――で、どう思うよ? 俺は結構好きだぜ? ああいう勢いのある女は」
「はあ!? まさかウボォー、それを俺達に聞くためにこの話に乗ったのか!?」
「んな怒んなよ、ノブナガ! 団長も言ってただろ? “お前達の合否判定に干渉はしないし、強制もしない。好きに接して、好きに決めろ”ってな。ポーは海専門のハンターなんだろ? 実力を見るには良い機会だと思うぜ」
「不合格だ! 決まってんだろ。腹が減ったら仲間でも見境無く喰い殺すような奴は、蜘蛛にはいらねぇ!」
「だから、それを止めるために自分で怪我したんだろーがよ!」
「ぐっ……!」
馬鹿のくせしてたまに鋭いところをつきやがる……と、愚痴を零すノブナガに、ドヤ顔を突きつけるウボォーギン。
「フェイタンはどうだ?」
「ワタシは苦手ね……つかみ所がない、ほんとにクラゲのような女よ。二度も戦たのに、強いのか弱いのかすらも、よく分からないね」
「苦手?」
「ああ……実力だけでなく、性格も臆病なのか、そうでないのか……だからといてシャルのように裏があるタイプでもなさそうね。それに、不抜けているようで、念に対する知識にかけては、団長以上のものがありそうよ。団長、昨日の夜の騒ぎの後はシャルのタブレトを借りてポーの論文を読みふけてたね」
「ほぉー、珍しいなフェイ。いっつも、好きか嫌いか、どうでもいいかの三択しかないお前が苦手とはな」
「うるさいね……フィン、そういうお前はどう思う」
「俺はまだなんとも言えねーな。戦ったっつっても、一度目はポーの意思じゃなかったし、今朝のもそうなんだろ。腹空かした念能力が、勝手に暴発しただけって感じだった。だから、こうやって実力を見定めようってウボォーの意見にはまあ、賛成だ」
「だろ!?」
にかっと笑うウボォーギン。いつも決まって最前線で無茶をやる鉄砲玉に、決まって巻き込まれるノブナガ。フィンクスとフェイタンは、この二人のお目付役に回ることが多い。
蜘蛛の仲間を重んじるウボォーギン、ノブナガに対し、フィンクスとフェイタンはいつでも蜘蛛という組織を重んじて物事を考えるからだ。
そのために対立もするが、今回の合否判定、おそらく、どちらからの評価も必要になってくる。
「――ま、ヒソカがいなくなるのはいいことね」
「そういやあいつ、今どこにいるんだ?」
「まだ私用飛行船の中だとよ。団長が言ってたんだが、今回の入団試験のことは、あいつには話さなくてもいいそうだ。場合によっては今回のヨークシンでの仕事からも、外すかもしれねーとかなんとか」
「ああ、それは正解ね。話したら最後、ぐちゃぐちゃにかき回されそうよ」
「かわりに自分が退団とあっちゃ、あの嬢ちゃんを殺しかねねーしなぁ」
「でもよ、あのヒソカが大人しく引き下がるかぁ?」
うーん……と、四人そろって考え込んでいたその時。
今の今まで、何事もなく張り詰めていた湖面が、大きく競り上がった。
水柱が弾けると同時に、身体に震えが走るほどの、強大なオーラが噴出する――
勢いよく、空に身を躍らせたのはテラテラと光る、漆黒の大魚だ。
「な……んだ? ナマズか……?」
「ウナギですよ――!! それも上物です!! このまま落下しますから、さっき言った方法で仕留めて下さいね――!!」
溌剌とした声に目を向ければ、大魚の背中でセーラー服をなびかせるポーがいた。
「はあ!?」
「デケェ……! 目測でも20メートル以上はあるぞ……!」
予想以上の巨体に、一瞬、怯む蜘蛛達。
その動揺を感じ取ってか、上空から落下途中の獲物が反撃に出た。
長い二本の髭が絡まり合ったかと思うと、その先から稲妻が落ちたのだ。
おお、とポーが目を丸くする。
「生体オーラを電気に変化させるのか……これは是非とも食べたい!」
言ってる場合か――! と、蜘蛛の男衆からブーイングが飛ぶ。
「大丈夫です! 一発撃った今がチャンスです! ウボォーさんとフィンクスさんで、ナマズのエラの横を左右から思いっきりパンチして下さい!!」
ウナギの巨体が地面に落ちる――その前に、強化系の二名が飛んだ。
「うおらあ――っ!! 『超破壊拳(ビッグバンインパクト)』35パーセントだ――!!」
「2、いや……3回転でどうだ!! 『廻天(リッパー・サイクロトロン)』!!」
左右からの衝撃は、ウナギのエラを貫いて中心でぶつかり合い、衝撃派を生む。
「あ」
こいつはまずい、とポーは思った。
人選を間違えた、と。
***
仕留めたウナギをぶら下げて、アジトに戻ってきた私達。
クラゲ落下傘を閉じて、ふわりと降り立った所にコルトピさんが駆け寄ってきた。
「すごーい……! 大きいね……!」
「はい……とても立派な獲物が捕れました……」
「何で泣いてるの……? ていうか、なんだかこの魚、頭の方がぐちゃぐちゃになってない……?」
「ううう……!!」
「いやー、悪ぃ悪ぃ! ついつい力が入っちまってよ-!」
だっはっはっはっは! と、悪気の欠片もなく笑い飛ばすウボォーさん。
「やっぱ、一回転半で止めとくべきだったか……」
無残に頭部が爆発した巨大ウナギを前に、うーむ、と思案するフィンクスさん。
左右からパンチ。
そこまではよかった。
想定外だったのはパンチの威力。ぶつかり合うことで生まれる衝撃の凄まじさ。
とっさに守りの泡でウナギの魚体を包んだものの、間に合わず、結果としてウナギの頭は木っ端微塵に吹っ飛ばされてしまったのである。
頭だけですんだのは幸いだったけど……。
「ああ……せっかくの獲物が……このウナギには、頭部に生体オーラの増幅器官と雷撃変化器官があったのに……是非とも食べたかったのに……!」
「いつまでもメソメソすんな! 大体、お前が思いっきりパンチしろっつったんだろーがよ!」
「俺等の思いっきり舐めんなよ!!」
はい……よく分かりました。
強化系の思いっきりは限度を知らない……!!
「ま、身は無事だたんだから良しとするね」
「それにしても、デケェなあ、おい。焼いて喰うのか?」
「あ、そうだ。調味料……とか、ないですよね、流石に」
そこんとこ、なーんにも考えてなかった私。
新鮮だから、お刺身にして、水見式で作った塩水にちょっとつけて食べるだけでもおいしいかなーとか思ってた。
だから、ダメ元で言ってみたんだけど、目の前の強化系の兄ちゃん二人はにやーっと顔を見合わせて、
「馬鹿野郎……んなもん、あるに決まってんだろ!?」
「盗賊舐めんなよ!!」
アジトの廃墟ビルの前に、停めっぱなしになっていたトラックの荷台を誇らしげに開いてみせたのである。
「お米!! お醤油に、みりんに、お砂糖にお塩まである!! すごい!! さっすが、幻影旅団!!」
「だろ!?だろ!?」
「うわー、シャルにも聞かせてやりて-!!」
「薪は森で何本か拾ってきたし、お水も湖で汲んできました。包丁やお鍋はないけど、念の触手と泡を代用すれば問題なし。よーし! それじゃあはりきって、アレを作るぞ――!!」
東から、昇ってきた太陽。
水を含ませた念の泡をレンズ代わりに、薪に火をつけて――調理開始!!