蛇窟街で、海賊さん達に海鮮料理をお腹いっぱい振る舞われた私達。
何だかんだで意気投合した船長さんとウボォーさんが、さっきの勝負の続きだこの野郎と飲み比べをおっ始め、そこから二件目、三件目と店の酒を飲みつぶしながら進軍すること数時間。
アジトに帰り着く頃には、とっぷり日が暮れてしまっていた。
そして、新鮮な海鮮料理を詰め込むだけ詰め込んで、お酒もたんまり飲んだ後、小一時間ほど車に揺られた私は……。
「うう……気持ぢわるいです……」
「食べ過ぎだ」
「救いようの無い馬鹿野郎ね」
やれやれと嘆息するクロロ団長と、仕込み刀よりもなお鋭い毒舌を突きつけるフェイタンさん。
団長命令につき、仕方なく了承してくれたウボォーさんに負ぶってもらって、アジトに担ぎ込まれている。
心なしか、他の団員達も頭の痛そうな様子で私を見ているような。
……仕方ないじゃないか。
「だから陸は苦手なんですってば……! 船酔いなら絶対しない自信がありますけど、車なんて乗ったの本当に久しぶりで……しかも、胃の中がシェイク状態でなんて……うぼあ……ウボォーさん、あんまり揺らさないで……!」
「お前……ぜってー吐くなよ!?」
「吐きませんよ勿体ない!!」
せっかく、あんな新鮮な海鮮を大量に補給できたっていうのに、吐いてたまるもんか……!
時折、痙攣する胃袋を必死で押さえ込む私を、ウボォーさんはアジトの部屋の瓦礫の上にドサリと降ろした。
「ううう……吐いて……たまるもん……です……か……」
「ふむ。見上げた根性だ」
「感心してる場合じゃないよ、団長。どうするの、これから作戦会議なのに」
まったくもう、とシャルナーク。
「だ、大丈夫です……動かなければ、なんとか。5分もすれば消化できると思うので、お気に……なさらず……うっぷ」
「とりあえず安静に。ほら、胃薬があるから飲んでおきなさい」
パクノダさん……貴方は天使ですか?
差しだされた薬と水をありがたく受け取って、お言葉に甘えて少し休ませて貰うことにする。
アジトの片隅で横になった私を尻目に、旅団のメンバーは団長を囲んで地図らしき物を広げ、作戦会議の準備を始めた。
部屋のあちこちに置かれた燭台に灯が点る。ゆらゆらと立ち上る炎の一本をなんとなく眺めていた――その時、
「――っ!?」
ぞわり、と底知れない寒気が背中を這い上がった。
「何者ね!?」
フェイタンさんが反応するよりも、一瞬早く。
部屋の灯火が全て消えた。
窓という窓がけたたましい音を立てて割れ、闇の中にくぐもったような音と、短い叫び声が重なる。
全身に震えが走る。
彼がいる。
それまで、旅団の団員達以外の気配なんて微塵にも感じなかったその場所に、今は確かに、彼がいることが分かる。
底の見えない、漆黒の闇を纏って――
「イルミ……!」
「ポー、そこを動くな」
返答と同時に、明かりが付いた。闇の中、団員達が手探りで火を灯したのだろう。
燭台の光の輪に照らされた暗殺者の姿に、忘れていた涙が一気に溢れ出した。
腰まで届くほどの、艶やかな黒髪。
ビスクドールの肌。濡れたように光る、夜天色の瞳――
イルミだ。
イルミだ――
「イル……ぐ……う……っ」
だ、駄目だ。今すぐに駆け寄りたいのに、少しでも動こうとすると食べた物が逆流しそうになっちゃう……!
「ポー……」
イルミは力なく橫たわった私を見つめ、静かに息をついた。その表情は、今まで見たこともないくらいに険しく歪んでいた。
「ごめん……遅くなって、ごめん」
真っ直ぐ伸ばされた彼の左手の先に、クロロ団長がぶら下がっている。
息はまだあるようだが、その身体はダラリと脱力し、つま先は完全に宙に浮いている。
この、実に分かりやすい人質を前に、他の旅団員達は手出しが出来ずにいるようだ。
暗殺者である彼が、あの絶好の好機を逃してまでクロロ団長を生かしておいた理由――それは、言わずもがな私だろう。
交換条件を持ちかけるつもりだ。
そう察したとき、後ろから伸びてきた小さな手のひらに腕を引かれた。
「え……?」
真っ先に飛び込んできたのは、キラキラと光る大きな瞳。
つんつん黒髪の野生児と、白銀の髪の天才児。
「ポー、もう大丈夫だよ!」
「聞きたいことはあるだろうけど、話は後だぜ?」
「……! ゴン、キルア!?」
どうして、二人がここに!?
「なんだぁ、あのガキ共は……!」
「待って、ノブナガ。アタシが捕まえる」
即座に構えに入るノブナガさんを制し、マチさんが前に出る――その足下に、一枚のトランプがさっくりと突き刺さった。
ナンバーはハートの4。
見上げた、高い位置の窓辺にすらりとした人影がある。
一体、いつからそこに佇んでいたのか。月影の中に悠々と姿を晒したのは、いつもよりも一層怪しげなグリーンの戦闘服に身を包んだ奇術師だ。
チッと、ノブナガさんが舌を打つ。
「……っ! ヒソカ、テメェ何のつもりだ……!!」
「クックック……ッ☆ それはこっちの台詞だよ。つれないじゃないか、団長も、キミタチも、ボク抜きで悪巧みだなんてさぁ★」
クックック、とどこか懐かしい笑い声とともに、私に向かってウィンクひとつ。
「助けに来たよ、お姫様☆」
……ヒ、ヒソカさんまで味方に引き込んだんだ……!?
イルミ、まさかとは思うけどシルバさんやゼノさんまで呼んだりしてないよね!?
駄目だよ、そんな、ヨークシン編前に旅団全滅なんてことになったら……ことになったら……。
……あれ?
もしかして、そんなに困らない?
……。
い、いやいやいやいや、やっぱり駄目! なんだかもう色々駄目!!
まだ新手が潜んでいるかもしれない……そう考えているのは蜘蛛の団員達も同じらしく、イルミに殺気を送りつつも、周囲への警戒を強めている。
イルミはそんな彼等に一瞥をくれることもなく、クロロ団長を見据えたまま言った。
「心配しなくてもこれで全員だよ。ていうか、お前を殺るくらいなら俺一人でも充分だったんだけどね」
ついてくるなって言っても聞かなくてね、とイルミ。
淡々とした口調はそのままに、イルミはクロロ団長を締め上げる左手に力を込める。
すらりと伸ばした右の手のひら。
揃えられた五指の爪が、ナイフのように鋭く光る。
自分の命が世界最高レベルの暗殺者の手に握られているこの状況下にあっても、クロロ団長の口元にはうっすらと笑みが浮かんでいた。
双眸に湛えられた光は、どこか愉快そうにさえ揺れている。
楽しんでいるのだ。
この状況を――まるで、第三の傍観者として活劇を眺めているかのように。
「フ……ッ、全く。お前らしくもない振る舞いだな、イルミ。昨日といい、今日といい、たかが女の一人がそんなに大切か?」
「黙れ」
真円に近いほど、見開かれたイルミの眼。
クロロ団長の喉にかかる指が、第一関節まで一気に沈む。
イルミらしくない、と団長は言うが、本当にその通りだ。
普段のイルミなら、こんな安っぽい、ベタベタの、定型句のような挑発になんて絶対に乗らない。
鼻で嗤うか、それすら面倒だとばかりに無視をするに違いない。
何だろう、この違和感は。
あそこに立っているのは、確かにイルミであるはずなのに。
「ポーを引き渡せ。今後一切、俺達に関わるな。交換条件はお前の命」
「断る。交渉など無駄だ。俺に人質の価値はない。それに、例え頭を失おうが、蜘蛛は――がふうっ!?」
「団長!!」
左手を思いっきり下に。
早い話が、イルミはクロロ団長の頭を床に叩きつけたのだ。
いや、床にめり込ませたと言うべきだろうか。
そして、几帳面に引っこ抜き、仰向けに寝かせ直した後、その長いおみ足で顔面を踏んづけた。
ゲシッ! グシュッ! ドガグシュウッ!!
「ぐふう! がふうッ!」
「お前の中二病に付き合ってる暇、ないんだよね、俺。さっさと条件飲まないと、ご自慢の顔がげちょげちょになっても知らないよ。そうだ、いっそのこと針で操作して二目と見られないブ男にしてやろうか」
うん、それがいい、そうしよう、とイルミ。
その口元が、嬉しそうにつり上がったのを見た瞬間。
「……!?」
違和感の正体を知った。
ヤバイ……これはヤバイ。
言いようも無いほど悪い予感がする……!!
「……フフ……ッ、アハハハハハハッ!!」
き、キレている……!
これはもう、プッツンしているって域じゃない。
冷静に交渉しているように見えたから分からなかった。ブチ切れたイルミは、あの花婿争奪戦の時にも目にしたことがあるけれど。
あんなもんじゃないよ……! これは、そう、怒りが心頭しすぎたあまり、一周回って悟ったレベルの怒りというやつだ!
まさかとは思うけど、イルミには始めからクロロ団長と交渉するつもりなんてないんじゃないの!?
だとしたら、彼はこのまま――
「げふ……っ! ゴフ……ッ、ま、待で、イ……フグッ!?」
「何か言った? ごめん、何言ってるか全然わかんないや」
あははっと笑って、イルミは右手を振り上げた。
鋭く伸びた爪の先。練り上げられ、凝縮されたオーラが禍々しく渦を巻く。
眼を見開き、口を三日月に。
くりっと、首を傾げる。
「まあ、交渉が無駄だっていうのは俺も一緒だから。もういいよね?」
「――!?」
「バイバイ、クロロ」
イルミの表情がすっと冷める――命を刈り取る、その瞬間に。
私は飛び込んだ。
地に伏したクロロ団長と、今まさにその胸に右手の爪を突き立てようとするイルミの間。
かなりの距離があったのに、どうして間に合ったのか自分でも驚きだ。
どうやって止めるのか、考えている間なんて無かった。
だから、ただ飛びついて、抱きしめた。
「……!?」
「イルミ!!」
イルミの匂い。
イルミの感触。
背中に回した腕に、最大限の力を込める。指先から伝わる筋肉の緊張が、ふっと緩んでいくのが分かった。
深く、イルミが息をつく。ただ暗いだけだった双眸がわずかに揺れ、ゆっくりと、焦点が私に合わさった。
「……ポー」
「うん、私。大丈夫? ちょっと落ち着いて。ね、見ての通り、私は無事だから」
「……うん」
「クロロ団長を殺せって、誰かに依頼されたの?」
「……ううん」
「そう。じゃあ、殺しちゃ駄目だよね?」
「…………うん」
だらりと力の抜けたイルミの身体を支えていると、肩口に顔をうずめられた。背中に回された腕に、強く、強く抱きしめられる。
サラサラと肌に触れる髪の感触が、酷く懐かしかった。
「ポー……ポー……無事で、良かった」
「うん……」
ひゅう、と軽い口笛。すげぇ、とキルアが呟いた。
「あの状態の兄貴を正気に戻すとか……マジかよ」
「愛の力だよね!」
ゴン、それは少々恥ずかしい。
第一、私だって上手くいくか一か八かだったんだけどね……ぐふっ!
「う……っ、イ、イルミ……嬉しいんだけど、ちょっと……そんなにぎゅっとされると……ぐへええええっ!!」
「ポー!?」
胃液が……逆流する……ッ!!
だ、駄目だそんな、感動の再会中、イルミの腕の中でリバースだなんて……それだけは死んでも阻止してみせ……ぐふうっ!!
「ポー……! クロロ、お前……ポーがこんなになるまで何を盛った……?」
ゲシッ! っと、鳩尾に埋まるおみ足。
ぐほっとクロロ団長が血反吐を吐いた。
あ……今になって気がついたけど、私とイルミ、二人揃って仰向けに倒れたクロロ団長の上に乗ってたんだ……!
「わああああ!? す、すみません、無我夢中でっ! イルミ、違うの。これはちょっと昼ご飯を食べ過ぎちゃってさー、その上、慣れない車に乗ったもんだから車酔いしちゃって……あははは」
「……え?」
きょとん、と目を丸くするイルミ。足下のクロロ団長が、激しい咳の間から絶え絶えに言った。
「ごほっ、がは……っ! ……そういう、ことだ。大体、こいつに毒物の類いは効かないんだろう……? 毎回の食事に服毒しているくらいだからな……例の、念のバクテリアの力で解毒できるはずだ」
「お前には聞いてないよ、馬鹿クロロ」
ゲシッ!
「がはあっ!!」
「ちょちょ、ちょっとちょっとイルミ! いくらクロロ団長がゴキブリ並みに丈夫でしぶとくてしつこいからって、それ以上踏んだらさずがに死んじゃうってば!」
「……別にいいじゃない」
その時はお赤飯だよ、とイルミ。
クロロ団長のほっぺたに右足のかかとをグリグリめり込ませたまま、彼は物も言わずにじいっと私の顔を見つめた。
彼にしては、なんだか珍しい表情だ。
不安気で、少し悲しそうな。
「何?」
「……ポー、本当に大丈夫? こいつらに攫われてから相当時間が経ってるから、俺、てっきりもう手遅れかと」
「だ、大丈夫だって! ほら、どこも怪我してないじゃない?」
「それはそうだけど、内の方とか、大丈夫? クロロに強姦された挙げ句、蜘蛛の団員達に輪姦されたり、拷問と称して無理矢理―ー」
「されてないからっ!! 何その殺し屋さん的思考回路どうにかして!」
「……本当に?」
「うんうん、ほんと! だからひとまずは安心して」
「……うん」
きゅーっと、抱きしめられ……たかと思ったら、くるっと視界が反転した。いつの間にやら、米俵のように担ぎ上げられている私。
「わわっ!? ちょ、ちょっとちょっと!?」
「ほっとしたよ。てことで、こんな所からはさっさとお暇しようか。じゃあね、クロロ……お前、この上追ってきたりしたら、今度こそうっかり殺しちゃうからね」
わかった? と、念を押すように暗殺用ブーツのかかとをめり込ませるイルミ。
……あー。それはまあそうなるよねー。
どうしたもんかなあ。
肩に担がれたまま、うーんと唸り……視界の端に揺れる美しい黒髪を、くいくい、と引っ張った。
「ん?」
「……あのさあ、イルミ。身体は無事なんだけど、ちょっとややこしいことになっててさ。一時休戦して、もう怒ったりせずに事情を聞いて貰えると嬉しいんだけど。クロロ団長も、それでいいですよね?」
いいだろう、というように、イルミの足の下で団長が笑む。
イルミは暫く黙った後、深く息をついた。
「……いいよ、何?」
* * *
「――という訳なのです!!」
幻影旅団借宿にて。
一時休戦を取り付けた私は、瀕死のクロロ団長の上から、しぶるイルミを引き下ろした。
それから、ゴン、キルア、ヒソカさんにまとめて一昨日の朝から及ぶ怒濤の誘拐劇を熱く語り終えたのである。
ちなみに、蜘蛛の皆さんはクロロ団長の命令につき、彼の介抱をしながら遠巻きに様子をうかがって……くれている。一応、大人しく。
イルミの反応は直立不動。
ヒソカさんは無言。
ゴンとキルアは揃いも揃って、年寄り臭いため息を長ーく吐きだした。
そして――
「無茶しすぎにも程があんだろこの馬鹿――ッ!!」
「ポーの馬鹿ッ!! 俺より馬鹿ッ!! 無茶苦茶心配したんだからねっ!?」
「クックックックックックッ!☆ クックックックックック……ッ!! アハハハハハハハハハ……ッ!!☆」
ヒソカさん、笑いすぎです……。
「だだ、だってだって、仕方ないじゃない! 攫われたときはお腹ペッコペコで逃げようにも逃げられなかったんだから!」
「問題はそこじゃないよ!!」
「おう。攫われた後、運良く能力が盗まれなかったってとこまでは問題ねーよ。 で!? そこから何で入団試験なんだよっ!? しかも、マフィアのアジトに潜入だあああ!? 殺し屋舐めてんのか!!」
「べ、別に暗殺目的で侵入したわけじゃ……クロロ団長が、アングラオークションに出品される商品のリストが欲しかったんだって。だから、姿を消してこっそり忍び込んだら大丈夫かなーって。そしたら、イルミが先に潜入した跡があってさ。あと1時間早く行ってたら、バッタリ会えてたのにねー」
あははー、と見上げた先の、イルミの目を見て凍り付いた。
……まずい。
ふっと、冷笑に近い息を吐いたのはキルアだ。無言で、イルミの横に並んで立つ。
「兄貴、頼む」
「うん」
すうっと、伸ばされたイルミの手。
引っぱたかれるのか、と身構えたものの、手のひらは予想を裏切って私の頭にぽん、と置かれた。
「へっ?」
びっくりして眼を見開く。
「ポー、俺達があそこに侵入する為に要した時間、どのくらいか予想できる?」
「時間……? 一時間くらい……? いや、30分……でも、イルミだしなあ……ひょっとして10分?」
「ふーん。ファイナルアンサー?」
くりっと、無表情のまま首を傾げるイルミである。
懐かしいテレビの台詞を彼が知っているのは、私が前に同じネタを彼にやったことがあるからなんだろうけど……かけられるプレッシャーか違うよ!
「フ、ファイナルアンサー! 10分もあれば、イルミならシャッと行ってぱっと盗ってこられるんでしょ?」
「ハズレ」
瞬間、彼の纏う雰囲気が一変した。
「ひ……っ!?」
寒い……全身の血も、辺り一帯の空気も、なにもかも凍り付くほどに……!
ぽっかりと穴を開けたような双眸を私に向けたまま、イルミは人形のように、淡々と言う。
「正解は3日。詳しくは企業秘密だけど、潜入先の情報と潜入経路をミルキがまとめて、実際に現場を訪れてみたりして、そういう下調べだけで3日かかる。今回はそれらが全て済んだ上で、俺が引き継いだ。実際の潜入自体にかかった時間は15分くらいだから、良い線行ってるよ」
でもね、とイルミ。
「ポーは、まだ行ったことの無い深海域を航海するとき、事前の下調べも行わない状況で突っ込んで行ったりするのかな?」
「う……!?」
ズン、と身体が重くなる。
立っているのが辛いほどの重圧感。気を抜けば、今にも膝が落ちてしまいそうになる……頭に置かれた彼の手のひらから、冷たく暗い、操作系の暗殺オーラが頭皮を通り越して脳内にまで染みこんでくる……!!
「そこがどんな環境なのかも、どんな生き物が生息しているかも知らずに。その上、それに対する対策も何もしない状態で潜ったりするの? ねえ、それがどんなに危険で愚かな行為なのか、ポーには分かるはずだよね? だったら何でそんなことしたの? キルが舐めてるのかって聞いたのは、そういう意味だと思うんだけど。舐めてるよ? 俺達の仕事先。ぶっつけ本番飛び込みで潜入なんて、何考えてたの」
「ひ、ひいいいいっ! ごごご、ごめんなさい、ごめんなさい!! 自分でも分かってます! 上手くいったのはたまたま運が良かっただけです!! もう陸で危ないところに潜入なんてしないから怖い顔やめて!」
「絶対だからね」
ズズズ……と、暗殺オーラの余韻を残しつつ、イルミが手を引く。
あー、怖かった……。
でも、確かにイルミの言うことにも一理あるよね。
「うん……確かに無謀だった。今度からは、事前にアジトを全部水没させて、マフィアの皆さんが全員溺れた後で、泳いで潜入するようにするよ。そしたら、誰とも戦わずにすむし、水の中なら安全だし、一石二鳥だよね!」
「……」
途端、ガシイッ!! と鷲掴まれる頭蓋骨。
「何にも分かってないじゃないか」
ギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリイイイイッ!!
「ぎゃああああああああああああああああああああああああッ!! いいいいい痛いイルミ痛いイルミ!!」
「俺達の世界に入ってくるなって言ってるんだけど。足下に真っ黒な境界線が引いてあるのが、ポーには見えないの? 俺はいつでも必死に遠ざけようとしてるのにさ。この前の花嫁候補選抜戦もそうだけど、ポーは自分から突っ込んで行こうとするよね。何? 幻影旅団入団試験って。馬鹿じゃないの?」
「いだだだだだだだだだッ!! やーめーてえええええええええええッ!!」
「ヤダ」
「待った待った、イルミ☆ 今はそのくらいにしておいてやりなよ」
「ヒソカさん!」
何か、粘性のあるものに首根っこをみょーんと引っ張られたかと思ったら、私の身体はイルミを離れ、いつの間にやら怪しげな奇術師の腕の中にあった。
ギギギ、とイルミが睨み上げる。
「邪魔するんなら、殺すよ?」
「ちょっと落ち着きなって☆ボクに言わせれば、蜘蛛に攫われて命も能力も無事だったってだけで合格点。しかも、怪我一つせずにピンピンしてるなんて……もっと褒めてあげてもいいんじゃないかなあ。ハンター試験の時もそうだったけど、君はポーに厳しすぎるんじゃないかい? そんなことじゃ、結婚したってすぐ愛想を尽かされちゃ・う・よ★」
「そーですとも!! さっすがヒソカさん、たまには良いこと言う!!」
「たまにはは余計だなぁ★ ところで、幻影旅団の入団試験といえば、入団希望者が現メンバーを殺してナンバー譲渡っていうのが定番なんだけど。ポーは誰と戦うつもりなんだい? もし決まっていないなら、是非ボクとーー」
「あ、私の場合は盗賊としての素質を見てもらわないと意味がないので、ヨークシンでのお仕事に参加して、旅団全員で合否判定。全員合格なら晴れて入団っていうお話なので、誰とも戦わないです。ちなみに、4番って人が素行が悪くて、団長権限により強制退団されることになったので、抜け版は4番みたいですけど」
「あら……★」
「……」
珍しく、目を点にして固まるヒソカさん。その隣で、不満を露わにむっつりと黙り込んでしまったイルミである。しまった……ここで彼にヘソを曲げられるわけにはいかないのに。ヒソカさんの腕をぬるりと抜け出して、改めて、イルミの前に立つ。
「イルミ……色々と無茶をしちゃったのは自覚してるんだってば。でもね、無理に逃げても追いかけられるだけだし、それはこれから先もずーっとそうなんだろうと思って。イルミ言ってたでしょ? ものすごく粘着質でやっかいな奴がいるから、ジャポンには行っちゃダメだって。あれ、クロロ団長さんのことだよね? だったらいっそのこと、ちゃんとテストしてもらってさ、盗賊には向いてないってわかってもらった方がいいじゃない。不合格になったら、もう迷惑な真似はしないって約束もしたんだよ? 一応。口約束だけど」
「……」
「……っていうかさ、そもそもの始まりってその時じゃないの? イルミがジャポンでクロロ団長さんに会った時に、うまいこと興味を削いでおけたら、私が狙われるなんてこともなかったのに。何でクロロ団長さんは、私のことを殺し屋さんだって思ってたの。イルミ、私のこと何て紹介したの?」
「……」
その時。闇を飲み込んだようなイルミの目が、いつでも不動の鉄面皮を通す彼がーー非常に怪しく、浮ついた動きをした。
まさか。
「ーークロロ団長さん、聞いてもいいですか!?」
「……ああ。確か、お前のことは婚約者だが、一度も会ったことがないと言っていた。親同士が決めた政略結婚だと」
部屋の隅の瓦礫に座ったクロロ団長が、淡々と答えてくれる。
腫れた片頬と、鼻血を止めるべく鼻の穴に突っ込まれたティッシュペーパーが痛々しい……いやいや、そんなことよりも。
深く、ふかあ~く、ため息をつき。
「イルミ!! いっくらなんでもそれはないよ!! 政略結婚なんて、イルミが許すわけないじゃない! 今までキキョウさんがさんっざんセッティングしようとしたお見合いだって、ことごとく断ってきたくせに!!」
「……あの時は、いきなり婚約の話を出されて、ちょっぴり動揺しちゃったっていうかーーごめんね?」
「テヘペロなんて通用しません!! イルミの馬鹿! それでもゾルディックの殺し屋さんなの!? 私がただの海洋生物学者だってクロロ団長さんに言っといてくれたら、あんっっなに殺気ムンムンで攫われることもなかったのに!! 絶対! もっとこう、扱いが優しかったはずなのに!!」
「そんな訳ないじゃない。相手は蜘蛛だよ?」
「そうですよね! クロロ団長さん!!」
「そうだな……まあ、裏家業の人間でないなら、多少警戒は緩くなった可能性はーーっ!?」
シュッ! と、イルミが投げた針が、クロロ団長の右耳を掠めた。
「……分かったよ。今回のことは、俺に非がある。入団試験も、ポーに考えがあってのことなら付き合うよ」
「ありがとう! がんばって不合格になろうね、イルミ!」
「聞こえているぞ、ポー。言っておくが、俺達の仕事は全て、今回の潜入と同様に
失敗が死に直結する場合がほとんどだ。不合格を狙うのは勝手だが……な」
「わ、分かってますよう……大丈夫です。お仕事はまじめにします」
はあ、なんとかイルミを説得することには成功したけど……実はノープランだ、なんて言ったら、まーた怒るんだろうなぁ。
でもまあ、きっと。
なるようになる!!