1 お仕事終わりのイルミとあの人!

 

 

 

 

 

 

それは、八月の末のこと。

 

 

 


あの南の島での騒動から一週間後。立て込んでいた仕事にようやく区切りをつけた俺は、実家であるパドキア共和国、ククルーマウンテンへと帰還するべく、空港のロビーを足早に進んでいた。

 

 

 


それにしても、この国の空港はどうしてこう風変わりなんだろう。

 

 

 

 

天窓のある吹き抜けの天井や、床や、壁にまで檜材を使用した木製調のロビーなんて、飛行場のデザインとしては奇抜きわまりない。

 

 

 

 

そういえば、以前、海月と一緒にこの国へ観光に来たときは、「すごーい!銭湯みたいだね!」って、はしゃいでたっけ。

 

 

 


銭湯みたいっていうか、本当にここ、大衆浴場も併設されてるんだよね。

 

 

 

 

そのせいで、フライト待ちの搭乗客の中には湯上がり浴衣姿、タオルで汗を拭きながら、売店で瓶入り牛乳をあおっている者も多い。

 

 

 


風呂あがりに、何故、牛乳を飲むのだろう――理由は分からないが、何にせよ、他国では決して見られない不思議な光景だ。

 

 

 


東の辺境、島国ジャポン。

 

 

 

 

ここは、俺の花嫁、海月の産まれた国にとてもよく似ているのだという。

 

 

 

 

のんびりまったり、風呂からトイレまで、ありとあらゆる空間に心身の癒やしを求める国民性。平和ぼけしているようで商魂は驚くほど逞しく、更に、セキュリティーに関しても神経質なほど厳しい。

 

 

 

 

そして、食べ物にうるさいーーつくづく、海月が生まれるに相応しい国だ。

 

 

 

 

「さて……フライト時刻まで、一時間以上あるのか。どうしようかな」

 

 

 

 

タイムボードを見上げつつ、急いでるのに、と、ひとり唇を尖らせる。

 

 

 

 

こういう小さな国の空港にはよくあることだが、いわゆる、離発着渋滞というやつだ。

 

 

 

 

利用する飛行船の数に対し、空港面積が狭すぎるので順番待ちがおこるのである。よほどのVIPでないかぎり、私用船は後回し。

 

 

 

 

今からパドキア共和国往きの一般チケットを購入しようにも、すでにカウンターには長蛇の列ができている。

 

 

 


ほんと、この国の人間は並ぶのが好きだ。

 

 

 

 

 

「流石、ニンジャの国。待つことを苦だと思えないなんて、暗殺者向きの国民性ってあるんだね」

 

 

 

 

冗談は置いといて、さて、どうしよう。

 

 

 

 

時刻は夜の八時をとっくに回っている。風呂はもう済ませたし、夕飯は海月の作ったのを家で食べたい。

 

 

 

 

その他で、時間を潰せそうなことといえば――

 

 

 

 

「……ん」

 

 

 


そのとき、ジャケットの内ポケットで携帯が鳴った。

 

 

 

 

海月からでも、家族からでもない着信音。

 

 

 

 

これは――

 

 

 

 

「はい」

 

 

 

 

『俺だ。久しぶりだな、イルミ』

 

 

 

 

携帯の向こうから響いてきたのは、見知った男の、落ち着いたテノールだった。

 

 

 


この声を聞くのは、本当に久しぶりだ。

 

 

 

 


「誰かと思えば、珍しいね。何、急に電話をかけてきたりして。先に断っておくけど、今日から俺、休暇にはいるから。急な仕事は受けられないよ」

 

 

 

 


『いや。そうじゃない――上を見ろ』

 

 

 

 


見ろ、といわれて視線を反らしてやるほどお人好しじゃないんだけどな、俺。

 

 

 


そう思いつつも、不意打ちをされたところで対処できないほど甘ちゃんでもないので、素直に上を向いてやった。

 

 

 

 

吹き抜けのロビーからは二階の店通りが見渡せるようになっている。

 

 

 

 

ガラス張りの飲食店やバーが並ぶ中、その中の一角に、黒いハイネックシャツを着た青年の姿を見つけた。

 

 

 

 

右手に携帯。空いている方の手を、こちらに向かって軽く振ってくる。 

 

 

 

 

「あ」

 

 

 

 

『――少し、飲まないか? どうせ、お前も待ちぼうけを食らっているんだろう』

 

 

 

 

 

 

 

 

                     ***

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

誘われたのは、ロビー二階に位置するスタンディングバーだった。

 

 

 

 

 

店内にあるのはU字のカウンターのみで、飲み客はまばら。バーテンが一人いて、背後の棚にはライトアップされた酒瓶が並んでいる。磨きぬかれた無数のグラスが天井から下がって、シャンデリアのようだ。

 

 

 

 

 

店の間取りはいたってシンプルなもので、意中の彼は最奥にいた。

 

 

 

 

 

黒のハイネックシャツに、シンプルなデザインの細身のパンツ。前髪をラフに下ろしている姿は、少し見慣れない。

 

 

 

 

 

 

でも、相変わらずの本の虫らしく、酒よりもその手にある古びた本の内容に夢中になっている様子だった。

 

 

 

 

 

俺に気づくと、口の端に軽く笑みを乗せて紙面を閉じる。

 

 

 

 

 

「久しぶりだな、イルミ」

 

 

 

 

 

「……お誘い、どうも」

 

 

 

 

 

何か頼めというので、ギムレットを注文した。表向きは穏やかに接しても、警戒を解いてはいけない相手には、舌をさすようなライムの酸味がちょうどいい。

 

 

 

 

 

それにしても、正直、こんなところで会うとは意外だった。

 

 

 

 

 

クロロ=ルシルフル。

 

 

 

 

 

美しいもの、気に入ったもの。欲しいものは国宝級の美術品でもなんでも奪う、悪名高き盗賊団――十三本脚の蜘蛛、影旅団。

 

 

 

 

 

何を隠そう、目の前で微笑む小柄な青年は、世間を震撼させるこの殺人集団の頭だったりする。

 

 

 

 

 

ま、ゾルディック家の暗殺者である俺にとっては、大事なお得意様でもあるんだけどね。

 

 

 

 

 

彼がこの国にいるってことは、また何か、興味を引かれるお宝でも見つけたんだろうけど――気のせいかな。

 

 

 

 

 

なんだか、嫌な予感がする。

 

 

 

 

 

「今日は一人?」

 

 

 

 

 

「ああ」

 

 

 

 

 

「お仲間は?」

 

 

 

 

 

「好きにやっているさ。俺たちは、別にいつも群れているわけじゃない――なんだ、久しぶりに会ったっていうのに、ずいぶん警戒されてるんだな、俺は」

 

 

 

 

 

「日頃の行いが悪すぎるからね」

 

 

 

 

 

さらっと言ってやると、蜘蛛の頭はまるで子供のように無邪気な顔で、確かにと笑った。

 

 

 

 

 

「そう怖い顔をするな。今日、お前に会ったのは本当にただの偶然だ」

 

 

 

 

 

「ふーん。ジャポンへの入国目的は?」

 

 

 

 

 

「お前はいつから入国審査員になったんだ……? まあいい、俺がここに来た目的は、単なる観光だ。この国には、六十年に一度、神殿を取り壊して移転するという大規模な神事があるらしくてな。興味本位だが行ってみたい――あと、空港限定のこれだ」

 

 

 

 

 

言うなり、クロロは傍らに置いていたシルバーのケースを手に取り、厳かに開いてみせた。

 

 

 

 

 

「……なにこれ」

 

 

 

 

 

「見て分からないか?」

 

 

 

 

 

いや、分かるから困ってるんだけど……。

 

 

 

 

 

「何、この大量のプリンは」

 

 

 

 

 

「ただのプリンだと思うなよ。これは神々の宿るジャポンの地が生み出した神水と、厳選した地鶏の産みたて新鮮卵の卵黄のみを用いて製造された一日限定三十個しか販売されない当空港伝説の――お、おいこらっ、勝手に食うな!!」

 

 

 

 

 

「んまいけど、ふつーのプリンじゃないの」

 

 

 

 

 

ていうか、このレベルなら海月の研究室が総力を上げて開発したツヤぷる☆ワカメコンブくんプリンバージョンのほうが美味いし。絶対。緑色だけど。

 

 

 

 

 

「暇人。俺が必死こいて仕事してる間に、クロロはこんなものの為に何時間も行列に並んだの?」

 

 

 

 

 

「いや? 買った奴から盗んだ」

 

 

 

 

 

「……あっそ」

 

 

 

 

 

その辺は、ちゃんと盗賊してるんだ。獲物がプリンだなんて、かなり情けない気もするけど、クロロなら大いに有り得る。

 

 

 

 

 

嘘ではない、そう判断した俺は、頼みっぱなしになっていたカクテルに口をつけた。

 

 

 

 

 

……あー、苦い。

 

 

 

 

 

帰ったら、海月に口直してもらわなくっちゃね。

 

 

 

 

 

「……」

 

 

 

 

 

そのときだ、俺を見つめていたクロロの視線が、僅かながらに色みを変えていることに気がついた。

 

 

 

 

 

宿っているものは、興味。

 

 

 

 

 

「何、人の顔をじっと見たりして」

 

 

 

 

 

「いや。少し見ないうちに、珍しい顔をするようになったものだと思ってな……嬉しそうだな、イルミ」

 

 

 

 

 

グラスを空に、バーテンに同じものを頼み直し、クロロは肩肘をついた格好のまま、面白そうに俺を見た。

 

 

 

 

 

「女でも出来たか?」

 

 

 

 

 

「……何が言いたいの」

 

 

 

 

 

軽く睨んでやると、クロロは肩をすくめてグラスを煽り、怒るな、と喉の奥で笑った。

 

 

 

 


やはり。

 

 

 

 


どうりで、さっきから妙な違和感を感じると思った。

 

 

 

 


要するに、この男はこちらの反応をさぐっているのだ。

 

 

 

 

 

上体をバーカウンターに預け、慣れたしぐさで酒を飲む様子はリラックスそのものだが、質問は極めて攻撃的。

 

 

 

 

 

水面に石を投げるように、俺がどう波打つかを計っている。

 

 

 

 

 

こいつ、恐らく全部知ってるな……。

 

 

 

 

 

「呆れた。やっぱり、偶然の出会いだなんて嘘なんじゃないか。俺のあとをつけてきたんだろ。最初から、ここでコンタクトをとるつもりだったんだ――ねえ、もしかしてだけど、このダイヤの乱れもお仲間のせい?」

 

 

 

 

 

もしそうだったら、俺、本気で怒っちゃうんだけどな。

 

 

 

 

 

死角となっている右手に針を忍ばせる。しかし、殺気を含んだオーラを滲ませる俺を、クロロは馬鹿らしいと一蹴した。

 

 

 

 

 

「俺は、お前が思っているほど暇じゃないぞ。ただ、気になる噂をきいてな。かの暗殺一家、ゾルディックの長男が、つい先日、婚約をしたと」

 

 

 

 

「……噂?」

 

 

 

 


シィラかな、と呟く。彼女は、人の恋路をかき回すのが好きだから。

 

 

 

 

 

後でしっかり文句言っておかないとね、そう心に決めた俺だったのだけど、クロロは首を横にふった。

 

 

 

 

 

「いや。俺が聞いたのはメイビスという女だ。なんだ、シィラ嬢も一枚噛んでるのか?」

 

 

 

 

 

「口が滑っちゃった。でも、よかったよ。彼女には俺からしっかり口止めしとくから、後で聞いても無駄だよ。それじゃ、俺はこれで」

 

 

 

 

 

「まあ、待て」

 

 

 

 


きびすを返すが、左腕をがっしりと捕まれる。

 

 

 

 

 

……ああ、面倒くさい。

 

 

 

 

 

「水くさい奴だな。相手がどんな女かくらい、教えてくれてもいいだろう」

 

 

 

 

 

「教えたら、今度は会いたいって言うんだろ。お前の手の早さはよく知ってる。ダメ。教えられない」

 

 

 

 

 

「どうしてもか?」

 

 

 

 

 

「うん」

 

 

 

 

 

「どうしてもか?」

 

 

 

 

 

「しつこいよ。だって、しょうがないじゃない。教えようにも、俺もその婚約者の女のことは、よく知らないんだから」

 

 

 

 


「何?」

 

 

 

 

 

クロロは怪訝な顔をした。畳み掛けるように、淡々と俺は答えた。

 

 

 

 


「親同士が勝手に決めたんだよ。俺が仕事にいってるあいだにね。政略結婚ってやつ」

 

 

 

 

 

「……」

 

 

 

 

 

「だから、まだ会ったこともないんだ」

 

 

 

 

 

くりっと、首を傾げて言うと、クロロは黒目がちな目を真ん丸に見開いて、呆けた顔になった。

 

 

 

 


しばらくそのまま固まっていたが、ややあって、気をとりなおすかのようにグラスに口をつける。

 

 

 

 

 

「……そうか。それにしても意外だな 」

 

 

 

 

 

「……」

 

 

 

 

 

「意外だ」と、重ねて言いおき、クロロが俺を見上げた。

 

 

 

 

 

「――!」

 

 

 

 

 

漆黒の瞳。

 

 

 

 

 

虎視眈々と獲物を狙う――爛々と光る、盗賊の瞳で。

 

 

 

 

 

「お前が、そんな下手な嘘までついて誤魔化しにくるとは思わなかった。非常に興味深い。その女によほど入れ込んでいるようだな、イルミ。他人になど、塵ほどの関心も持たなかった、お前が」

 

 

 

 


「……言ってなよ。とにかく、今回のことに俺はノータッチだから。下手に首

を突っ込むと、仲間がまた父さんに殺されるよ?」

 

 

 

 


残りのギムレットを飲み干して、じゃあね、と今度こそ店を出る。

 

 

 

 

 

足早にロビーへ戻れば、混雑していたダイヤはようやく落ち着きを取り戻していた。

 

 

 

 

 

今なら、すぐにでも飛び立てる。

 

 

 

 

 

俺は手早く出国手続きを済ませ、待機させていた私用飛行船に乗り込んだ。

 

 

 

 

 

「……あーあ。不味いことになっちゃったな」

 

 

 

 

 

ミシリ、と握った舵に亀裂が入る。手動運転に切り替えて、飛行船のエンジンを前回にしても、駄目だ。

 

 

 

 

 

胸の中の焦燥が、押さえきれなかった。

 

 

 

 

 

ライムの強い酸味とアルコールに、舌の先がぴりぴりする。

 

 

 

 

 

不味い。

 

 

 

 

 

不味い。

 

 

 

 

 

本当に、不味いことになった。

 

 

 

 

 

「あ-、まずい。クロロなんかを海月に会わすわけにはいかないからなー」

 

 

 

 

 

絶対に、それだけは駄目だ。

 

 

 

 

 

相手は盗賊、しかも、他人が大事にしているものほど奪いたくなるやっかいな性癖の持ち主だ。

 

 

 

 

 

会わせたくない。

 

 

 

 

 

見せたくない。

 

 

 

 

 

海月は、俺だけのものだから。

 

 

 

 

 

「させないよ……クロロ。なにがなんでも、お前に盗られたりするもんか」

 

 

 

 

眼下に遠ざかる列島を睨みながら、俺は、胸に刻みつけるように呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                      ***

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……さて」

 

 

 

 

 

黒髪の暗殺者が足早に店を去った後、クロロはひとり思案していた。

 

 

 

 

 

ゆらゆらと、グラスの底を波打たせていたアルコールを、ふいに、一息に飲み干し、携帯電話に手を伸ばす。

 

 

 

 

 

意中の相手には、数コールの後に繋がった。

 

 

 

 

 

「……俺だ。悪いが、予定変更だ。行き先を探りたい相手がいるんだが、探せるか? ――シャルナーク」