「こっちこっち☆」
「おいヒソカ! お前、ほんっとーに兄貴の居所が分かってんだろうな!?」
リンゴーン空港から、ヨークシンシティ中心街へ。タクシーを降りたヒソカは「さてと。この格好じゃ動きにくいから、ちょっと待っててネ☆」と言い残し、路地裏へ消えたかと思うと、しばらく経って戻って来た。
髪は緋色のオールバック。頬には☆と涙のピエロメイク。奇抜なスタイルの戦闘服は、新調したのかグリーンを基調としたデザイン――自分たちが知っている、いつものヒソカだ。
そこから先は、彼の戦闘狂としての嗅覚だけを頼りに、建物の屋根を伝ってイルミを捜索している。
森を走る獣よりも、空へ飛び立つ鳥よりも、奇術師の跳躍には重力がない。
片足の一蹴りで、長身の男の背中は遥か向こうの屋根へと遠のいていく。
キルアとゴンは、はぐれずに追うのがやっとだ。
ヒソカには二人の少年を待つ気などさらさらないようで、遠慮無く進んでは、少し止まって神経を研ぎ澄ます。
街を一望できるような教会の尖塔の先に立ち、彼は楽しそうに笑い声をたてた。
「勿論☆ キルアこそ、何も感じないのかい……?」
「はあ、はあ……何もって?」
体力には底抜けの自信がある二人だが、ろくに休みもせずに屋根を飛び続けるのは流石に辛い。
一方、奇術師は汗一つかいていない涼しい顔でこちらを振り向く。
「イルミのオーラさ☆ ……正確には、殺気の名残みたいなものかな。彼が獲物を仕留める時、ほんの一瞬だけ漏らす、凝縮された殺意――クックックッ☆ オークションのお祭り騒ぎに湧く街の中では、白紙の上の血痕のように鮮明だよ☆」
「イルミのオーラ……」
「くんくんくん。えー! 俺には全然わかんないや。ヒソカは俺より鼻が効くんだね!」
「ボクは彼と同類だからネ☆ もっとも彼の場合、殺しはお仕事だけど」
「……」
街の上を吹き抜ける風に煽られながら、キルアは静かに瞼を伏せた。
明るく、賑やかで、笑い声と音楽に溢れたこの街――光の、その下には何よりも深い闇が伏している。
イルミはその底にいる。
かつては、自分もそこにいたのだ。だからこそ、自分にも感じ取れるはずだとキルアは思った。
暗殺者の殺意――命を刈り取る瞬間の、その覚悟。
「――いた! わかったぜ、こっちだろ!」
直感のままに、銀髪の少年は屋根を飛ぶ。
「クックックッ☆ 大正解。さすがは元殺し屋さんだね☆」
「ええーっ!? 俺には全然分かんないのに!」
「ゴンはわからなくってもイイの☆」
不満一杯の黒髪の少年と、奇術師も後を追った。
辿り着いたのは、大都市の中心にぽっかりと口を開けた自然公園だ。コンクリートビルの無機質な灰色の中で、新緑の木々のコントラストが目に眩しい。
真昼の公園には人通りが多く、犬を連れて散歩をしたり、芝生の上で寝転んだり、ジャージ姿の青年達が運動をしていたりと賑やかだった。
イルミは、あっけないほど簡単に見つかった。
公園の奥まった場所。東屋のベンチに、茶髪の青年が一人で腰掛けている。
髪が短かろうと、ラフなシャツやジーンズに身を包んでいようと、目の色が青かろうと――それは間違いなく兄だと、キルアには分かった。
一直線に、駆け寄っていく。
キルアが声を発する前に、青年はこちらに視線をくれた。
そして、ちょっとだけ迷惑そうな顔をしたように見えた。
「兄貴……!」
東屋へ駆け込んだキルアが、問答無用で青年の襟首をつかみにかかる。兄にしては随分と細身だが、肌に触れたことでキルアは確信した。
この匂い、この感じ。
「……人違い、だよ。乱暴はやめてくれ」
「仕事中なのは分かってる。でもな! 家出した俺が苦手な兄貴に何度も電話かけてんだ……出ろよ! 一度くらい! 何かあったのかって、勘づけよ馬鹿兄貴!!」
「……」
「何だよ……! いつもはどうでもいいことまで、やたらと勘が働くくせに、なんでこんなときだけ鈍いんだよ……っ!」
すごい剣幕だ、と、キルア自身が驚くほどだった。同時に、ああ、それだけ自分は真剣に考えているのだと初めて自覚したのだ。
この兄と、将来、姉となる人物の行く末を守りたい。
茶髪の青年はしばらくじっとキルアを見つめていたが、やがて、根負けしたように息を吐いた。
こめかみに手をやり、声を変えるために刺していたのであろう針を抜き取る。
「……全く、お前はいつも俺を困らせるね」
「兄貴……」
青年の手のひらがキルアの白銀の髪に触れ、愛おしむように指で梳いていく。
「久しぶりだね、キル……おまけのゴンとヒソカまで一緒か。血相変えて、一体どうしたの?」
「単刀直入に言うぜ? ポーが幻影旅団に拐われたかもしれねぇ」
ぴたり、と、その手の動きが止まった。
「昨日の朝、ホテルに執事が迎えに行ったときにはもう姿がなかったそうだ。ドアと窓が破られてたけど、争ったような痕跡はなかった」
「……」
「もちろん、オークションに行きたがってたポーの自作自演って可能性も考えられる。でも……昨日から、ポーと全く連絡がとれないんだよ。ミルキから連絡を受けた後、俺とゴンとレオリオで町中駆け回っても、見つけられないんだ……だから……!」
「ミルキはこのことを知っているんだね」
「ああ……。――っ!?」
ぎゃっ、と背後でゴンが悲鳴を上げた。
一瞬だった。今の今までゼロに等しかったイルミのオーラが、信じられないほどの密度と圧力をもって、のしかかってきたのだ。
極限まで見開かれた双眸は、キルアを見ているようでどこか虚空だった――変装は、いつの間にか解かれている。
暴走するオーラに煽られ、蛇のようにうねる漆黒の髪。
その瞳――
背後から聞こえてくる奇術師の甲高い笑い声が、耳障りだとキルアは思った。
「兄貴……っ、ちょっと落ち着けって……!」
「ミルキはこのことを知って、俺にも連絡を寄越した――でも、時間帯から見て俺は潜伏中で繋がらなかった。だから、あいつは代わりに親父にこのことを伝えたはずだよね……なのに、どうして俺はなにも知らされなかったんだろう……?」
「兄貴……!」
「ねえ、キル。どうして俺は何も知らないの?」
それは、シルバがミルキに口止めをしたからだ。
ポーの危機を知れば、イルミが仕事を投げ打ってでも助けに向かうであろうことが分かりきっていたから。
だから、あえて知らせなかった。
唯一、シルバが読めなかったのは、そのことをヨークシンにいるキルアに知らせたミルキの機転だろう。
兄の全身から噴き出す異様なオーラに身をすくませながら、キルアは何一つ質問には答えられなかった――だが、イルミはおそらく、何もかも理解しているのだろうと思った。
そして、同時に酷く安堵した。
「……よかった。兄貴も、ちゃんと怒れんじゃん」
「……」
「これで無視されたら俺、どうしようかと思った……ポーのこと、本当に大事に思ってんだな」
「当たり……前だよ」
ぽつり、とイルミは答え、高ぶる心を落ち着けるように大きく呼吸をした。
「……それで、お前達はそのことを俺に伝えるために、ヒソカと手を組んだわけだ」
「まあな。会ったのは偶然だったけど――ってうわ、ゴン!」
にょきっと脇から飛びだすつんつん頭。後ろで大人しく成り行きを見守っているのにも飽きたのだろう野生児が、キラキラと瞳を輝かせながら言う。
「イルミ! ポーを探しに行こうよ。俺達も力を貸すよ!!」
「駄目。相手は蜘蛛だ。お前達は手を引け」
「兄貴!」
「嫌だ! ここまできて、それはないよ!!」
「クックックッ☆ ヨークシンは広い……いくらキミだって、一人では探しきれない筈だよ? 事は一刻を争う。ここは、協力体制と行こうじゃないか☆」
「ヒソカ、本音で話せ」
「こぉ~んな面白そうなコト、ボク抜きでおっぱじめようだなんて、許さないヨ☆」
「……はぁ」
断れば戦る……的な殺気をムンムンに放つヒソカである。目頭に指を当て、しばし、沈黙するイルミ。
「わかった。断ってもどうせついてくるんだろうから、もう止めない。その代わり、死んでも知らないからね。キル以外」
「いや、俺のことにも構うなっての!」
「よーしっ! それじゃあ、皆で手分けしてポーを探そう! 街と港は大体探したから、それ以外の――っ!?」
「ゴン!」
ゴンの言葉が不自然に途切れたのと、その姿が急に消えたのはほぼ同時だった。
振り向いて、キルアは息を詰まらせる。
今、一番出くわしてはならない二人の人物が、そこにいた。
距離は5メートルも離れていない。それなのに、視覚に入るまで近づいてくる気配すら分からなかった。
「親父……ゼノ爺ちゃん……」
「久しぶりじゃのお、キル。少し見ないうちに顔つきが逞しくなったな。じゃが、まだまだだわい――こら、坊主。暴れるな。首が落ちるぞ」
「むぎいいいいいいいいいっ!! 離せっ! 離せよーっ!」
祖父ゼノの腕には、さっきまで隣にいたはずのゴンが拘束されていた。
鋭く伸びる右手の爪が、細い首筋に突きつけられている。ゴンは構わずに力尽くで拘束を逃れようとするが、老いている筈の祖父の腕はわずかも緩まない。
そして、一方で、シルバもまた人質をとっていた。
人質、と言っていいかは少し疑問だが――
「ああれぇ~☆ 助けておくれよ~☆」
「そいつはぶっ殺してもいいよ、親父。そんなことより、ポーが拐われたこと……ミルキに口止めしたんだってね。俺が知ったら、仕事に支障が出るから?」
「分かっているなら、なぜ怒る」
ヒソカの腕を後ろ手に捻り上げながら、シルバの表情は動かない。
声音も冷静そのもので、そのことが余計にイルミを苛立たせた。
「怒るのは当然だろ。そもそも俺が仕事を受けたのは、ポーの身の安全を守るためだ。そのために、親父達も協力する。それが条件の取引だったはずだ。これって、契約違反だよね」
「イルミ」
「聞かないよ。もう、何も。親父達には、もう何も頼らない。取引もしない――」
そうだ、とイルミは手を叩いた。
「俺、今から家出するよ」
「あ、兄貴ぃ!?」
「止めても聞かない。ポーよりも仕事を優先するっていうなら、もうお前の命令なんて、何も聞かないからね」
ヒュ……ッ、と、キルアの髪を掠めた、一陣の風。
「ぐ……っ!?」
キルアの目には、捕らえることができなかった。すぐ前にいたはずのイルミの姿が消え、気がついたときには、背後にいたはずのシルバがうめき声を上げていた。
殴り飛ばされていたのだ。
右頬を殴り抜かれた反動で、シルバの体躯は数メートル先まで吹っ飛ばされた。
目の前で起こったことが、信じられない――キルアは目をまん丸にする。
「兄貴が……殴った? 親父を……!?」
「クックックッ!☆ いいねぇ~! いっつもイイ子ちゃんのキミにしては、上出来だ☆」
シルバが殴られた隙を突いて拘束を逃れたヒソカが、すかさずゼノに蹴りかかる。
注意が逸れた、その間に――
「『伸縮自在の愛(バンジーガム)』☆」
「うひゃあ!」
びよーん、と念のゴムで引っ張って、ゴンを奪還する奇術師である。
「タネも仕掛けもございません☆」
「ほおう。なかなかやりおるわい!」
「今、戦り合えないのが残念だ、おじいちゃん☆ さ、行くよ。イルミ」
「うん。じゃあね、バイバイ」
ことのどさくさに紛れ、イルミはキルアを抱き上げて、その場から姿を消す。
残された御大二名は……やれやれ、と息をついた。
「全く……ポーのことはワシも初耳じゃったぞ、シルバ」
「ツボネとアマネに探させてはいるんだがな……まだ、見つかったという報告はきていない」
殴り飛ばされた右の頬を抑えながら、起き上がったシルバは渋い顔をする。
おもむろに口の中に指をつっこみ、取り出したのは奥歯だった。
「ったく。キレると手がつけられない所は、キキョウに似たな……」
「馬鹿言え、お前似じゃ! それにしてもイルミの奴、腕を上げたのう」
だっはっはっは! と、快活に笑い、
「罰として、イルミの残りの仕事はシルバ。お前がやれ」
「……」
そう言えば、自分も昔からこの親父が苦手だったなと、シルバは改めて思った。