「カタカタカタカタ……(あー、お腹いっぱい。次はどこにいこっか)」
ヨークシン一の老舗洋菓子店、“ガレット・デ・ロワ”にて、美味しくって上質なスィーツを心ゆくまで堪能したイル……ギタラクルさんは、その半開きの口元に、恍惚とした笑みを浮かべて言った。
「イルミが変装を解いてくれるとこなら、どこでもいいよ……」
「カタカタカタカタ……(ギタラクルだってば。まだ拗ねてるの? 仕方ないな。じゃあ、ヨークシン港でやってる蚤の市にでも行ってみようか。この時期は人でごったがえしてるし、それなら、帽子と眼鏡くらいで誤魔化せそうだし。たしか、旧港街だったと思うけど)」
「ヨークシン港? あ、そういえば、ミルキくんから借りた雑誌に、詳細が載ってたような」
ガサゴソ、買ってもらったばかりの真っ赤なポーチから、折りたたんだ雑誌を取り出し、
「えーっと、“オークション開催時期には、港全体が波止場の先まで蚤の市に大変身! 旧港街では今釣り上げたお魚から、太古の昔に海底に沈んだお宝まで、様々な商品が取引されます”だって! うわあ、楽しそう! イル……ギタラクル、私、ここに行ってみたい!」
「カタカタカタ……(はいはい。もう機嫌が治ってる。相変わらず現金だねー)」
なんとでも言いたまえ。
落ち込んでも、立ち直りが早いのは私の長所だって、前に修行したときにビスケさんにも言われたんだからいいんだもんねー。
さて。
ヨークシン港は、市街地の西側を占める縦長の港だ。
そのため、市内を走る何本もの運河は、この港の敷地を通って、海へ注ぎ込む。
蚤の市が開かれているのは旧港街で、実はこの港、海底へ無数の杭を穿ち、それを礎に海の上へ張り出した観光海上街でも有名なのだ。
その造りは、私の元いた世界でいうところの、イタリアの水上都市ヴェネチアにとてもよく似ている。
まあ、ヨークシン自体が、世界地図で見るとイタリアそっくりの形をしているし、なにかと影響を受けているのかもしれないな。
なにはともあれ、ドレスアップと腹ごしらえを済ませた私達は、バスを乗り継いでヨークシン旧港街へやって来た。
港の入り口は跳ね橋になっていて、車両はここで通行止め。
嗅ぎ慣れた海の匂いと、ウミネコの鳴き声。旧港街はどの通りも、沢山の露天と往来する人々とで大賑わいしている。
威勢のいい客呼びの声や、品物を競り落とす人々の活気に、私のテンションは急上昇した。
「うわあ~っ!! すごい人! 普段でも観光で賑わってる港なのに、オークション開催時期はそれ以上なんだ」
「今日はまだマシな方だよ。9月に入って、本格的にオークションが始まったら
、旧港街は入港制限されるからね。あんまりいっぱい人が乗ると地盤沈下するし」
「ああ、確かに。早めに来てよかったね、掘り出し物もまだまだたくさんありそう! イルミ、頑張って探そうね!」
「うん。とはいえ……ここで取引されてるものは、地元産の海鮮をはじめ、海底から引き上げた沈没品やアンティークがほとんどか。俺、骨董とか興味がないから、物の価値には詳しくないんだけど。海月は、なにか欲しい物があるの?」
「私? そうだな~。あっ! 向こうに、貝類と甲殻類の標本を並べてる店があるよ。珍しいのがあったら欲しいなあ! あと、メインの戦艦オークションの出品物も、下見しておきたい!!」
「はいはい。わかったから、ちゃんと前見て歩かないと、また転ぶよ?」
言ってるしりから、さっそく石畳にけつまづきそうになった私の手を、呆れ混じりにイルミが取る。
「あ、あはは……、ありがとう、イルミ。そうだ、イルミは何か欲しいものないの? ここじゃなくっても、ヨークシンオークションで何か目当ての物とか、探してるものとか」
「俺? そうだな……特に考えずに来たんだけど。強いて言うなら、宝石かな」
「宝石? 珍しいね。キキョウさんへのプレゼント?」
「まさか。そうじゃなくて、この前も探してただろ、俺達の結婚指輪。気に入ったデザインがないから、いっそオーダーメイドにしようと思って。婚約指輪は、結局それになっちゃったから、こっちは絶対に納得のいくものにしたいんだよね」
「へ? あ、ああ、そっか。ゾルディック伝統のドラゴンリング……実は、結構気に入ってるんだけど」
「そうなの? 女の子がするにはゴツイじゃない」
なんかロックだし、とイルミ。
確かに、黒と銀のドラゴンが二匹、互いにからんで、中央で向かい合うデザインは、お世辞にも華奢だとは言い難い。
でも、ハンターファンの身としては、この指輪。いかにもゾルディック家って感じで、かっこ良くて堪らないんだ。
眺めていると、こう、不思議と強い気持ちが湧いてくるっていうか。
「そうかもしれないけどさ、なにかと思い入れが深くなっちゃったんだもん。それに、ドラゴンって、ジャポンでは龍っていうんだけど、雨や川や海を司る神様なんだよ? 海人の私には、お守りにぴったりじゃない!」
「俺のとこじゃ、邪悪と災厄の権化なんだけど。……ま、海月が気に入ってるならいいけどさ。結婚指輪は、別に用意してもいいだろ? 俺とお揃いのペアリング」
「勿論! 正式な婚約者が決まったから、指輪の念も解けて外せるようになったし、こっちは大事にしまっておいて、普段はイルミとお揃いのをつけるようにするよ」
うん、と笑って頷く私に、イルミは少しだけ目を細めた。それから、ジャケットの胸ポケットから薄い灰色のサングラスを取り出してかける。髪を束ね、革のキャスケットを目深に被って、変装終了。
「まあ、こんなものかな」
「なんだか芸能人みたいだね。よーし、それじゃあ、張り切ってお宝を探しに行こう!」
「おー」
さてさて!
ガラクタから珍品から名品まで、色んな物品が山と積まれた蚤の市(フリーマケット)。一つの通りの左右に、ズラリと並んだ店の数はざっと百軒以上。それが、港中の通りという通りに、蜘蛛の巣のように広がっている。
それらを一軒一軒つぶさに見ていく、なんてことはとても無理で、興味のある海洋標本のお店に絞っても、物が多すぎて何がなんだか……。
「よーし、こんなときには必殺技を使いますか!」
「必殺技?」
なにそれ、と首を傾げるイルミに、にんまりと笑み、
「オークションの奥の手だよ。凝!」
私達が今見ているのは、巨大な金の船首像がでーんと飾られた、沈没品や漂流物を扱うお店。シートの上には貝やフジツボがいっぱいついたアンティーク品やら、錆びた像やら、古代ガラスの欠片やら、はたまた、ただの使い古した漁網やら、陶器製の浮きまで、商品は様々だ。
それらをじっと見つめつつ、目にオーラを集中する私に、イルミはなるほどね、と頷いた。
「いい手だ。作り手の思いの込められた品には、微量ながらオーラが宿ることがある。凝でそれを見分ければ、知識がなくても名品を見つけることが出来るというわけだね」
「その通り! ――お、さっそくお宝を発見したよ、イルミ!」
敗れた網の下から、強いオーラ反応。取り上げてみると、それはフジツボの塊だった。
手の平より少し大きくて、ずっしりと重い。縦長で、左右が対象に張り出したその形は、十字架のようだ。
「見たところ、ごく普通のココポーマアカフジツボの群体みたいだけど」
「でも、確かに、滲み出してるオーラは強いよ。ふーん、なんかちょっと興味が湧いてきたな」
「ほんと? じゃあ、なんとか安く譲ってもらえるよう、交渉してみよう。すみませーん、これっていくらですか?」
ひょいっと手を上げて、売主さんを呼び寄せる。
日焼けした赤ら顔、太い手足に、赤と白のシマシマシャツという、いかにも海の男らしい出で立ちの売主さんは、私の手にあるフジツボを一瞥するや、豪快に笑い飛ばした。
「そいつぁ、売り物じゃねえよ! 網にでも引っかかってたんだろ。そんなもんでよけりゃ、いくらでもあるから持っていきな」
「いいんですか? やったあ!」
「ああ。だが、嬢ちゃん。そんなフジツボ持って帰ってどうするんだい? 煮ても焼いても、食えねぇぜ、そいつは」
「飾っておくだけで可愛いじゃないですかー! 私、フジツボって大好きなんですよねっ! フジツボって、もとは貝などと同じ軟体動物であると考えられていたんですけど、実は、エビ、カニなどの甲殻類と同じく自由遊泳性のノープリウス幼生として孵化することが明らかにされたことによって、今では甲殻類に分類されるようになったんです。ジャポンのイーストノース地方では、大型種のフジツボをツボガキと呼んで、食用としているんですよ。塩を降って焼いたのを、私も食べたことありますけど、白い筋肉質な部分はカニ肉かホタテの貝柱のよう。その奥にある黄色い肝の部分は、あん肝やカニミソを思わせる、濃厚な旨味が凝縮されていて、たまらなく美味しかったです……!!」
「そ、そうなのかい? いやあ、驚いた。お嬢ちゃん、ずいぶんフジツボに詳しいねぇ」
「大好きですから! あっ、ついでに、そこに転がってるミネフジツボ、貰っていいですか?」
「ああ、いいよいいよ。持っていきな!」
「ありがとうございます~っ!!」
***
――で、
「よし! さっそく中身をあけてみようよ、イルミ!」
「呆れた。あの店一件だけじゃなくて、沈没品を扱ってる店を巡り歩いて、フジツボにまみれたお宝をタダで貰ってくるなんて詐欺もいいとこだよ」
海月って、意外と悪どいよねー、とイルミ。
蚤の市を一通り歩きまわった私達は、漁港付近の展望公園にあるカフェテラスで小休止。
冷たいドリンクを片手に、ゲットしたお宝をうきうきと丸テーブルに並べる私を、イルミは口ではそう言いながらも、どこか楽しげな視線で見つめている。
「固いこといわないの! どうせ、中にお宝が包まれてるって分かっても、一般の人に定着したフジツボを綺麗に剥がすなんてことは難しいんだもん。ここは、専門家の手に任せるべきだと思わない?」
「そういうことにしておくよ。それより、早く中がみたいな」
「はいはい。それじゃあ、開けてみよっか。どれからいく?」
「一番最初に手に入れたやつがいい。この、十字型のやつが一番いいオーラを出してるからね」
「うん。濃度がとても濃いよね……強くて、冷たくて、すごく……」
言いよどむ私を、うながすようにイルミが見つめてきた。
灰色の色硝子越しに見える瞳は、星のない夜のような、澄んだ闇をたたえている。
「すごく……怖いオーラだよね」
「気づいてたんだ。そう。だからこそ、俺も興味を持った。これ以外のフジツボの中身は、おそらくただの骨董品だ。それなりに価値はあるかも知れないけど、こいつには遠く及ばない」
「中身を見るの、ちょっと怖いんだよね……イルミ~! 水死した念能力者の腕とかだったら、どうしよう!?」
「それにしては重すぎるよ。大丈夫、おそらくは金属製品だ」
「ほ、ほんと? じゃあ、開けてみる……!」
“驚愕の泡(アンビリー・バブル)”!!
ミクロンサイズの無数の念の泡を、フジツボの底辺をがっちり固める天然コンクリートの下へともぐりこませる。そして、中に包まれている物質とフジツボとの間で一気に膨らませ、フジツボの群体を割る……!
バキンッ!!
「やったあ、成功……し、たけど……?」
「これは」
すごい、とイルミの目が丸くなる。
砕け散ったフジツボの中から現れたお宝――それは、真っ黒な鞘に収められた、一振りのナイフだった。
ためらわず、イルミがそれを手に取り、鞘から引き抜く。
途端――
「――っ!?」
私は、自分の目を疑った。
黒いグリップから伸びる刃先の、その、あまりにも特徴的な形状には、見覚えがあった。
ありすぎたのだ。
「これ、これって……イルミ」
「怖い? 大丈夫。今まで内に封じられていたものが、開放されているだけだ。荒々しさはじきに収まる……それにしても、すごいお宝だよ。これは、間違いなくベンズナイフだ」
やっぱり、と思う。
不自然なほどに湾曲した刃。アバラのように中抜きになった形状。
一見して使いにくそうなナイフだけど、その形状には、例えば深海に生息する魚を見てグロテスクだと思うのと同じように、私達では推測できないほどの機能美が隠されているのだろう。
怖い……冷たくて、とても怖い。
「べ、ベンズナイフって、ベンニ―・ドロンのつくったナイフ?」
「うん。よく知ってるね。ベンズナイフは殺人鬼、ベンニ―・ドロンが自らの犯行の記念に作ったナイフだ。全部で288本あるうちの、こいつは、そのうちの一本。うちの親父も好きで集めてるから、持って帰って取引したら、ここらへんで売り飛ばすより金になるかもしれないよ」
「う、うん……それもいいね」
ベンズナイフ。
知ってる、それは知ってる。
シルバさんが集めてるっていうのも、前にコレクションを見せてもらったことがあるから、知っている……でも、そのときに聞いたんだ。
シルバさんが言っていた。
この世に、288本存在するベンズナイフ。
同じ形状は二本とない。
「……じゃあ、なんでそっくりなんだろう」
うーん、と、ナイフを前に考えこんでしまった私。そんな私の思考と視線を遮るように、イルミはテーブル脇からメニューを取り出し、トン、と置いた。
「まあ、いいじゃない。物騒だけどお宝であることには変わりないんだから。それより、他のを開けるのは後にして、何か軽いものでも頼もうか。歩きまわったら腹へっちゃった」
「あ、私も。あんなにケーキ食べたのに、ずっと凝をしてたからお腹ペコペコ!」
流石、海の上の港というだけある。小さなカフェなのに、ランチメニューには美味しそうな海鮮料理がズラリ。
オイルサーディン、焼きシャコ、イカとサーモンのマリネ、スズキのムニエル。珍しいところではクモガニのボイルなんてものまで揃っている。
何を頼もうか悩んでいたら、イルミがアクアパッツァを提案してくれた。
こちらは、新鮮なお魚や、ムール貝、エビ、イカ、ワタリガニなんかをお鍋に放り込んで、じっくり蒸し焼きにした一品。
「うわあ! 美味しいっ!! それぞれの魚介から染み出す出汁と、トマトの酸味と甘味、オリーブオイルの相性が絶品だね!!」
「うん。そのまま食べてもいいし、スープをパンやパスタにかけて食べても美味しいね」
「うんうん! あ、このアクアパッツァ、タコが入ってる。タコを食べる国って結構珍しいんだよ。ジャポンでは普通に食べるけど、デントラで初めてタコをお刺身にした時にはびっくりされたもん。とれたてを薄く切って、酢醤油で食べたら美味しいのにね~」
「うちの夕食に出たとき、親父がぼやいてたよ。毒を盛られた方がマシだって」
「シルバさん、生タコなかなか食べなかったよね。美味しいのに、食わず嫌いは勿体無いと思うけどなー」
「俺も最初は躊躇ったけど。食べてみたら、確かに美味かった。歯に吸盤がくっつくのが、なんか癖になるし」
「でしょ! 高タンパク低カロリーで、体にだっていいんだよ。それに、タコやイカの生体オーラを吸収すると、テンタくんと守りの泡の精度が両方上がるんだよね。私の身体には、すごく相性のいい食材でもあるの」
「精度? ふーん、食べ物にそんな効果もあるんだ」
「うん。とくに顕著なのは、守りの泡の表面を周囲の景色と同化させる“嘘つきな隠れ蓑(ギミック・ミミック)”。私のオーラは目に見えにくいから、可視化させるのは苦手なんだけど、イカやタコを食べた後なら、いつもより長く姿を隠すことができるよ。たぶん、彼等の持ってる色素細胞のオーラが関係してると思うんだけど、目下のところ、研究中」
「そうなんだ。まあ、海月の場合は相手を捕食することで、消費したオーラを補えるんだから、そういう追加効果も期待できるのかもしれないね」
言いながら、イルミは近くを通ったボーイさんを呼び止めて、小イカのアヒージョと白ワインを注文してくれた。
魚介料理は早さが命。間もなく届いた小イカを一匹、フォークの先に突き刺して、ふうふうと冷ました後、
「はい、あーん」
「ふ、普通に食べるよ」
「あーん」
うう……。
「あーん……むぐっ!」
「美味しい?」
「……っ! ……っ!!」
くりっと小首を傾げるイルミに、夢中になって頷いた。噛む度に、柔らかくてぷりっぷりの小イカの身がプチンッと弾けて、濃厚な肝の旨味と海の香りが溢れだす……!!
そこに、コリコリしたゲソの食感が加わって――
「おーいしーいっ!! もう、むっちゃくちゃ美味しいよイルミ! ほらほら、イルミも食べて!!」
「はいはい、分かったから。そんなに急いで食べなくても、イカは逃げないよ」
口調では呆れながらも、イルミの表情は穏やかだ。薄いグレーのサングラス越しに覗く眼差しが、いつもよりずっと柔らかい。
冷えたワインをグラスに注いで、私達は、久しぶりの休日デートに乾杯した。
「……」
「どうしたの? 急に黙ったりして」
「うん……なんだか、嬉しくって。あの南の島での騒動以来、こうやって二人でのんびりできることってなかったから」
「そうだね」
「イルミ……もしかして、相当無理してくれたんじゃないの? お仕事、まだ忙しいんだよね」
「大丈夫だよ。俺のノルマ分は済ませてきたし。あれくらいの量なら、親父と爺ちゃんでなんとかなる。キルがいれば、もう少し楽ができたんだろうけど、いないものは仕方ないしね」
「キルアかあ……そういえば、キルアもゴンと一緒に、今この街にいるんだよね。オークションで手に入れたいゲームがあるんだって。グリードアイランドっていうゲーム」
「それ、確かミルキも欲しがってたよね。あいつが仕事に乗り出すなんて珍しいこともあるもんだと思ったら、親父と取引してオークションの資金を調達したらしい。そんなに面白いゲームなの?」
「ゴンのお父さんが作ったんだって! 私もやってみたいなー、念能力者が作った幻のゲームなんて、すっごく興味があるもん!」
「ふーん……だったら、競り落としてみようか」
「ええっ!?」
パクパク、プチプチ。
出来立ての小イカのアヒージョを次から次へと口に放り込みながら、平然とイルミが言う。
「せ、競り落とすって、定価58億ジェニーだよ!? オークションなら、それ以上の値がついちゃうかもしれないのに」
「かもしれないっていうか、ついちゃうだろうね。58億どころか、最低でもその倍は見積もっておいた方がいい」
「倍って、116億ジェニー!? ダ、ダメダメダメ!! そーんな高いゲームなら、やっぱりいらない! だいたい、買ってもプレイする時間なんてないじゃない。私にも、イルミにも!」
「……まあ、使い道は他にもあるからね」
「イルミ?まさかとは思うけど、ゲームを出汁にキルアを連れ戻そうだなんて腹黒いこと企んでるんなら、今すぐ婚約を解消しますからね!」
「そんなわけないじゃない。そんなこと、これっぽっちも思ってないよ」
「本当にいい~??」
「うん」
こくこく、不自然なほどに頷くイルミはこれ以上無いほどに怪しいけれど、まあ、こう言っておけばキルアに馬鹿な脅しをかけたりもしないだろう。
それにしても、今日は本当にいい休日だ。
天気はいいし、平和だし、ご飯は美味しいし……目の前にはイルミがいるし。
幸せだ。
注いでもらった二杯目のワインに口をつけたとき、イルミの胸元で小さな電子音がした。
彼の表情が、にわかに厳しくなる。
「家から?」
「そうみたいだ……ごめん」
「いいよ。席、外そうか?」
「いや、海月はここにいて。すぐに戻るよ」
「うん!」
わかった、と微笑む私に、イルミはなんとも言えない複雑な表情を残して去っていった。
「……もしかしたら、今回のデートはこれでおしまいになっちゃうかもしれないな」
イルミは、他人にほとんど連絡先を明かさない。
例外なのはヒソカさんくらいだ。
ヒソカさんは、原作の通りなら、今頃はヨークシンを目指して飛行船の中でくつろいでいるころだから……さっきの電話は、家からの可能性が高い。
急な呼び出しなら、もしかしたら、今すぐにでもイルミは――
「……残念、だけど、でも、充分楽しかったから、いいや」
グラスの底に残ったワインを飲み干して、立ち上がる。
見晴らしのいいテラスからは、海に浮かぶ港町の風景が一望できた。
青い海原に、白壁の町並みが眩しい。
すっきりと吹き渡る潮風が、胸の中に広がっていく悲しみや寂しさを、不思議と和らげてくれるような心地がした。
大丈夫。
これが最後の機会ってわけじゃないんだから。
オークションは、また今度にでも一緒に行けばいい。
楽しみが、少し先に伸びるだけのことだ――
そう、呟いた時。
後方で、あっと小さな声が上がった。
「ん?」
振り返ると、男の子が地面に倒れている。テラスに敷かれた石畳に躓いて転んだのだろうか。その子の手元から、青い風船がふわり、と空へ舞い上がった。
「ぼくのふーせん……!」
“見えない助手達(インビシブル・テンタクル)”。
私のオーラから紡がれた透明な触手は、発動した瞬間に素早く伸びて、風船の紐に巻き付いた。
風に流されたふうを装って、その子の手元へ返してあげる。
うーん……我ながら、ちょっと不自然だったかも知れないけど。でも、その子は目の前に降りてきた風船を飛びつくように受け取って、母親らしい女性のもとへと笑顔で駆けていった。
「よかった、喜んでくれて」
ご苦労様、テンタ君。
伸ばしっぱなしになっていた触手を、しゅるしゅると回収した時だ。
つい先程までイルミが座っていた席に、別の男性が腰掛けていることに気がついた。
「あれ……あの人」
何故だろう。
どこかで見た覚えがある。
クセのない短い黒髪。
体型はどちらかといえば細身で小柄……シンプルな白のシャツに、黒のジャケットとスラックスを合わせている。
その人は、イルミの飲みかけていたグラスがあるにも関わらず、空席だったそこにゆったりと腰掛け、頬杖をついていた。
視線は、手元に置かれた本の頁に注がれている――それが、ふいに私を向いた。
瞬間、
「――っ!?」
頭から冷水を浴びせられたかと思った。
「ク……!?」
危うく叫びそうになったその名前を、すんでのところで飲み込めたのは幸いだった。
頬杖をついていた彼の手の平が離れ、その下から青く大きな宝石のついたピアスが現れる。
……ま。
間違いない。
見間違えるはずもない。
でも、どうして。
どうして、よりにもよってこんな時に、この人と出会ってしまったのだろうか――