6 やって来ました、ヨークシンシティ!

 

 

 

 

 

 

リンゴーン空港からバスで30分。

 

 

 

 

 

色々あった末、ようやくヨークシンシティ中心街へ到着した私は、バスの出口が開くなり、外へと飛び出した。

 

 

 

 

 

「ヨークシンだ―っ!!」

 

 

 

 

 

 

「海月。はしゃがない、走らない。ちゃんと足元見てないと、転ぶよ」

 

 

 

 

 

 

「うわあっ!」

 

 

 

 

 

 

「……言ってる側から」

 

 

 

 

 

 

側溝に足を引っ掛けて、派手にすっ転んだ私を見下ろしつつ。イルミは落ち着いた足取りで、バスの昇降口を降りてくる。

 

 

 

 

 

だってだって! そんなこと言われたって、この興奮は収まらないよ。空港からここに来るまでの間中、バスの車窓からオークション開催に向けてお祭り騒ぎに賑わう街の様子をずーっと眺めてたんだもん。

 

 

 

 

 

時刻はお昼前。

 

 

 

 

 

すっきりと晴れた、秋晴れの空の下。街の通りは蚤の市を楽しそうに眺めている人たちでいっぱい。

 

 

 

 

 

路肩には、美味しそうな食べ物を売る露天がところ狭しと並んでいる。

 

 

 

 

 

それになりより、

 

 

 

 

 

「しょうがないじゃない~、イルミとちゃんとした街デートなんて、久しぶりなんだから」

 

 

 

 

 

「えっ」

 

 

 

 

 

「なに? その「えっ」っていうのは」

 

 

 

 

 

「そっちにはしゃいでたんだと思って。俺はてっきり、バスの窓から見えてた露天の食べ物に興奮してるんだとばかり」

 

 

 

 

 

「失礼な!! ゴンを前にしたヒソカさんじゃあるまいし、いくらなんでもそれは酷いよ! 私だって、イルミとデートするのをずっと楽しみにしてたんだよ!?」

 

 

 

 

 

 

「うん、ごめんね」

 

 

 

 

 

 

「ダメです怒りましたー。許してほしかったら、さっきバスで曲がった角にあったクレープ屋さんで、チョコバナナクレープ奢ってよね!」

 

 

 

 

 

 

「……やっぱり、食べ物に興奮してたんじゃないか」

 

 

 

 

 

 

むう、と不服そうに唇を尖らせるイルミである。

 

 

 

 

 

 

さらに彼は、眉根にシワを寄せ、不満一杯の表情で私を見下ろした。

 

 

 

 

 

 

「そもそもさ、デートに行く格好じゃないよね。それ」

 

 

 

 

 

 

「へ?」

 

 

 

 

 

 

「その服。海月がいつも仕事に行くときに来てる作業着だろ?」

 

 

 

 

 

 

「作業着」と、再度低い声で繰り返され、ひょいと自分の姿を見下ろして――あちゃあ、と舌を出した。

 

 

 

 

 

「……あ、あはは。ほんとだ~、いっつも出かけるときはコレ着ていくもんだから、つい……ご、ごめんねー、イルミ。お洒落してなくて……」

 

 

 

 

 

ああ、まずい。

 

 

 

 

 

イルミの周りの温度がどんどん下がっていくぞー。

 

 

 

 

 

昨日の夜はオークションに行くことと、空母のことで頭がいっぱいだったから、服を用意するときもついついいつものクセで、いつもの服を着ちゃったんだよね……冷や汗でダクダクになりながら、改めて目の前のイルミの格好を見て愕然とした。

 

 

 

 

 

ハイネックの、黒のリンネル地のノースリーブ。

 

 

 

 

 

深いネイビーの薄手のジャケット。

 

 

 

 

 

細いチェックの入ったグレーのパンツに、秋らしいキャメルのローファーなんかを合わせているイルミってば、殺し屋さんの癖にお洒落さん……!!

 

 

 

 

 

対する私は――暗殺一家ゾルディック家特別仕様、水陸兼用セーラー服型マリンワーカー。

 

 

 

 

 

「……ううっ」

 

 

 

 

 

「ねえ、海月。8月末って言ったらもう秋も近いよね。それなのに、デートにセーラー服の作業着ってどういうこと? デートに作業着ってどういうこと? ねえ、デートに作業着って一体どういうことなのか分るように説明してもらえるかな」

 

 

 

 

 

「ごっ、ごめんイルミ! わ、悪気があったわけじゃないんだー、ただ、ほら、い、いつものクセっていうか、ほぼ毎日着てるものだから、条件反射で袖を通しちゃったっていうかっ!!」

 

 

 

 

 

「ふーん。俺もほぼ毎日着てるけど、間違ってもデートの当日に暗殺服を着たりしないよ」

 

 

 

 

 

「ごめん~っ!! お詫びに、後でケーキ奢ってあげるからっ、イルミの好きな“ガレット・デ・ロワ”の、ラズベリーチーズケーキ!」

 

 

 

 

 

「それだけじゃダメ。俺も怒っちゃった。許してほしかったら、俺の選んだ服着てデートしてよね」

 

 

 

 

 

「え、それってつまり――うわあ!」

 

 

 

 

 

ぐい、と三角襟を引っ掴み、いつにもまして強引にメインストリートを突き進んでいくイルミである。

 

 

 

 

 

い、嫌な予感……イルミの選ぶ服って言ったら、やっぱり……?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                     ***

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「この棚の、右から左まで全部下さい」

 

 

 

 

 

 

「ありがとうございま~す!」

 

 

 

 

 

 

「ちょーっと待ったあああああああああああああああああああ――っ!!」

 

 

 

 

 

 

ウィン、と開く自動ドア。

 

 

 

 

 

 

大都会ヨークシンの中心街にして一等地、私の世界で言うところの東京銀座に値するようなラグジュアリーな通りに軒を構える、私の世界で言うところのエルメスに相当するような超高級ブティックからイルミを引っぱりだした私は、「痛いなー、なにするのー」と唇を尖らせる金持ちのぼんぼんの鼻先に、人差し指を突きつけた。

 

 

 

 

 

 

「棚ごと買わない! 店ごと買わない!! あと、同じデザインの服を色違いで全部揃えるのもなしで! 勿体無いでしょ!?」

 

 

 

 

 

「別にいいじゃない、俺の稼いだ金なんだから。どう使おうが、俺の勝手だろ? 大体、何も勿体無くなんてないよ。海月のデート服になら、預金全部使ってもいいと思ってるし」

 

 

 

 

 

「そんなに服ばっかりあっても仕方ないでしょ!? 無駄遣いしないの!!」

 

 

 

 

 

 

身体は一つしかないんだから……もー、と睨みつけても、イルミはイルミで不満気だ。

 

 

 

 

 

眉の角度がいつもより五度高い。

 

 

 

 

 

まったくもう……イルミと付き合うようになって半年以上経つけど、相変わらず、こういう所はぴったり来ない。

 

 

 

 

 

価値観、というか、金銭感覚の違いっていうか……。

 

 

 

 

 

まあ、相手は世界長者番付の上位ランキングに位置するゾルディック家の稼ぎ頭。その年収は聞くのも怖いくらいに計り知れないわけで――対する私は、駆け出しハンター兼大学講師。

 

 

 

 

 

夢の空母を手に入れるため、コツコツ貯金してはいるけれど、大体の報酬は右から左。研究費や研究施設の維持費へと消えていってしまう。

 

 

 

 

 

だから自然と、いらないものには極力お金を使わなくなっちゃったわけで……ううっ!

 

 

 

 

 

衣類や宝飾品なんて、その筆頭なんだもん……!!

 

 

 

 

 

さっき、チラッと値札見たけど、ワンピース一枚が45万ジェニーってなにそれゼロの数間違ってるんじゃないですかああああ――っ!!?

 

 

 

 

 

「無駄? ふーん。俺とのデートに海月が着るための服を買うのが、無駄遣いだっていうんだ」

 

 

 

 

 

「違います! 必要以上に買い込むのが無駄遣いだって言ってるの!」

 

 

 

 

 

互いの主張を一歩も譲らない押し問答。

 

 

 

 

 

このままではデート開始早々、喧嘩別れしかねない。そんな雰囲気になることを察し、私はイルミの手を取って、近くの路地に無理やり引きずり込んだ。

 

 

 

 

 

向い合って、きちんと目を見つめて言う。

 

 

 

 

「イルミ、あのね。イルミが沢山お金を稼いでるのは知ってるよ。その為に、毎日危険な目にあってるっていうのもね。そのお金を、私のために使ってくれるっていうのは、すっごく嬉しいと思ってる」

 

 

 

 

 

「……そう。だったら、なんで使わせてくれないの?」

 

 

 

 

 

「使わないでって言ってるんじゃないよ。ただね、そうやって買ってもらったものは大事にしたいの。キキョウさんが、シルバさんに初めて買ってもらったドレスを今でも大事にしまってるみたいにね。だから、沢山はいらないの」

 

 

 

 

 

「……」

 

 

 

 

 

「一着でいいの。私に一番似合うと思う服を、イルミが選んで。そしたら私、その服を一生大事にするから」

 

 

 

 

 

「……」

 

 

 

 

 

イルミは大きな目を見開いて、暫くの間、じっと私を見つめていた。

 

 

 

 

 

その闇色の中に、さきほどまでの怒りの色はない。

 

 

 

 

 

イルミにしてはとても無防備な――一般の人間でいうところの、ぽかん、とした反応だった。

 

 

 

 

 

でも、やがて、ぱちぱちと瞬きし、

 

 

 

 

 

「分かった。今日のデートに着ていく服を、一着だけ選んで買ったらいいんだね」

 

 

 

 

 

「うん! 分かってくれてありがとう。大事にするからね」

 

 

 

 

 

「うん」

 

 

 

 

 

イルミはこっくり頷いて、ちょっとだけ目を細め、私の額にキスをした。

 

 

 

 

 

「じゃ、行こうか」

 

 

 

 

 

「うん! あ。で、でも、さっきのお店の服はちょっと――」

 

 

 

 

 

いくらなんでも値段が高すぎるっていうのは勿論なんだけど、デザインがこう……大人っぽすぎるというか、ファッショナブルすぎるというか、前衛芸術的といおうか。

 

 

 

 

 

「どうして。気に入らなかった?」

 

 

 

 

 

「いや……せめて、どこが袖でどこが襟なのか、分るような服がいいなって。あ、あと、スカートはタイトすぎず、変なスリットが入ってないのがいい!」

 

 

 

 

 

「流行りなのに。まあいいや、海月がそう言うなら、別の店を探そう」

 

 

 

 

 

うんっと頷いた私の手をとって、路地を出る。手をつないだまま、ファッションビルの立ち並ぶメインストリートをブラブラしている途中、イルミが私を振り向いた。

 

 

 

 

 

「そういえば、俺、海月の趣味ってよく知らなかった。具体的には、どんなデザインがいいの」

 

 

 

 

 

「へ? えーっと、そうだなあ。うーん……陸用の普段着なんて滅多に着ないから、いまいちピンとこないんだけど――」

 

 

 

 

 

しいて言うなら、動きやすいのがいい。

 

 

 

 

喉の奥まで出かかったその言葉を、慌てて飲み込んだ。

 

 

 

 

ダメダメ。選んでもらうのはデート服なんだから、仕事のことは考えないようにしないとね。

 

 

 

 

でも、、そうなると、どの服も本当にピンとこない……。

 

 

 

 

 

「マネキンが着てると、どの服も可愛いんだけどなぁ。いざ自分が着るとなると、全然イメージが湧かないよ。イルミは、どんな服が似合うと思う?」

 

 

 

 

 

「俺? そうだな……さっきは、ちょっと大人っぽい服を着させてみたいって思ったんだけど。一枚だけって言われると、もっと可愛いのを選びたくなってきた」

 

 

 

 

 

「か、可愛いのって……やめてよ、キキョウさんみたいなフリルいっぱいなのは!」

 

 

 

 

 

「あれはやりすぎだよ。そうだな、例えば――

 

 

 

 

 

石畳を進み、大きな十字路にさしかかったところで、イルミが足を止めた。

 

 

 

 

 

「どうしたの?

 

 

 

 

 

「見つけた。ああいうのは、どう?」

 

 

 

 

 

イルミの指差す先には、青々とした木蔦が綺麗な、木造風の洋服屋さん。

 

 

 

 

道に面したショーウィンドーに、秋らしいツイード地のワンピースが飾られている。

 

 

 

 

色は淡いピンク。丸い襟周りにはパールの刺繍。腰の辺りにサテンのリボン飾りがあって、その下に繋がるアイボリーホワイトのプリーツスカートが大人っぽくて、でも、とても可愛い。

 

 

 

 

 

洋服を衝動買いなんて、一度もしたことのない私だけど、このワンピースはひと目で気に入ってしまった。 

 

 

 

 

 

「可愛い……!」

 

 

 

 

 

「うん。決まり。あれにしよう」

 

 

 

 

 

こっくり頷き、イルミは私の手を引いて、店内へと入っていく。

 

 

 

 

 

うわあ、可愛いインテリア。

 

 

 

 

 

置いてある洋服はもちろんのこと、店内にはいたるところに花や動物をモチーフにしたアンティークが置かれていて、とってもお洒落だ。

 

 

 

 

どの洋服も、品数は少なめ。でも、着心地やデザインに拘って、とても丁寧に作られているのが、私の目にも分かる。

 

 

 

 

さっき、イルミに連れられていったハイブランドなお店とは雰囲気が少し違うけど、オリジナルブランド、と言ったらいいんだろうか。

 

 

 

 

 

こだわりの分だけ、わりといいお値段がしそうだ。

 

 

 

 

 

値札次第ではドアの外へ猛ダッシュしようと考えていた私の肩を、しかし、イルミの手にガッシリと掴まれた。

 

 

 

 

 

「させないよ。もう俺、あのワンピースにするって決めたんだから。さ、試着してみて」

 

 

 

 

淡々と言いながら、側に寄ってきた店員さんにはしっかりと、「あそこに飾ってあるワンピース下さい」とおっしゃるイルミ様である。

 

 

 

 

 

ううっ! 試着して似合わなかったらどうするの……!

 

 

 

 

 

ほんとに……どうしよう。不安いっぱいで入った試着室だけど、袖を通した途端、そんな懸念はどこかに吹き飛んでしまった。

 

 

 

 

 

「あ……い、意外と大丈夫……かな? よかった~」

 

 

 

 

 

「海月、着た?」

 

 

 

 

 

「あ、うん! 今、出るから待ってね」

 

 

 

 

 

腰のくびれがあんまりないデザインだから、着やすいし、楽だし、でもきちんとして見える。動く度に細かいプリーツがふわっと広がって、上品で可愛い。

 

 

 

 

 

うん。これなら、イルミとデートするのも、ドレスコードのあるオークション会場に行くにも大丈夫!

 

 

 

 

 

お待たせ、と試着室のドアを開けた私を、イルミはしばらくじっと見て、うん、と頷いた。

 

 

 

 

「いいね。よく似会ってる。それじゃあ、この靴を履いて、この帽子を被って、ついでにこの時計とポーチを持って、デートに行こうか」

 

 

 

 

「は……へっ!? ちょちょ、ちょっと待ってイルミ! これってワンピースより高いんじゃ」

 

 

 

 

「いいんだよ。だって、海月の靴やバックじゃ、このワンピースに合わないだろ?」

 

 

 

 

 

全部必要なものだと思うけど。と、無表情におっしゃるイルミの言葉は正しくて……確かに、もともと私が履いてきた靴や、持ってきたバックじゃ、ちぐはぐになっちゃう。

 

 

 

 

秋らしいワンピ―スには水陸兼用のマリンブーツよりも、イルミとお揃いのキャメルのショートブーツ。華奢なゴールドの腕時計。アクセントにカンカン帽と、真っ赤なエナメルのポーチを合わせるべきであると思う。

 

 

 

 

 

今更だけど、イルミって洋服のセンスいいなあ……。

 

 

 

 

 

それに比べて、

 

 

 

 

 

「これでよし。まだまだ昼間は暑いから、羽織るものは薄手でいいよね。そこのネイビーのカーディガンも下さい。今すぐ着ていくから、値札は全部はずしてね」

 

 

 

 

 

「……イルミ」

 

 

 

 

 

「無駄じゃないよ。いる物しか買ってないし。あとは……そうだな。ショールを一枚用意しておこうか」

 

 

 

 

 

「……」

 

 

 

 

 

「海月? どうしたの。もしかして、このワンピース、気に入ってなかった?」

 

 

 

 

 

「ううん、そうじゃなくて……なんか、申し訳なくて。ごめんね、せっかくのデートなのに、私がお洒落してなかったから、迷惑かけちゃって」

 

 

 

 

 

「そう思うなら、次から気をつけてよね」

 

 

 

 

 

「……うん」

 

 

 

 

 

ごめん、と俯く私を、冷ややかに見下ろしていたイルミだけど、ふいに、「なんてね」と、ぺろっと舌を出した。

 

 

 

 

 

「ま、海月の場合は私服で過ごす機会が少ないんだから、流行にうとくっても仕方ないよ。なにかっていうと、金持ち連中に紛れなきゃいけない俺とは違ってね。だから、あんまり気にしないで」

 

 

 

 

 

「イルミ……!」

 

 

 

 

 

「泣かないの。さ、せっかくお洒落したんだから、しっかり遊びに行こう。オークション前に、下見にも行かなきゃいけないんだろ?」

 

 

 

 

 

「うん!」

 

 

 

 

 

笑顔で頷いた私の手をとって、イルミはいつになく軽やかな足取りで、洋服店を後にした。