……ど、どうしよう。
まさに、蛇に睨まれたカエル状態。
動くどころか、瞬きさえもできないまま、一体どれくらいの間この場に立ち尽くしていただろうか。
完全にひきつった顔の私を、問題の青年は面白そうに……いや、値踏みするかのようにじっと見つめてくる。
その……黒目がちで大きな垂れ目から目が離せない……!!
どどどどどどうしようどうしよう!!
HUNTER世界トップクラスの危険人物である彼と、なんでこのタイミングでバッタリ出くわしちゃったのかは知らないけれど、これは絶対怪しまれてるよ!
もはや修正も誤魔化しも効かないレベルに怪しまれてるよ--!!
「――ねえ、君」
「……っ!? あ、は、はいっ!」
よっしゃああああ!!旧盤の永野さんボイス!!
……なんて、そんな風に喜んでる場合じゃないな、うん。
頭から爪先まで汗びっしょりになった私を青年はぴしりと指差し、その人差し指を、くい、と曲げて、招く仕草をした。
「いつまでもそんな所に立ってないで、座ったら?」
「へ!? あ、は、はあ……あの、でも、その席は……」
青年には、全くと言っていいほど敵意がない。
その正体を知っている私でさえも、もしかしたら人違いなんじゃないだろうかと疑ってしまうほどのくつろぎっぷりで、昼下がりのコーヒーブレイクを堪能しておられるのである。
ひょっとしたら人違い……ってことは流石にないだろうけど。少なくとも、ここで出会ってしまったのはただの偶然だったりして。
だって、ここはヨークシンなんだし、オークションのお宝目当てにやって来た幻影……ほにゃららの誰かさんが、優雅にお茶してたって不思議ではない。
――よし。それなら、こちらも自然体を装ってスルーだ!
「ももも戻ってくる人がいて、その人を待っているので……く、くつろいでおられるところ、大変申し訳ないのですが……その、お席をは、外していただけたらなあなんて」
「……」
しどろもどろに伝えてみると、青年は意外にもきょとん、とした顔になった。
でも、すぐに破顔する。
あははっと、まるで年端もゆかない少年のような、屈託のない笑顔だった。
「ああ、そうなんだ。ごめんごめん。昼時だから、空いてる席が他になくってさ」
「はあ……」
「なんてね」
「……っ!」
くっと、青年の口角が意地悪そうにつり上がった瞬間、それまで頭の中でシュミレーションしていた最悪の事態が、まぎれもなく現実のものであるのだと理解した。
真っ白になっていく頭の中に、どこか楽しげな青年の声が響く。
「イルミから聞いたよ。君、彼の婚約者なんだってね。どうしても会って、話をしてみたくってさ。だから、今、君が察している通り、これは偶然の出会いなんかじゃないんだ」
「あ、あなたは……」
「俺の名はクロロ・ルシルフル」
ぱたん、と読みかけの本を綴じ、青年は長い足をゆったりと組み直した。
「幻影旅団、蜘蛛の悪名は聞いたことがあるかな。俺はその頭なんだけど――その様子だと、イルミからは何も聞いていないようだね」
「……イルミと、何か話をしたんですか?」
「まあね。とはいっても、彼はほとんど教えてくれなかったから、個人的に色々調べてみたんだ。……まあ、立ち話もなんだから大人しく座りなよ。俺もこんな真っ昼に騒ぎなんて起こしたくないからさ」
にこやかーに微笑みながら、正面の席を指し示す青年――クロロ・ルシルフル。
表面上はあくまでも穏やかに、けれど、有無を言わせない圧力をもって。
昼時のカフェテラスには、益々人が増えている。
こんな所で騒ぎを起こせば、どれだけの人が巻き込まれるか――仕方ない。ここは素直に従うのが得策だろう。
「……分かり、ました」
頷いて、私は震える足を何とか動かし、促されるまま席へ腰掛けた。
できるだけ、時間を稼ぐんだ。
大丈夫。すぐにイルミが帰って来てくれる。
それまでの辛抱だ……!
「デラックスプリンパフェを、ダブルで」
「畏まりました」
――って、うおおおおう!!
この人、こっちのそんな内心にも絶対気がついてるくせに!!
近くにいた店員さんにプリンパフェとか注文するクロロこの野郎!!
これはあれだよ……ヘタするとヒソカさんよりタチが悪いよ。
ヒソカさんより意地悪で、イルミより陰湿マイペースなサディストと見た……!
「君も、何か頼む?」
「え!?おおおおお水でいいですっ!」
「遠慮しなくてもいいのに」
「結構ですから!あ、あの……それより、私に話って何ですか」
「……そうだな」
ふっと、息をつくように微笑んで、クロロは運ばれてきたプリンパフェをひとすくい、口に含んだ。
「ポー」
「――っ!?」
「――って、いうんだろ、君の名前。さっきも言った通り、君についてはこちらで色々と調べさせて貰った。とある孤島で行われた、ゾルディック家花嫁候補の選抜の儀のついてもね」
「ええっ!? それってもしかしなくても、ラブハリケーンアイランドで開催された、あの披露宴のことですよね?」
「ああ。各地で名のある暗殺名家、その令嬢100人をほぼ全員、再起不能にしたなんてたいした腕じゃないか。流石はあのイルミが――いや、暗殺一家ゾルディックが認めた正式な婚約者だ。そんな君がイルミと共に、この街に何をしに来たのか。それを、聞かせてくれないか」
肘をテーブルに付き、組んだ両手に顎を乗せて、クロロは訪ねてくる。
気のせいだろうか、その瞳が、ひたひたと底光りしているように思えるのは。
え、ええい、こうなったら仕方がない。
もとより、こちらには後ろめたいことなんて何もないんだから。
本当のことを素直に話して、彼の好奇心を満たしてしまおう。
「な、何をしにって……私たちはただ、二日後に開かれるヨークシンオークションに参加しに来ただけですよ。その、観光も兼ねて」
「ふぅん」
……うわあ、含みのある笑顔。
信じてない、これは全く信じてないな。
「ほ、本当ですって!」
「誰も嘘だなんて言ってないじゃないか。ちなみに、お目当てのお宝は何かあるの?」
「え?えーっと、そうですね。まず、化石オークションに出品されるシファクティヌスの全体化石。これは絶対に競り落としたいです。あと、興味のあるところではリオプレウロドン。リヴィアタン・メルビレイの下顎化石とか、他には、真偽のほどは不明ですが、リードシクティス・プロブレマティカスの頭部の部分化石が出品されるらしいので、それも是非」
「……」
「あ、あとあと!最近、あのハルキゲニアの尾だと思われていた化石に小さな目と歯が確認されたっていう発表があったんですよ!これは是非とも状態のいい全体化石を入手して個人的にも復元と解析を行いたいと――」
「ちょっと待って」
「あ、は、はい。何か……?」
はたと気がつけば、目の前にいる蜘蛛のお頭さんが、何やら複雑そうな表情をして私を見ていた。
彼の大好物らしい卵たっぷりの焼きプリンも、パフェのてっぺんで揺れたままだ。
……あれ?私、何か今まずいことでも言っただろうか。
「それは……何だ?」
「えっ!? な、何って……化石の名前ですよ。カンブリア紀からデボン紀、ジュラ紀にいたるまでの海洋生物の。普段はめったに市場に出回らないものが、博物館の閉鎖や個人のコレクションからの売却によって、ここのオークションに集まるみたいで。だから、何が何でも絶っっ対に手に入れたいんです!あ、あと、戦艦オークションに出品される船も欲しいんですよね。海洋研究用の、調査船として」
「……」
「あ、あの……私、何か気に障ることでも言ったでしょうか」
ひたと私を見つめたまま、めっきり黙りこんでしまったクロロ・ルシルフルである。彼の身体から滲み出るオーラは相変わらず静かだけれど、それゆえに底知れない。
妙に重い沈黙が、どのくらい続いただろうか。
ふいに、黒い瞳がぱちっと瞬きした。
「意外だ。いや、予想外だ。しかし……いや、やはりと言うべきか、一筋縄ではいかない女のようだ」
「はあ……?」
「まあいい……予想外の女……それもまた一興、といったところか。わざわざこうして出向いたかいがあったというものだ」
眦を細め、くっくっく、なんて楽しそうにほくそ笑んでおられるクロロ団長さんは、もう完全に蜘蛛の頭領のそれである。
ば、化けの皮が剥がれてるよう、怖い!!
イルミは全然帰ってこないし、姿も見えないし……ええい、こうなったらもう!
「そ、そういうことなので、今からまた下見に行かないと!イルミったら全然帰ってこないし、心配だから探しに行ってきます。テーブルは好きにつかてもらって構いませんので、それじゃあごゆっくり!!」
「待――」
制止の声は聞かないふりで、席を立つなり猛ダッシュを決めた私なんだけど、数歩も行かないうちに壁にぶち当たった。
壁?
い、いや違う!
そこにいたのは、紛れも無く人だった。とんでもなく分厚い胸板を、黄色いアロハシャツに包んだ大男。見上げた空をバックに、ヤマアラシのように立った銀髪をなびかせたその人は、いかにもガラの悪いサングラス越しに私を見下ろして、大きな歯を見せ、ニッと笑った。
「おう、団長! 話に聞いてた殺し屋の嬢ちゃんってのはこいつか?」
「ああ、いい所に来たな、ウボォー。ついでに捕まえておいてくれ。危うく逃げられるところだった」
「ハッ!相変わらず、妙なところが抜けてんなあ」
「!!?」
ガッシ、と、すぐさま両腕を鷲掴みにしてきた手の、その大きさに、再び心臓が飛び上がった。
で……でっかい……!!
想像していたよりもずっと……!!
幻影旅団ナンバー11、ウボォーギン!!
「それにしても、ずいぶんとひょろっこい姉ちゃんだな」
「……!?」
気だるげな声。ふらり、とウボォーギンの背後から現れた東洋系の男性は、ノブナガさんだ……!
しかも、私服バージョン!!
ラフなシャツにジーンズ、ベルト穴に通した日本刀は見ないふり。
下ろした黒髪は、イルミに負けず劣らずのさらっさら具合で、海風になびいている。
さ、更に更に、その背後から――
「あ、いたいた!おーい、ウボォー!ノブナガ―!」
「あれ、団長もいるよ?」
「本当だね。……てことは、あれが例の女かい」
うわあああああああああ本物だああああああああ――っ!!
爽やか金髪美青年、シャルナーク!
毒舌眼鏡っこ、シズクさん!
そして、ジャージ姿も麗しいマチさんだ―――!!!
な、なんて豪華な顔ぶれか。
本物の、幻影旅団の皆様が今、目の前に……!!
怖い……!怖いけど嬉しいいいいいいいいい―――ー!!!!
ああ、なんか懐かしいよ、この感じ。思えば、この世界に飛ばされてからというもの、ゴンやキルアといった主力メンバーをはじめ、イルミに会ったりヒソカさんに会ったり、ひょんなことからゾルディック家の皆様にお会いしたり、ウィングさんやビスケさんに修行してもらったり、色々としてきたわけだけど。
最近は悪い系の本編キャラクターとの出会いって、あんまりなかったわけ。
思えば、ゾルディック家以来ってことか。この全身が震えつつも高揚していく感じ、久しぶりだ。
ヨークシン編……ここは、新たな山場なんだ。序盤から悪役買ってたヒソカさんに加え、HUNTER世界屈指の最強キャラクター、幻影旅団13名がズラッと出そろうわけですよ……そして、私はそんな世界に飛ばされてきたんだもの。
バッタリと出会って、ガッシリと捕まってしまうこともあるのですよ、ええ。
こんな風にね!!
高ぶる胸の内を悟られまいと、必死こいて平常心を装う私を、シャルナークが青い瞳で覗き込んできた。
「あ!どこかで見たことがあると思ったら、さっきケーキ屋にいた女の子だ」
「へ?」
ケ、ケーキ屋さん……?って言ったら、ガレッド・デ・ロアのことだろうか。でも、あそこで誰かに会った覚えはないんだけど……まさか。
「ああ、本当だね。遠目から見てただけだけど、この女に間違いないよ」
「うん。てことは、この子と一緒にいたあの男が、悪名高いゾルディック家の長男、イルミ・ゾルディックか……港の監視カメラの映像では、よく顔が見えなかったから気が付かなかったよ」
「え?なんのこと?私も一緒にケーキ屋さんに行ったけど、こんな子知らないよ?」
「何行ってるんだよ、シズク。三人であれだけジロジロ見てたじゃないか。相手の男が紫色で、エノキだらけで、カタカタいってて不気味だっただろ?」
「そんな男の人、いるわけないじゃない。なに馬鹿なこといってるの、シャル」
「……えーと」
「無駄だよ、シャル。シズクは一度忘れたことは思い出さないからね……さて、ウボォー、代わって。アタシが縛るよ」
言うが早いか、マチさんの指先から極々細いオーラの糸が、スーッと伸びた!
こ、これが念糸……こんな間近で観察できる日が来るだなんて……!
い、いやいやいやいや、呑気に感激してる場合じゃない。これ以上もたもたしてたら、本気で逃げられなくなる。
イルミが戻ってくる気配は相変わらずないし、ええい、こうなったら仕方ない第二弾!
「“驚愕の泡(アンビリーバブル)”!」
「――何っ!?」
狙うはコップの中、並々と注がれたお水!
特質系である私のオーラは、水見式を行うと水風船のように水をくるんで膨れ上がる性質があるわけだけど、その水の泡の捕食能力を高めてみるとどうなるかというと……!
「ガボッ!?」
「団長っ!?」
水を含んでぷるんと膨らみ、ツルンと滑る!近くに強力なオーラの主を見つければ、引っ付いて捕食する特質を持つ!
この場合、最も近くにいた団長さんが水の泡の犠牲者となった模様である。
スイカ大に膨らんだ水の泡を顔に貼り付けて、ガボガボと面白いように溺れる幻影旅団団長、クロロ・ルシルフル……!
驚いたシャルナークが、クロロの肩に足をかけ、泡をひっぺがそうと必死になるけれど--
「何だこの泡……!?団長の顔に張り付いて、と、とれない……!!」
「念だよ! くそっ、この女―ーウボォー!? さっきの女は!」
「な……っ!? い、いねえ……さっきまで腕を掴んでたはずなのに、どこにもいねぇ!」
「この筋肉馬鹿が!!ッチ、仕方ねぇ、追うぜ!!」
「ダメだよ、ノブナガ!!団長を助けるのが先だ……っ!そうだ、シズク、デメちゃんで吸い込んでくれえええええっ!」
「デメちゃんはー、生き物は吸えないよ―!」
「生き物じゃないだろこれ―――ー!!?」
「えー、だって、動いてるじゃない」
てんやわんや大作戦、大成功!!
私はといえば、土壇場に乗じて腕を軟体化、ウボォーギンの拘束をぬるりと逃れ、すかさず“嘘つきな隠れ蓑(ギミック・ミミック)”を発動!
さっきイカを食べたかいもあって、なめらかに姿を消した私は、今度という今度こそ、猛ダッシュで幻影旅団の皆さんのもとを離れたのでした……!
い、イルミめ……!
今度会ったら土下座させてやるううううううううううううううう――!!