心臓の音がうるさい。
長く、暗い通路の向こうに、闘技場の光が見えている。
割れんばかりの喝采が聞こえる。
数千人もの声が、ひとつの巨大な響きとなって空気を伝わり、私の肌が、チリチリと火であぶられるように震え出した。
怖い。
瞬間、私の右手を引いていた、大きな手のひらに力がこもる。
暗闇の中でイルミが私を見ている。
「大丈夫。やれるよ」
「イルミ」
「海月は俺が守るから」
「……ありがとう。私も、イルミのことを守るよ。一緒に、海に潜ったときみたいに。シルバさんにもキキョウさんにも、傷つけさせたりしない」
「……」
大それた言葉だったのかもしれない。
けれど、自然と心の底から浮かび上がったその言葉に、イルミは黙って頷いてくれた。
「行こう」
「うん!」
***
『レディース、エーンド、ジェントルメ―――――――ンッッ!!!これより開始いたしますのはぁ、天空闘技場始まって以来の大決戦!!昨日、一度は敗れたラン&シロガネ選手チームが、大胆にも宣戦布告!!ポー&イルミ選手チームに対するリベンジマッチ!!ネット上で販売されたチケットは、発売からわずか一秒で売り切れたという、まさに、伝説に伝説を重ねる彼等!!それを、実際に観戦できる貴女、貴方、そこのアナタ!!あなた達は幸運で―――すっっ!!!』
「ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ----------------------------!!!!」
わあ。
耳が痛い。
「相変わらずだね。でも、ポーがしてくれた『コレ』のおかげで、騒音が緩和されてるよ。でも、本当にポーの負担にはなってないの?」
「大丈夫。リングに上る前にも説明したけど、『コレ』はイルミのオーラをほんのちょっとずつ吸い取って発動してる念能力だからね。まだ試作品だけど、ゼノさんとマハさんを相手にしたときには上手くいってたし、それに、イルミのオーラは操作系の特徴をもっているから、この技とはすっごく相性がいい。でも、邪魔になったら言ってね。すぐに解除するから」
「ならないよ」
きっぱり言って、イルミは私の頭をポンポンと撫でた。
途端、客席からキャアアアとも、イヤアアアアともつかない悲鳴絶叫が飛んできた気がしたけど……うう、なんかすみません。
でも!
そんな声は、次に試合会場へ現れた二人への歓声にあっというまにかき消されてしまった。
おおおお!!!
来た来た!!
「ついに!!ついに姿を表しましたあ―――――っ!!!!皆様、お待ちかね!!ラン&シロガネ選手の入場でーーーーーーーーーーす!!!!」
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああラン様ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」
「いやああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああシロガネ様あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」
『思い返すこと24時間前、100階闘技場でのあの悲劇のワンシーン……イルミ選手の鋭い蹴りに、左腕を骨折してしまったラン選手っ!会場は騒然、試合は一時中断に追い込まれました。しかし、痛みに苦しむ恋人の姿に、シロガネ選手は反則と知りながらも、イルミ選手に報復の鉄槌を……!!っかー!!愛です!!これを愛と言わずして、何を語れましょうか―――――――っっ!!!!!』
「うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ――――!!!」
「……うるさいな」
「あはは。まあ、わかってはいたけど完全にこっちが悪者だよね」
抱いて、なじって、叩いて、踏んで、犬にブタに鶏にしてくださいと、もうわけの分からないことまで叫びだした観客の皆さんはもう、興奮の嵐。
昨日と同様に、ランさん……に扮したキキョウさんと、シロガネさんに扮したシルバさんは、リングに上がる直前で姿を消し、音もなく、私とイルミの正面に現れた!
チッと、イルミが舌打ちをする。
「ほんと、若作りしすぎ」
「なんのことだ?」
にんまりと笑みを深めるシルバさん……今日は、今日の戦闘服は!
「やったー!!今日はシルバさ……シロガネさんもチャイナ服なんですね!」
ちなみに、キキョウさんは艶やかな深紅のチャイナドレスに網タイツ。
それに対して、シルバさんはつやつやと光る白銀の、男性用のチャイナ服に身を包んでいた。
よく見ると、ライトの当たる加減で龍に雲、雷の模様が浮かび上がる。
胸のところをちょっと摘んで、シルバさんが首を傾げた。
「キキョウの奴に無理矢理着せられたんだがな。似合うか?」
「とっても!」
「ポー。ほのぼの禁止。正体がわかってるからって油断しないでよ」
「するわけないじゃない!!シルバさん相手に油断なんかしたらその瞬間に首がとんじゃうよ!?」
「分かってるならいいけど」
でも、しっかりと私の首根っこを掴み、ぐいっと自分の後ろへ下がらせるイルミである。
そんな彼にむかって、キキョウさんは絹張りの扇子の向こうから、意味深な笑みを投げかけた。
「イルミ。貴方も、私たちの行いに疑問を抱いていることでしょうが……今は、そのことを明かすわけには参りません!」
「分かってる。知りたければ力づくで聞き出せってことだろ」
「いいえ」
パチン、と扇子を閉じるキキョウさん。
イルミは意外そうに瞬いた。
「え、違うの?そのための宣戦布告だと思ってたんだけど、俺」
「まさか。この戦いはあくまでも純粋な戦いだわ!力を力で測る、純粋な……ね」
「……似合わない台詞」
「うふふふ。わたくし達の真の目的については、この戦いが終わってから、ゆっくり教えて上げます。このリングから、生きて降りることが叶えばね!!」
「――っ!!」
『試合開始!!』
言うのが遅いよ、審判さん!!
そんなの言い終わる前に、キキョウさんはとっくに前に出て、オーラを張り巡らせた絹張りの扇子でイルミの喉をかき切ろうとしてるし!
イルミはイルミで、攻撃を先読みして避け、突っ込んできたキキョウさんの後頭部目掛けて針を打ち込もうと――いやでも、逃げられたっ!!
で。
私は何をしているかというとですね。
「……随分と、鬱陶しい真似をしてくれるじゃねぇか」
「……」
怖い!!
怖ああい!!
いやでもダメ!!離した途端にイルミの心臓が抜き取られちゃったりしたらどうするの!!
血が一滴も出ないくらい一瞬で、イルミが死んでしまったら――
駄目だ。
絶対にこの人を離すものか。
目を閉じて、私は発動させた触手の先まで神経を行き届かせた。
試合開始と同時に“嘘つきな隠れ蓑(ギミックミミック)”で姿を消し、捕らえた獲物は、今度こそシルバさん。
でも、昨日みたいな無茶な締め付けはしない。
オーラを無駄に使わないように、相手が束縛を振りほどこうと、力を込めた場所にだけ集中させる。
集中して、獲物が力……オーラを込めた場所から、すかさず――
「――捕食する!」
ズギュウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウンッッ!!!
「ぐ……っ!? やはり、さっきから俺のオーラを吸い取ってやがるな。ポー。前に、水中戦でぶちのめした後、くすね取られたことがあったが――そうか。それがお前の戦い方か」
「……」
「クク……ッ、面白い。稀有な戦闘手段だ。こんな戦い方は、長い暗殺者生活の中でも経験したことがない。姿を消し、相手を捕え、力を吸い取り、殺す。理想的だ。思っていたよりもずっと、お前の能力は他人の命を奪うことに適している。ポー、お前のその脳天気な性根、俺が一から叩きなおしてやる。どうだ、殺し屋になるつもりはないか?」
「……」
イルミから。
試合前に、散々言い含められたことがある。
それは、シルバさんの言葉を聞かないこと。
普段、どちらかといえば寡黙なシルバさんは、本当なら戦闘中も一言だって話さない。
それは、私も知っている。
原作やアニメの中で、この人が幻影旅団リーダー、クロロ・ルシルフルと戦った際にも、その性格は顕著に現れていた。
なぜか。
理由は一つ、敵に余計な情報を与えないためだ。
では、なぜ、今のシルバさんはこんなにも饒舌なのか。
その理由もまた一つ。
私の心に動揺を与えるために他ならない。
念は精神力、念は心の力。
心が揺らげば、発動中の力にも当然ながら歪が生じる。
だから、シルバさんの言葉は、言うなれば動揺を誘う武器なのだ。
見えないナイフ。
だから聞くな。
感じるな。
お前は、熱を持たない闇人形だ。
「――Paramyxine atami50㎝、Eptatretus okinoseanus80㎝、Cephaloscyllium umbratile80㎝、Chauliodus sloani35㎝、Idiacanthus antrostomus50㎝……」
「何……?」
「Lampadena luminosa、Zu cristatus100㎝、Trachipterus ishikawae250㎝、Trachipterus trachypterus270㎝、Polymixia japonica20㎝、Polymixia berndti20㎝、Polymixia longispina20㎝、Regalecus russellii550㎝……」
考えない。
何も考えない。
目を閉じ、心で深く海の底へと潜っていく。
何も考えない。
何も感じない。
海の生物達の事以外なにも――
「Cryptopsaras couesii30㎝、Ceratias holboelli120㎝、Himantolophus groenlandicus30㎝……」
潜っていく。
潜っていく。
深く、より深く。
心に浮かぶのは、水深200~1,000メートルに生息する中深層の生き物たち。
その学名と平均体長。 この、言わば精神的深度に合わせ、私の念はより強度を増していく。
すべては、のしかかる水圧に負けないよう、触手も、泡も、強化されていく。
そう。
私の念は環境に適応することにより強くなるのだ。
シルバさんはそんな過酷な環境であると同時に、エネルギー源でもある餌なのだ。
けして離さず、その攻撃にゆっくりと適応しながら消化していけば問題ない。
「深度1,500メートル、2,000メートル、3,000メートル……abyssopelagic、深海層に到達」
「……なるほど。イルミが入れ知恵したか。それなら――」
シルバさんの身体からオーラが消えた!
絶だ。
「イルミ!!」
言葉と同時に、空気を裂いて三条の線が走った。
狙いはシルバさんの背中、その精孔!!
「ぐお……っ!!」
初めて、この人の表情がこんなに歪むところを見た。
深々と、一ミリの狂いもなく打ち込まれたのはイルミの針だ。
シルバさんは絶を解いて再びオーラの流れを平常に戻そうとするけれど、背中に刺さった三本の針が、背中へのオーラの流動を許さない。
これで、シルバさんは甲羅を剥がれた亀も同じ!!
――とか言ったら、怒られそうだけど。
「へぇ。……これは流石に、父さんにでも効くんだ」
スト、と、リング上に降り立ったのは、キキョウさんと戦闘中だったイルミだ。
その額から、真っ赤な鮮血が流れだした。
「イルミ!?」
「大丈夫。それより、父さんを離さないで」
ドクドクと白い頬を伝う血液を拭い取り、イルミは瓶の口にフタでもするように、頭に針を刺して出血を止めた。
ああ~、もう!
びっくりした!!
「ちょっと!!やめてよ!今、本気で心臓が止まりかけちゃったよ!?」
「大丈夫だって言ってるだろ。それに、父さんに向かって攻撃するときに、隙が生まれるっていうのは分かりきってた話だ。だから、ちゃんと対応策も打った。ポーがあらかじめ俺を包んでおいてくれた、念の泡の遠隔防御のおかげで、この程度の怪我ですんだんだよ?」
くりっと、首を傾げるイルミの後ろに、キキョウさんが現れる。
でも、動きが変だ。
脚を引きずっている――艶やかな紅のドレス、大胆に入れたスリットから伸びる細い脚。
足首の関節部分に針が二本。
凝で見ると強いオーラを纏っている。これは簡単には抜けない。
でも、そこは流石にキキョウさんと言おうか。
まっ赤な口紅で彩られた唇は、苦痛にゆがむどころか、キュッと両端がつり上がったのだ。
「うおほほおおおおほほほほ―――――っっ!!!流石ねぇ~、イルミったら!!たとえ相手が血の繋がった実の母であろうと、情けも容赦も微塵もなく追い詰め仕留めにかかるだなんて――なあんて素敵なんでしょう!!!!!ああんもう、若い頃のシルバにそっくりだわっ!!!ママ、今ちょっぴりトキメイちゃったわ――――っっ!!!」
「母さん、煩い」
「キキョウさん。こんなときでも子煩悩なのは相変わらずなんですね」
ぎゅう、とシルバさんを拘束したまま、苦笑い。
透明な触手に締め付けられたまま、シルバさんは眉間に深いシワを寄せ、苦々しく舌打ちをした。
「今の針で、背中へのオーラの流れを制限したな、イルミ」
「うん。だって、父さんって、堅いし、ゴツイし。普通に念でやり合っても、攻撃なんて通らないじゃない。だから、部分的に強制的な絶状態にするような攻撃を考えてみたんだけど、どう?」
「発案は私です!!自分のオーラを他の物に注入。相手の生命エネルギーを操るっていうのが、操作系念能力の基本ですからねっ!じゃあ、オーラの流れだって操れるんじゃないかって思いました!大成功ですね。生きて帰ったら、これで論文を書きます!!」
「舐めるな」
ド……ッ!!
出た……!!
シルバさんの身体の奥底から、どす黒い暗殺者オーラ!!
一瞬だった。
捕らえていたはずのシルバさんの右手が、水をすり抜けるように私の触手をひと撫でし、一本残らずバラバラに切断したのだ。
か、神業……!!
「ポー、選手交代」
片足が使えないとは思えないスピードで襲いかかってくるキキョウさんをいなしつつ、イルミがシルバさんに向かってもう一度針を投げる。
「遅い」
「――っ!?」
イルミの針が叩き落される。
気がついた時には、シルバさんの手に腕を掴まれていた。
私の身体は念の泡の防御に包まれている。
それを、突き抜けたのではない。
防御もなにもかも、構わず鷲掴み、そのまま握りつぶそうとしているのだ!
力づくで!!
「左腕は完治しているようだが、もう一度、同じ痛みを味わうとしたら、どうだ?」
「ポー!」
「イルミ!!余所見をしている暇はなくってよ!!」
ズガアアアアアアン!!
キキョウさんが本気で鞭を振るったのだろう。
リングの一角が瓦礫と化し、イルミの姿が粉塵の向こうに見えなくなる。
でも、声は聞こえるはずだ。
私は大きく息を吸い込んだ。
「大丈夫!!全然痛くないから、平気平気!!」
「何……?」
驚愕に目を見開くシルバさんの、その鋭く青い双眸をまっすぐに見つめる。
「シルバさん。折角のお誘いですが、私は殺し屋にはなりません。私がなりたいもの、望んでいるものは、ただのひとつだけなんです。それは……」
「……」
「クラゲです!!クラゲは刺胞動物門、有櫛動物門、ひいては菌類や藻類にまで分類されるほどに幅広い進化を遂げ、ついには世界中の海という海、あらゆる海水温、水質、水圧に対応しうる形を完成させた、最強の生物なんですよ!!しかも、流れに逆らうことなく、海中を漂う遊泳法がそのまま獲物を捕まえる手段になるなど、クラゲの低燃費性はあまたの生物群のなかでもトップクラスです!!雌雄もあるものないものと様々!性転換も様々!そして脅威の再生能力!!その無駄のない完璧なフォルムは、生物が地球上に現れたじだいから、変わらずに受け継がれてきたんですよ!?幾多の環境変動に耐え、悠久の時をも柔軟に……ちょっとシルバさん!聞いてますかっ!!」
「……お前は、イルミの嫁になりたいんじゃないのか」
「それもありますけど痛い!!ちょっとイルミ!こんなときにエノキ投げるのやめて!!」
「ポー、あとで、お仕置き、だから、ね、!!」
シュッ、と空気の擦れる音の合間に、恐ろしい言葉が聞こえた気がしたけど、うん。 聞こえなかったことにしよう!!
「それにしても驚いた。どうやってるんだ」
「企業秘密です」
なおも、私の腕を掴んだままギリギリと、しまいには両手をつかって絞り始めるシルバさんである。
「ちょっとシルバさん!?人の腕を雑巾みたいに!!」
「ふむ。腕だけでなく、この分だとお前の身体全体が軟体化できるようだな。強靭なゴムのように柔軟性があり、骨を折ることはおろか、爪を剥ぐことも、関節を外すことも出来ない。これなら、大抵の拷問には耐えられそうだ」
「――っだから、私は殺し屋にはなれません!生物学者なんです!いかに殺すかを考えるよりも、その生き物がいかにして生きているかを考えてしまうんです……!!過酷な環境、凄まじい弱肉常食の世界の中で、生き抜く方法を一生懸命探して進化し、何万代もの世代に受け継いでいく。そんな生き物のことが好きでたまらないんです!!」
「そうか。つくづく向いてねぇな、残念だ」
唇に刻まれるニヒルな笑み。
シルバさんが次に腕を振り上げたとき、私は今度こそ、柔らかくした腕にオーラでぬめりをつけ、彼の拘束を逃れた。
瞬間――
「ひ……っ!?」
ぱっくりと、リングが割れた。
いや、正確には切断されたのだ。
あまりに一瞬、あまりに鋭い斬圧だったものだから、凝で見でもしない限り斬られたのかどうかも分からないけれど。
あのまま。
シルバさんに捕まったままでいたら、即死だった。
「仕留め損ねたか」
抑揚のない声。
その言葉を聞いたとき、ようやく、本当に理解した。
この人は、私を殺すつもりだ。
私を殺して、殺す覚悟で戦って、殺せるかどうかを試しているんだ。
なら――
「シルバさんがそのつもりなら、タイムアウトまで逃げて生き残ってやりますぅ!!」
「……お前の、そういうところは殺し屋に向いているんだがな」
「な!?た、たった今、向いてないって言ったばっかじゃないですか……!!」
なんてやり取りをしながらも、見えない速度で襲ってくるシルバさんの猛攻を、姿を消し、気配を絶ち、のらりくらりとかわしながら、ゆっくりゆっくり、床を這うように逃げる私。 そんな私の目の前に、赤いものがシュタッと降りてきた!
「キキョウさんだ!!」
がふぁ、と念の泡ごと包み込むように彼女を捕らえ、オーラを吸収する。
なんか、アレ。
クラゲっていうか、ヒトデみたいな捕食スタイルだけど。
まあ、奴等は口から胃袋を吐き出して獲物を飲み込んじゃうしね。
セーフセーフ。
「お、お離しっ!!このバカ嫁候補――っっ!!!」
「うわあ!キキョウさんも操作系だからイルミとオーラの味が似てますね!美味しい……ゾルディックの人は美味しい人ばっかりだから、ほんとに嬉しいです!」
ギュウウウウウウウウウウウウン!!
「キャアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」
「……おい、大丈夫か、お前」
おや、その声はシルバさん。
流石に心配になったのか、殺気を潜めてこっちに近づいてくるけれど、その隙を、あの彼が逃すはずがない!!
「――っ!? そうか、まだお前がいたな、イルミ」
「自分の息子を影が薄いみたいに言わないでくれる?ポー、今度こそ選手交代。母さんを頼むよ」
「わかった!」
イルミの右手は血だらけだった。
けれど、あれはイルミの血じゃない。
選手交代――注意が無理矢理にでも自分に向くよう、立て続けに行われる鋭い攻撃を、シルバさんは紙一重で避けている。
その白銀のチャイナ服の背中がバックリと裂けていた。
流れる血液が、赤い線を引く。
「それでも、致命傷じゃないのか……流石だなあ、シルバさん。念での防御もしてない生身の状態で、あのイルミが堅をした攻撃を加えたら風穴のひとつでもあきそうなものなのに。出血はしているものの、皮一枚削がれたかすり傷だけなんだからなあ……」
カッコイイ……怖いけど。
二人の戦いをじっと観察しながらも、私は触手でキキョウさんを捕らえたまま、ズギュンズギュンとその美味しいオーラを頂いていた。
なんか、言葉は悪いけどコーラ飲みながら野球観戦してるみたい。
「あああああああああああああああああああああ――――っっ!!!忌々しい!!ポ――――ッッ!!貴女にはわたくしと戦いたいという目的があったのではないのっ!?それなのになんですかっ!!試合中にもかかわらず、ろくに動きもせずにゴロゴロと!!」
「あ―――っ!!そうだった!!私、鞭有りのランさんと戦いたかったんです!」
「今頃思い出しましてっ!!?」
「あ、でも、もう充分間近で観察できましたし、ランさんの正体がキキョウさんだって分かったので、鞭打ちはまた月曜日の拷問の訓練の時にでも教えて頂くことにします」
「……」
ふう、と紅い唇から漏れたため息。
血に濡れて、額に張り付いた長い黒髪を、ぞんざいにかき上げる。
差し向けられた視線は冷たかった。
「イルミが心配ではないの?あの子一人の力では、まだシルバには敵わないわ。貴女がイルミの恋人だというのなら、助けに行くべきなのではなくて?」
「イルミは大丈夫です。たとえ離れていても、彼を守れます。それに、イルミだって、私のことを守るって言ってましたけど、それはなにも危ないときには駆けつけるって話じゃないんですよ」
「……では、一体どうやって守るというの」
「私の中には、いつでもイルミの言葉があります。まだ話してなかったと思いますが、イルミは私の念のお師匠さまなんですよ。私が、今みたいに自由に念を使えるようになったのも、彼のおかげです」
「な……なんですって……っ!?」
「危ないときや困ったときにはイルミの言葉が浮かんできます。今までも、状況を打開するヒントが、いつでもそこにありました。どれだけ離れていても、一緒に戦えなくても、イルミはいつでも私の内にいて、私を守ってくれています」 「……っ!」
「そして、それは自分も同じだと――そう、イルミが言ってくれました」
頭部、頸部、胸部、下腹部、そして四肢の付け根、両手両足の各関節。
オーラの流れの根源、精孔を抑える。
「それに!こうやってキキョウさんの動きを止めてるってことは、シルバさんの片腕を抑えているのも同じでしょ?だから、キキョウさんを再起不能にするのが、今の私の役割なんです!」
「再起不能……ですって?ふ、ふふふふふ……!!舐めるのも大概になさい。わたくしはゾルディック家の母です。暗殺者でもない、ただの一般人でしかない貴女に、拘束以外の何が出来ると――」
お腹がすいた。
そう感じたとき、空腹がピークに達したとき、私は無意識にオーラを吸い取っていた。
だから、私はその欲求を利用して、オーラの吸収という攻撃を形にした。
なら、その欲求を強制的に強めたならどうなるか。
私の捕食能力が、格段に向上するのではないか。
これは――この技は、考えてはいたものの、イルミには話していない。
けれど――
「試したい……!“自食作用(オートファジー)”!!」
「な……っ!?」
能力の発動とともに、私の全身から今までにない異質なオーラが吹き出した。
キキョウさんの大きな瞳が、零れ落ちんばかりに見開かれる。
“自食作用(オートファジー)”。
それは、生物学用語で細胞の自食作用を指す。
寿命を迎えた細胞を、別の細胞が吸収し、エネルギーに変える働きのことだ。
私の場合、これを念のバクテリアに利用させた。
本来、私の身体にある細胞から、念のバクテリアで急激にエネルギーを奪い、強制的な枯渇状態に陥らせる。
エネルギーが失われたなら、身体はすぐにでもそれを補おうとする。
そのとき、すでに獲物を捕らえた状態であれば――
「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア―――ッッ!!!!」
触手を巻きつけた彼女の四肢が、ものすごい力で暴れだした。
でも、離さない。
離せばこちらが死ぬ。
大丈夫、生命維持が出来る分のオーラは残します、キキョウさん!!
ちょっと貧血気味になってぶっ倒れるだけですキキョウさん!!
だから後で怒ったりしないでください!!
「……カ……はッ!!」
ドクン、ドクン、と心音に呼応するように、その身から湧きだすキキョウさんのオーラ。
それをストローのように、触手を使ってこぼさず飲みこんでいく。
あらかた食べ尽くしたところで、それまで虚しく空を引っ掻いていたキキョウさんの白い手が、パタ……と床に落ちた。
や、やったああああああああああ~~!!!
「イルミ!キキョウさんを完食出来たよ――っ!!」
「おめでとう。何やったの?さっき、一瞬だけすっごい寒気がしたんだけど」
淡々と言いながら、側に降り立ち、私の身体を抱えて飛び退くイルミ。
すれすれのところを、シルバさんがあの恐ろしい指の爪を武器に襲いかかってきた。
ほんとうにもうこの人、実は狼なんじゃないんだろうか。
キキョウさんが戦闘不能になったところで、審判さんが思い出したように笛を鳴らした。
試合は一時中断。
リングに担ぎ込まれた担架に、シルバさんはキキョウさんの身体をそっと横たえた。
「キキョウ、大丈夫か」
「……ごめんなさい、貴方。あんな小娘にしてやられるなんて。自分で自分をぶっ殺してやりたいわ」
「馬鹿を言うな。後は俺に任せて休んでいろ」
おお……!!
いいなあ、そんな夫婦愛。
客席からは、すすり泣きさえ聞こえてくるレベルですよ!
「ちょっと。なにもらい泣きしてるの。やったのはポーでしょ?」
「だって……!あれが私とイルミだったら、イルミは絶対にああは言わないでしょ!?『何勝手にやられてるの?一緒に戦って一緒に勝つって言ったじゃない。嘘つき。じゃあ、罰としてポーの頭に針を打って操作してあげる。ちょっと頑張りすぎて死んじゃうかもしれないけど、まあ、大丈夫だよ』って言うに決まってるじゃない……!!もうなんか、それを考えると悲しくて仕方ないよ!!」
「うわー酷い。俺のこと信用してないんだ」
「え……じゃあ、言わないの?」
「言うよ?でも、ポーが死んじゃうような針の打ち方はしない。絶対」
「……嬉しくないよ」
***
「お母様!」
スクッと立ち上がったカルトが、その瞬間姿を消した。
ところかわって天空闘技場特別観戦席――はやい話がVIPルーム。
U字型をしたベルベット張りのソファに腰掛け、試合の行方を見守るゾルディック家の面々と、「せっかくだからお前さんらもここで見ていけ」とのお言葉に甘えたウィングとズシ。
それまで眉一つ動かさずにずっと戦況を眺めていた御大二人のうち、ほおう、と感嘆の声を上げたのはゼノだった。
「ポーの奴、ついにキキョウさんをやりおったか!!」
「ゼノさん。その言い方は、色々と誤解をまねきますよ?」
「全くだぜコフー!滅多なこと言うなよなあ爺ちゃん!!」
慌てず騒がず、丁寧に淹れたお茶を御大に差し出すウィングの隣で、私物のパソコンを使ってモニタリングしつつルキが怒鳴る。
その後ろに、大興奮のズシがいた。
ソファに座らず、リングを一望出来るガラス窓にペタっと顔を押しつけて、食い入るように試合を見ていたせいでおでこが赤くなっている。
「す、凄いっす……!!凄すぎるっす!イルミさんはもちろんっすけど、ポーさんの念の泡の防御と触手の拘束技、今まで見たのと全然違う能力みたいっす!段違いにレベルアップしてるっす!!」
「うむ!加えて、例の軟体化の技もうまく使いこなしとるようじゃな。付け焼き刃にならんでよかったわい」
ダッハッハッ!と実に朗らかに場を和らげるゼノに、背中を丸めてパソコンにかじりついていたミルキが、呆れた顔を上げた。
「だーかーらー! 暢気に笑ってる場合じゃないって、爺ちゃん!ポー姉の奴、妙な技使ってママのオーラを残らず食っちまったんだぜ?あっと言う間にさ!どうすんだよ、今日は休みでも明日になったら仕事があるんだぜ?コフー!!」
「おお、そうじゃったの。ミルキ、お前がキキョウさんの分まで働け」
「嫌だよコフー!!」
「師範代!そんなことより、カルトくんが心配そうだったっす……!!キキョウさんは大丈夫っすか?あそこまでオーラを吸いとられて、生きていられるもんなんっすか?」
「ええ。大丈夫ですよ、ズシ。試合を見ている限り、彼女の身体に命に関わる外傷はありませんでしたから。ただ、オーラが底をついた状態というのは、極度の疲労感に襲われます。ゆっくり休めば、数日で次第にもとの力を取り戻すはずです」
「よかった!……自分、ちょっと安心したっす。あんなに激しい戦いの中で、あんな人達相手に、相手を殺さないように手加減しながら闘うなんてこと出来っこないって、カルトくんが言ってたっす。でも、ポーさんには誰も殺してほしくなかったっす。かといって、ポーさんやイルミさんが死んじゃうのも嫌だったっすから」
それに、さっきのポーさん、凄く怖かったっす。
ぽそっと、聞こえない程度に呟くズシの頭を、ウィングは優しく撫でていく。
「フン!ズシは甘ちゃんだな。コフー、コフー」
バリバリと、持ち込んだスナック菓子を口に押し込みながら、ミルキはある画像を立ち上げ、指した。
「この時だろ?確かに妙な寒気がしたよな。得体が知れねーっつーか。俺たちゾルディックや、他の暗殺者の殺気とも違う気がしたぜ」
「ふふん。似ておるが、本質が異なる。そんな感じじゃな。ポーのアレは殺気ではなく、ただの食い気だ。本能的な補食渇望。おそらくは、念のバクテリアを使って体内のエネルギーを一時的にコントロールでもしおったんじゃろうな」
「ええ。一瞬ですが、ポーさんがキキョウさんの身体からオーラを吸収する直前、ポーさんのオーラが急激に減少したように感じました。わざとそうすることで、オーラの補食能力を向上させる……強化系に属する私からすれば、こんな発想は真逆過ぎて、とても思いつきませんね」
「はあ!?」
汗だくの顔をシャツの袖で拭いつつ、馬鹿じゃねーのかとミルキ。
「思いついても、普通やんねーってそんな真似!!オーラを減少させた時点でママに逃げられたらどーすんだよ!あきらかに自殺行為だろ!?まったく。ああ、ヤダヤダ。だからポー姉はバカなんだよなあ~、ウゴォッ!?痛ってええ―!!なんだよ爺ちゃん、殴るなよ!!」
「バカはお前だ。なんのためにポーはあんな物騒な気配を振り撒いたと思う」
「へ?」
「ヘビに睨まれたカエルというやつじゃ……じゃあ聞くがな、ミルキ。お前、あのポーのオーラを至近距離で受けたとして、正気でいられる自信があるか?」
「……」
「……」
「……無理に決まってるだろ、コフー」