21 嘘と涙のすれ違いラバーズ!!

 

 

 

 

 

 

 

 

「ただいま」

 

 

 

  

次の日の朝、ゾルディック島へ戻ってきたイルミは、コテージの扉を開けてため息をついた。

 

 

 

 

海月からの返事がない。

 

 

 

 

日はとっくに高く昇っている。ミルキのダイエットのこともあるし、この時刻ならとっくに起き出しているはずなのに、リビングにも、ダイニングにも、彼女の姿は見当たらなかった。

 

 

 

 

「……結局、無断外泊しちゃったからなー」

 

 

 

 

怒っているのだろうか。

 

 

 

 

考えて、即座に否と改める。

 

 

 

 

昨日のことは、彼女にも非がある。ビスケが言っていたとおり、そのことは海月自身もきっと分かっているのだ。

 

 

 

 

責任感の強い彼女のこと。責めるなら、イルミのことよりもまず、自分を責めるだろう。

 

 

 

 

「……また、泣かせちゃったかな」

 

 

 

 

リビングを過ぎ、階段を登りながら、小さく息を吐く。

 

 

 

 

思えば、半月ぶりに再会してからというもの、毎晩ずっと泣かせてばかりだ。

 

 

 

 

彼女が涙を流さずに過ごした夜は、一度たりともない。

 

 

 

 

ただの、一度も――

 

 

 

 

「……」

 

 

 

 

彼女と共有している部屋の前で、イルミは足を止めた。

 

 

 

 

右手をドアノブにかけたまま、しかし、扉を開くことがどうしても出来ない。

 

 

 

 

彼女の顔を見るのが、怖かった。

 

 

 

 

「怖い……俺が?」

 

 

 

 

まさか、と思う。

 

 

 

 

 

しかし、手の指の僅かな震えが、その事実を彼に伝えていた。

 

 

 

 

怖い。

 

 

 

 

そして、恐れているのだ。

 

 

 

 

海月に会うことを。

 

 

 

 

海月に会って、その目を見ることで、彼女自身が胸に秘めている想いを、悟ってしまうことを。

 

 

 

 

もしも万が一、それがイルミに対する拒絶の類の感情(もの)であったならば、自分は今度こそ、なにをしてしまうか分からない。

 

 

 

 

暴走する欲望を、理性で抑えられる自信がなかった。

 

 

 

 

この手で、彼女を殺めてしまったら――考えたくもない可能性が、どうしても頭を離れない。

 

 

 

 

「……」

 

 

 

 

それに、もうひとつ。

 

 

 

 

昨夜、島に戻ってこなかった理由を尋ねられたとき、完璧に偽り通せる自信すら、イルミにはなかった。

 

 

 

 

生まれた時から、殺し屋として育てられてきた自分が、である。

 

 

 

 

他の女と寝台を共にした。

 

 

 

 

以前までのイルミにとっては、取るにも足らない程度のこと。

 

 

 

 

なのに、いざこうして、海月のもとに戻ってきてみると、こらえ用もない後ろめたさを感じている――そんな自分自身に、イルミは困惑していた。

 

 

 

 

「……参ったな。俺、相当君に惚れ込んでるみたいだ」

 

 

 

 

これほどまでに、海月は自分にとって重要な存在なのだ。

 

 

 

 

本当に恐れているのは、彼女の気持ちを失ってしまうこと。

 

 

 

 

大切にしたい。

 

 

 

壊したくない。

 

 

 

 

そう、願っているから。

 

 

 

 

ならばもう、なにも偽るまいと、イルミは思った。

 

 

 

 

問われたならば、ありのままを答えよう。

 

 

 

 

避難をされれば、受け止めよう。

 

 

 

 

そして、ただひたすらに、彼女に許しを請おう――そう、覚悟したとき。

 

 

 

 

下階がにわかに騒がしくなった。

 

 

 

 

コテージの扉が乱暴に開け放たれ、バタバタと誰かが飛び込んでくる。

 

 

 

 

海月ではない。

 

 

 

 

大小、二つの足音は、リビングを過ぎて階段を駆け登ってきた。

 

 

 

 

「兄貴!!」

 

 

 

 

「誰かと思ったらミルとチーか。朝っぱらから騒がしいね」

 

 

 

 

「のんきなこと言ってる場合じゃねーよ、コフー!」

 

 

 

 

「イルミっち、なんで一人で帰って来たん……ポーちゃんはどこにおんねん!?」

 

 

 

 

ミルキとチルノ、二人の顔は蒼白だった。

 

 

 

 

イルミの双眸がにわかに険しくなる。

 

 

 

 

「……まさか、ポーは昨日、島に戻ってないの」

 

 

 

 

「戻っとらへん! なんでや!! なんで、よりにもよってこんなときに……イルミのアホ! 一緒にいとったんとちゃうんか!!」

 

 

 

 

感情の吹き出すままに怒鳴るチルノを、落ち着け、とミルキがなだめる。

 

 

 

 

「兄貴。ポー姉と喧嘩したって話、ビスケから聞いたぜ。あいつの店を出た後も、一度も会わなかったのか?」

 

 

 

 

反射的に、目の前の扉を開けていた。

 

 

 

 

海月の姿は、なかった。

 

 

 

 

「……うん」

 

 

 

 

「なんで……!」

 

 

 

 

「事情があってね……ミル、仕事だ。ポーの携帯にはGPS機能がついてる。今すぐ、そいつを探って彼女の位置を――」

 

 

 

 

「悪い、それさ、実はとっくにやったんだよ! でも、意図的に切断されてて居所は掴めなかった。イル兄もイル兄だ、なんでずっと携帯の電源、切ってたんだよ……! 一刻も早く、伝えたいことがあったのに!!」

 

 

 

 

ヒュ、と壁を打ったミルキの拳は、木製のそれを難なく突き抜けて大穴を開けた。

 

 

 

 

イルミは、黙って向き直った。

 

 

 

 

「伝えたいこと?」

 

 

 

 

「婚約発表パーティー。……この島を使って、パパやママが何を始めようとしてるのか、教えてやろうか?」

 

 

 

 

イルミはくっと片眉を上げ、抑揚のない声で応えた。

 

 

 

 

「ポーの公開処刑、だろ。母さんが勝手に決めた、俺の花嫁候補達を招待して、全員で殺し合いをさせるんだってね。誰が、ゾルディックの嫁に相応しいかを決めるために」

 

 

 

 

「なっ!? なんで知ってるんだよ! まさか兄貴、知っててポー姉とこの島に――ひっ!」

 

 

 

 

「そんなわけ、ないじゃない」

 

 

 

 

真っ直ぐ、喉を狙って放った針を、ミルキは皮一枚、ギリギリのところでかわした。

 

 

 

 

「もしも、事前に知ってたら、父さんと母さんを殺してでも来ないよ」

 

 

 

 

「じゃ、じゃあなんで……」

 

 

 

 

「シィラ・シーカリウスの名はお前も知ってるよね。昨日、彼女に会って聞き出した。正確には、花嫁候補全員による殺し合いだ。俺が結婚した後々に、暗殺一家同士の間にわだかまりが残らないようにするためらしい。なんとか、パーティーまでに花嫁候補を全員見つけ出してぶっ殺してやろうかと思ったんだけど」

 

 

 

 

どういうわけか、島中探しても一人も見つからなかったんだよねー、とイルミ。

 

 

 

 

ちら、と横目で廊下の窓を覗く。

 

 

 

 

窓枠に四角く切り取られた浜辺を、黒服の執事達がせわしなく走り回っている。

 

 

 

 

「……お前たちはどうして、このことを知っているんだい?」

 

 

 

 

「実はさ、昨日、本島の港町でポー姉の弟子の一人に偶然会ったんだ。そいつが、妙な種類の不審船が、島の近くをうろついてるって情報をくれた。そしたら、チルノの奴がうちの名義で変なメールが届いてることに気づいてさ。ギブアンドテイクで、調べろって言われるままに調べていったら、今回の目論見が明らかになったってわけ。おい、チルノ、あれ、見せてやれよ」

 

 

 

 

「……分かった」

 

 

 

 

こくん、と頷いて、チルノはイルミに携帯を差し出した。

 

 

 

 

画面には、一件のメールが表示されている。

 

 

 

 

その内容に、ざっと目を通し、

 

 

 

 

「……え、これって招待状? お前も俺の花嫁候補の一人だったの」

 

 

 

 

「みたいやな。まー、裏の世界では“毒神チルノ”で通っとるからな。嫁に来いだの、組織に加われだのの誘いはちょいちょい来るんよ。今回も、強引にリストに上げられてたみたいや」

 

 

 

 

いつもは相手にもせーへんのやけど、とチルノ。

 

 

 

 

そう言えば、今日の彼女はいつもの暑っ苦しい黒コートを着ていない。

 

 

 

 

顔も晒しているし、なにより、常夏の島らしいパイナップルイエローの布地にピンクのハイビスカス模様のパレオは、小柄で可愛らしい彼女によく似合っていた。

 

 

 

 

白銀のツインテールに、瞳と同じ色の、珊瑚の花が咲いている。

 

 

 

 

どういう心境の変化だろう、とミルキに視線を送れば、ふんっと横を向かれてしまった。

 

 

 

 

「それで?」

 

 

 

 

「興味のあるフリして返信してみたら、正式な招待メールが届いてな。ことの詳細がおもろいほどアッサリ明らかになった。念の為に言っとくけど、これはポーちゃんのためや。アンタの花嫁候補に加わるつもりは毛頭ないで。第一、イルミっちはチーの好みやないからな」

 

 

 

 

「うん、俺もポー以外の女には興味なんかないから。……なんてことをやってる場合じゃないな。はやくポーを探して、この島を脱出しないと。母さんの悪巧みなんかに、巻き込ませるわけにはいかないからね。ミル、俺は本島に戻ってポーを探し出す。一連のサポートに10億出すから、島にとどまって母さんたちの様子を監視、報告してくれ。もし誰かに寝返れば、これからお前の顔を見る度に、死なない程度に殺し続ける」

 

 

 

 

「素直に助けてくれって言えばいいだろコフー! チッ、わかったよ、俺もここまでまきこまれちまったんじゃあ、後に引けねーからな」

 

 

 

 

「うん、頼んだよ。チルノは、ミルキと一緒に行動してくれ」

 

 

 

「了解。ポーちゃんのこと、頼んだで、イルミっち!」

 

 

 

 

頷いて、窓から外へ。

 

 

 

 

しかし、ボートを泊めた桟橋へついたところで、イルミは足を止めざるをえなくなった。

 

 

 

 

出来ることならば、いや、ポーを助けに行くならば、絶対に接触を回避しなければならない人物が、そこにいた。

 

 

 

 

「……父さん」

 

 

 

 

「イルミ、どこへ行く?」

 

 

 

 

濃紺のアロハシャツ。

 

 

 

 

長い銀の髪を、後ろで編み込んだシルバの姿は少し見慣れない。

 

 

 

 

けれど、その冷たく青い眼光だけは変わらない。

 

 

 

 

そうだ、例え場所を変えても、どんな姿をしていようとも、この父親はなに一つ変わることなどない。

 

 

 

 

目のうちに僅かに滲んだ焦りを、イルミはすぐさま潜めた。

 

 

 

 

こちらの思惑を悟られるわけにはいかない。

 

 

 

 

しかし、嘘の通じる相手ではないということは、身にしみて分かっている。

 

 

 

 

ならば――

 

 

 

 

「ポーがまだ島に帰っていないんだ。またいつもみたいに厄介なことに巻き込まれてたら困るから、探しに行こうと思ってね」

 

 

 

 

「島に帰っていない? 昨日は一緒にいなかったのか」

 

 

 

 

「……ちょっと、喧嘩しちゃったんだ。頭を冷やそうと思って、別々に帰ることにしたんだけど。あの島のルールのこと、うっかり忘れててさー。あそこ、シングルで出歩くと島長の衛兵たちに捕まっちゃうんだよね」

 

 

 

 

 「ふむ……しかし、あいつが衛兵ふぜいに捕まるようなタマか」

 

 

 

 

「うーん。きっと、文字通り海に潜って潜伏してるか、わざと捕まって拘留されてるか、どっちかだと思うんだよね。後者であることを祈るけど」

 

 

 

 

あー面倒くさい。

 

 

 

 

ぼやきながら、桟橋に立つシルバの前を行き過ぎる。

 

 

 

 

ボートに乗り込み、エンジンを稼働させても、シルバは無言で見ているだけだった。

 

 

 

 

仕事の時とも、家にいる時とも、違う視線で。

 

 

 

 

「……まだ、なにか?」

 

 

 

 

「うむ……その、なんだ。何が原因でもめたのかは知らんが」

 

 

 

 

「うん」

 

 

 

 

舵を握ったまま、こっくりと頷くイルミに、シルバはいかんとも表現しがたい、微表な表情を向けた。

 

 

 

 

「言い訳はするな……絶対にだ。何があっても、相手の女の言葉が終わるまでは口を開くな。耐えて忍び、好機を待つのは仕事と同じだと思え。言いたいことを吐き出させて、相手が弱ったらすかさず詫びろ。いいか、タイミングを間違うなよ」

 

 

 

 

「……」

 

 

 

 

いきなり何を言い出すの、親父。

 

 

 

 

とは、心で思えど面には出さなかった。

 

 

 

 

くりっと、イルミは首を傾げる。

 

 

 

 

「もしかして、心配してくれてるの? 俺達の事」

 

 

 

 

「まあ、それなりにな」

 

 

 

 

それは……。

 

 

 

 

「ふーん、ちょっと意外。ポーを嫁にするって話、母さんはまだ反対してるみたいだけど、父さんは許してくれてるんだ?」

 

 

 

 

「それは、あいつ次第だ」

 

 

 

 

ニヤリ、と釣り上がった唇を見て、思う。

 

 

 

 

ああ、やっぱり親父は親父だ。

 

 

 

 

「……行ってくる

 

 

 

 

「ああ、ポーを連れて来い。――必ずな」

 

 

 

 

脅迫まがいの響きを持った言葉に、イルミは答えず、碧い海原にむかって舵を切った。

 

 

 

 

嫌になる。

 

 

 

 

本当に、この家の何もかもが嫌になる。

 

 

 

 

「……やっぱり、ポーをゾルディックの嫁にする訳にはいかないな」

 

 

 

 

人知れず漏らしたつぶやきは、ため息とともに、強い南風に掻き消えた。