「――本当に、二、三時間で採ってこれるの?」
「五回目。これるってば! イルミは海洋生物ハンターの私の腕を信用してないの?」
「そういうわけじゃないけど」
「わけじゃないけど?」
くりっ、と、首を傾げるイルミの表情は、なんだか訝しげである。
うーん、と唸りながら、右に傾いていた首がゆっくり左側に倒れ、再び右に傾いた。
「正直言って、わからないんだよね。俺が海月の仕事現場に同行したことってないからさ。一緒に深海に潜ったことはあるけど」
「天空闘技場に行った時だね。あのときは、私の念能力を見直すために、ウィングさんの初修行をサボって海に行って、300メートルくらい潜ったんだっけ? 今回はそこまで深くは行かないよ」
イルミと一緒にメインストリートから横路地を通って、海岸線沿いのハイウェイに出る。
この辺りは島と島とを船で移動するアイランドホッピングが主な交通手段だから陸の交通量はそう多くない。観光客用のバスやタクシーが、たまに横切る程度。
背の高いカナリーヤシが中央分離帯で葉を伸ばし、白い入道雲を支えていた。道路をわたって、ガードレールを越えた先は夏草に覆われた坂道になっている。
その向こうは、海だ。
ロイヤルブルーの水平線!
吹き渡る潮風に、イルミの黒髪が鳥の翼のように広がった。
「すごい風」
「うん! あ、見て。みんなサーフィンしてる。海日和だね~!」
「コラ、仕事に行くんだろ?」
煽られる髪を手早く束ねながら、イルミがジロリと私を見る――が、すぐに、ぱちぱちと瞬きした。
「……いや。とはいえ、海月の場合は一緒か」
「うん! 趣味も遊びも仕事も一緒!」
あっはっは! と笑い飛ばして、イルミの手を取る。木陰を選んで歩く彼を、強い夏の日差しの中に、一気に引っ張りだした。
「行こう、イルミ! 浜辺に着いたら、まずはこれに着替えてね?」
「え」
***
「……なにこれ」
「ふっふっふっ」
ラブハリケーンアイランド、メインストリート西・パタパビーチ。
白い砂浜、青い海。赤銅色に日焼けしたカップルたち……まさに南国リゾート! という雰囲気満載の砂浜の一角にて、イルミは私の手渡した“布のようなもの”を広げて絶句していた。
「……こんなもの、いつ用意したの?」
「この前、私の仕事着を作ってもらった時に、ついでにね」
呆れた。
と言わんばかりに、イルミの眉間に小さなシワが寄る。
でも気にしないもん。
だって、夏なんだもん。
折角、イルミと南の海にきたんだもん。
だったら、やっぱり着てもらわないとね!!
ゾルディック仕様オリジナルサーフパンツミケのロゴマーク入りを!!
「海と言ったら水着でしょ!? 夏と言ったら水着だよね!? さあほら着て!! はやく着て!!!」
「さっきのウェットスーツでいいじゃない。スーツでサーフィンしてる奴はたくさんいるんだから目立たないしさ」
「ダーメ」
「第一、日焼けしちゃう」
「イルミは白すぎるからちょっとくらい焼けた方がいいの」
「お肌が痛む」
「どっちみち、後でエステ行くんでしょ?」
「……」
ひとつ、ひとつ。
イルミの退路を経っていく。
「……色がダークすぎる。ピンクのうさちゃんがよかった」
「身長184センチのムッキムキの体格したイルミがそんなもの着たら目立ってしょうがないでしょ!? 殺し屋さんが目立ってどうするの! いいじゃない、ミケのロゴマーク。パープルに黒で、トライバル風に入ってるんだよ? シルバさんもゼノさんもマハさんも大絶賛だったのに」
「あの三人公認なんだ。暗殺服仕様のサーフパンツ」
「余った布地で作ってもらったからね」
これの、と、新調したての水陸兼用マリンスーツ(暗殺服仕様)の三角襟をつまんで言うと、イルミはついに観念した、というように深い息を空に吐いた。
「……わかったよ」
「やったあ!!」
「そのかわり、条件がある」
「条件?」
きょとん、とした私の腕を、イルミがつかむ。物凄い力で引き連れれていったのは、ビーチサイドに立つ大型のショアショップだった。
ウィン、と開く自動ドア。
いらっしゃいませと笑顔で出迎える店員さんに向かい、無表情に、イルミは一言。
「この子に似合うビキニください」
「は……?」
十分経過――
「ビキニは嫌ああああああああああああああ――ッ!!」
「ダーメ」
パタパビーチ、波打ち際。
有無を言わさずビキニ姿に剥かれた私がそこにいた。
「よりにもよってなんで白なの! なんでピンクのフリル選ぶの!?」
「ペイズリー柄だから、甘すぎなくっていいじゃない。海月は青ばっかり選ぶから、水着くらいかわいい方がいいの」
「おへそ出てるなんて恥ずかしいよ!」
「どっちみち、すぐ海に潜るんだろ?」
「……」
ひとつ、ひとつ。
イルミは私の退路を経っていく。
くそう。
うう……恥ずかしい。
海暮らしは長いけど、こんな格好したことないんだもん!!
こんなの下着で出歩くのと変わんないじゃない……!!
数分前、ショアショップを出てビーチに来るなり、周囲のカップルがハッとこっちを見て固まった。その後も、すれ違っては振り向かれ、すれ違ってはまた振り向かれを繰り返してここまで来た。……わかってるよ。その視線の先は私じゃなくて、水着姿のイルミだってことは。
透き通るような白い肌を、その鍛えぬかれた肉体を、惜しげも無くさらし出すイルミだってことは充分わかってるよ!!
でも、イルミを見た後には絶対私に目が向くんだもん。その視線が突き刺さってしかたない……!!
お腹ひっこめとこ!
無駄な抵抗を試みる私を見下ろして、イルミはくりっと首を傾げた。背中で束ねたポニーテールが肩越しに揺れている。髪が邪魔になるからと、イルミはハンター試験のときみたいに前髪をオールバックにまとめていた。
「バカだなー海月は。俺にこんなことを強要したら、こうなることはわかりきってたじゃない」
「だって、イルミに水着着せることしか頭になかったんだもん……」
「俺も、さっきまで自分が着るのが嫌だってことしか頭になかったけど。でも、いいね」
「いいって?」
ザザーン……素足に打ち寄せる温い波。向かい合うように肩を抱き、イルミはじいっと凝視する。
「うん、かわいい」
「……!」
すい、と顎をすくわれ、ゆっくりと唇が重ねられる。
――ちゅ。
わざとリップ音がするようにキスをして、何事もなかったかのようにイルミは離れた。
「……っ」
筋肉の線が綺麗に浮き出た胸板が目の前にある。
がっしりした肩幅とは正反対に、細く引き締まった腰。普段なら恥ずかしすぎて、まともに見ることなんて出来ない――なのに、その向こうに海があるだけで、とたんに爽やかに映るのは何故なんだろう。
おそるべし、海の力。
たしかにいいかもしれない!!
「さ、お仕事。俺に手伝えることある?」
「う、うん……!」
真っ赤になって頷く私の手を、イルミは目を細め、握りしめた。
***
「海泡貝は浜辺の干潮線帯から水深20mくらいまでの岩礁及び砂地に生息しているの。日中は砂地に潜って餌を探し、夜間は青い光沢のある足糸を出して、岩石に自分の体を固定して生活する。面白いのが貝の殻で、透明なガラス質を利用して、海中の光を巧みに反射することにより、周囲の水の色や景色に溶け込んでしまう。だから、見つける手段は一時間に一、ニ回、貝の排気管から吐き出される気泡を頼りにするしかない――この貝が海泡貝って呼ばれている所以だね」
「一時間に……って、そんな貝どうやって探すの?」
「“千里の水の輪(ウォーターマーク)”」
「ああ、あれか」
ところは海中、深度20メートル。
私の念能力“驚愕の泡(アンビリーバブル)”に包まれていれば、水の中でも会話可能、呼吸可能!
ビーチの遊泳区域をこっそりオーバーして島を包む環礁を越えれば、海はいっきにひらけ、底もずっと深くなる。
崖のような珊瑚の壁伝いに、下へ、下へと降りていけば、やがて、石英質の砂底についた。
「真っ白だ。砂漠みたい」
「うん。水の模様が映って、綺麗だね~!」
しゃがんで、すくい取ってみる。冷たくて、砂粒のキメもとても細かい。指と指の僅かな間を、とろとろと液体のように溢れ落ちていく。
「砂質は合格。貝の餌となる微生物も豊富。今は昼間だから、貝は砂底に潜ってるけど――これは大漁の予感! でも、今回は上物一個だけでいいから、絞って探さないとね」
「絞る? そう言えば、ゼノ爺ちゃんに聞いたんだけど、あの技、爺ちゃんに見てもらったんだってね」
「うん! 天空闘技場から帰った後に、アドバイスしてもらった。ゼノさんは円の達人だから、すっごく参考になって。深海探索でも大活躍したんだよ」
なんて話しをしている間に、私の手のひらには念の球体が完成していた。
「へぇ、早いね。さすがはゼノじいちゃん仕込み」
「で、イルミ先生には軍艦島のときみたいに、私のオーラを引き戻すのを手伝って欲しいの!」
「はいはい。わかったよ」
言うなり、イルミは私に近づいて、背中側から腰に手を回してぎゅっとしがみついてきた。
「%$}*`{+>?=&p@*(’……っ!?」
「なに赤くなってるの? 軍艦島のときもこうしてたじゃない」
「そっ、そ、そそ、そ……!!」
そうだけど!!
「あ、あのときはこんな格好じゃなかったもん!」
「集中」
「……っ!」
ぴったり。
背中にくっついたイルミの胸筋がっ、腹筋がっ!!
しししかもイルミ、耳元に息がかかるようにわざと囁いてくるんだもん!
うう~っ!!
「コラ。集中、泡が乱れてきてる」
「イルミ! わかっててやってるでしょう!!」
「うん。でも、こんなことぐらいで集中力を切らしちゃダメ。一度で見つけられなかったらお仕置きだからね」
「え」
え――っ!?
「そのかわり、一度で見つけられたらご褒美あげる」
「ほ、ほんとに? じゃあ……がんばる」
し、心臓に悪いよ、まったく。
さて、今度こそ集中。
目を閉じて、イルミと呼吸を合わせる。
守りの泡に一緒に包まれているから、体内のオーラをめぐる流れも、リズムも、全て私に伝わってくる。
イルミの手のひらがソナーのための念の球体に触れ、そのオーラが、ゆっくりと、慎重に、中へ中へと染みこんでいく。
均等に、深く、中心部まで染み渡ったところで、指先は離れた。
「よし。準備完了」
「うん。じゃあ、発動するよ。“千里の水の眼”!!」
ぽおん、と手のひらを離れた球体は、すぐさま海底に落ち、白い砂地に綺麗なミルククラウンを作った。
そして――
「……あれ、不発?」
なにも起こらない、と、イルミは不思議そうに瞬きする。
そして、私の顎を持ってぐいっと上を向かせた。
「海月。もしかして、失敗した?」
「……」
違うよ、失敬な。
だからそんな目で見下ろさないでよ怖いなあもう。
「失敗したんだ……」
「違うってば……ひゃっ! そんな風に触らないでっ! ターゲットの位置がわからなくなるでしょ!?」
暴れる私を逃すまいと、がっちり腰を掴んでくるイルミの豪腕に抵抗しつつ、
「だって、なにも起こらなかったじゃない。嘘ついてもお仕置きが酷くなるだけだよ?」
「起こってますう! イルミが鈍感なだけですう!」
「言ったね。殺し屋の俺に向かって。ていうか、海月といっしょに泡に包まれた状態だと、いつもみたいにヌルヌルすべられて逃げられるってことはないんだ。ふーん。弱点発見」
「や、やろうと思えば今すぐにでもイルミだけ泡の外に放り出せるもん! そんなことより見つかったよ、海泡貝! 大きさも、貝の中のオーラ含有量から予想しても、たぶんビンゴ」
「……」
「もー、疑ってないで。早く、こっち!」
反応があったのは、そう遠くない位置だった。
砂底を巻きあげないように、ふわふわと、浮かぶように泳いでいく。十メートルほど進んだ所で、砂地に開いた小さな穴を発見。
しゃがんで、よく見ると水が吸い込まれたり、吐き出されたりしているのが、砂粒の動きで分かる。
見事なカムフラージュだ。
「そこにいるの?」
「いるよ。“見えない助手たち”!」
泡の表面から透明な触手を一本のばして、静かに砂の下へと潜り込ませる。
海泡貝は泳ぐ貝としても有名なんだ。
よく知られている所では、ホタテ貝、イタヤ貝のように、閉殻筋で力強く殻を開閉させて海水を吹き出し、パクパクと泳いで逃げることができる。
こちらの気配を悟られないように、薄く砂をかぶった貝の本体を、触手で――
「捕まえた!」
「わ。ほんとにいた」
触手の先で、砂を吹きながらジタバタと動く二枚貝に、イルミの目がニャンコみたいに丸くなる。
泡の中にひきよせ、手のひらに乗せればおとなしくなった。
不思議な貝だ。
表面はガラスみたいに透明なのに、中は銀色がかって、貝の中身までは見透かせないようになっている。覗き込めば顔も映りこんだ。
まるで鏡みたい。
「よーし、あとは貝を開いて中の真珠を確認するだけ……あっ!」
「どうしたの?」
「ナイフ忘れた……」
「おばかさん」
「イルミぃ~!」
「はいはい、一個貸しだね」
「婚約者は貸しなんて作らないの!」
「作るよ?」
「ええっ、作るの!? わ、私とイルミもギブアンドテイク?」
「うん」
「……」
それは……寂しい。
別に、見返りがなくったって私は、イルミがして欲しいことならやってあげたいと思うのに。
……。
イルミは違うのかな……。
そんな気持ちがダイレクトに伝わったのかもしれない。
イルミはくりっと首を傾げて、私の手のひらから貝を取り上げた。
「――なんてね」
ビキビキっと伸ばした人差し指の爪を、殻の間に差し込んで閉殻筋をピッと切断。
牡蠣の殻割り業のおばちゃんも真っ青の手際で、あっりと殻を開いてしまう。。
「はい、開いたよ」
「イルミ……」
「冗談だから、そんな顔しないでね」
「イルミぃ~!!」
「ごめん」
裸の胸に額をグリグリ擦り付けて怒鳴る私の頭を、大きな手のひらが撫でていく。
でもさ、とイルミ。
「海月だってよく俺のこと、食べ物とかお菓子で釣ろうとするじゃない」
「う……っ!」
「俺、そんなに食い意地張ってないのに……」
「ご、ごご、ごめんイルミ!謝るから砂に穴掘って埋まろうとするのやめて!そんなつもりじゃなかったんだけど!」
「……ほんとに?」
「ほ、ほんとだから!」
「わかった。じゃあ仲直りね。はい、海泡貝」
う!
はい、と開いた貝を手渡して、けろりとしているイルミである。
だ、騙されたあああああああああああああああ!!
「ずるいよ!」
「海月。お仕事」
はいはいはいはい……!!
ったくもー、都合のいい時だけ仕事に真面目なんだから。
再びイルミの爪を拝借して、ぷっくりと膨らんだ貝の真珠袋を切ってみると。
「おお!」
「ビンゴ」
つるり、と剥かれた乳白色の貝の身の下、アクアパールの澄んだ輝きがあらわになる。
「すごい、光ってるみたい!」
「うん。ビスケが見せてくれたのも綺麗だったけど、採れたてって、やっぱり新鮮さが違うのかな。透き通ってて、海みたい」
ひょい、と貝の中のパールを取り上げて、
「なんか、ビスケに渡すのもったいなくなってきた。貰っちゃおうか?」
「ダメ!」
シュパッとテンタくんで回収!
母体の貝ごと保存BOXにしまうと、ちぇ、とイルミは唇を尖らせた。
「ま、いいや。でさ、ご褒美どうする?」
「え?」
「一度のソナーで見つけられたら、あげるって言っただろ。何がいい?」
「え……と」
そ、そう言えばそんなこと言ってたかも……何だかんだで忘れてたよ、はは。
なににしよう。イルミのお仕置きは多々あれど、ご褒美なんて貰うの初めてなんじゃないのかなあ。
せっかくだから、夕ごはんに美味しい物でもおごってもらおうかな。
うーん、でも、私の手の届かないような高級エステの全身コースをイルミと一緒にっていうのも捨てがたいし……うーん。
うーん……。
「悩みすぎ」
つん、と長い指でほっぺたを突っつかれる。
「だって~、イルミがご褒美くれることなんて滅多にないんだもん。悩むよ、こんなこと二度と無いかもしれないんだから」
「そんなことないよ?海月が変な意地はったり我儘言ったりしないで、ちゃんと素直に俺の言うこと聞くんならいくらでもあげるのに」
「それがハードル高いって言ってるの」
そう?なんて、くりっと首を傾げてみせるイルミに自覚なんてものはこれっぽっちもないらしいけど。ほんっと、恋人関係になってからも、イルミのスパルタっぷりはちっとも変わらないからなあ……ハンター試験のときよりも、求められることのレベルが高くなってる気がする。
――そうだ!
「そうだ! ねえ、イルミ。ご褒美に、もっと私を甘やかして?」
「は?今だって充分甘やかしてると思うけど」
「もっと!イルミはもともと親譲りのスパルタ気質なんだから、甘やかしてると思ってるくらいでやっと標準よりもややSよりってくらいなの」
「そうなの?」
「そうなの!」
握りこぶしをガッと固めて力説することしばし。はじめはふうん、と不満気に考え込んでいたイルミだけど、やがてこっくりと頷いた。
「わかった」
「やったあ!」
「でも、そのためには海月がもっと俺に甘えてこなきゃいけないよ。できる?」
「え……!」
「だって、甘えられてもいないのに甘やかせないじゃない」
「……」
それはそうですごもっとも。
真顔で言い寄るイルミの目が輝いている。
ように見えた。
そして、その瞬間、私は気がついた。
自分で巨大な墓穴を掘ってしまったことに!!
「じゃあ今のナシ!夕飯にステーキとエステおごってください!!」
「ダメ。変更不可。俺に甘やかして欲しいんでしょ?だったら甘えておいで。いつでも、いくらでも甘えさせてあげる」
念を押すようにイルミは私の頭をくりくりなでて、待ってるよ、と言わんばかりにホッペタにキスを落とした。
……。
や、やられた……!!