「ここなんだけど」
「え……っ!?」
スーツのサイズ合わせを無事に終えた私達。
ゆっくり島を見て回りたいというチーちゃんと、嫌々ながらもそれについていったミルキくんと別れ、私とビスケさんはイルミが行きたいと言っていたとあるお店へとやってきたわけなんだけど。
……なんですか、このミラーボールも顔負けなくらいキランキランしたお店は。
目の前にどでんとそびえ立つ、もうなんか、お店自体が宝石でできているんじゃないかって思うくらいの宝石店を見上げながら、内心で頷いた。
そう言えば、婚約指輪見に行こうって言ってたもんなぁ……。
ううっ、イルミとの結婚が、いよいよ身近に感じるようになってきたよう。
内心で冷や汗を流す私を連れて、イルミはその辺のハンバーガーショップに立ち寄るようにあっさりと入店し、ポテトでも注文するような気軽さで、「婚約指輪下さい」と店員さんにのたまった。
それもすごいんだけど……もっとすごかったのはビスケさんだ。
彼女が店に入るなり、そこに居合わせた店員さんたちがザワッと色めき立ち、店の奥から立派なスーツを着た、いかにもこの店のオーナーです、というような貫禄のある男性が足速くやってきた。
なんだかこう、全身からジェントルマンなオーラが溢れ出している人だ。
たっぷりと髭をたくわえた顔が、ちょっとツェゼゲラさんに似てるかもしれない。
彼は私達の前に来ると、一部の隙もない完璧な作法で頭を下げた。
「これは、ビスケさま。いつもご贔屓に。その節は大変お世話になりました」
「おほほ! こちらこそ、儲けさせてもらってありがたい限りだわ。ポー、イルミ、紹介しとくわ、彼はこの店の総支配人であり、ヨルビアン大陸一帯の宝石市場を知り尽くすやり手のストーンハンター。アダマス・ジュビリー」
「お初にお目にかかります。ビスケ様のご友人方ですかな」
ゆったりと、にこやかに微笑むアダマスさんのシルクのタイに、バラの花を象ったダイヤのタイピンが輝いている。
すごいタイピンだ。親指の爪くらいあるダイアモンドが、ざっと見ただけで十個以上嵌ってるじゃないか。
あんなの買ったら一体いくらするんだろう……!
「そ、そうです、友達です……! あの、ハンターとしてはものすごく後輩に当たりますけど……!」
「ほう、お若いのに大したものですな」
「腕も大したものなのよ? 今日はこの子たちの用事に付き合いがてら、これを加工して欲しいんだわさ。さっきから自慢したくって仕方がなかったのよ」
ゴソゴソ、ビスケさんが乙女の胸元から取り出したのは、あの宝石箱だ。
蓋を開くと、全く同じ大きさの二つのウォーターパールが、店内の照明を吸い込み煌めいた。
「おお……! これは素晴らしい……!!」
「右のは私物で、対になるひと粒を探してたのはアンタにも話したことがあったでしょ? ポーは売れっ子の海洋生物ハンター。頼んだらあっという間に採ってきてくれたのよ。勿論、ダメもとだったけどね。カッカッカッカー!!」
「えっ、そうだったんですか!?」
まあね、と舌を出すビスケさんの手から、アダマスさんは丁重に宝石箱を受けとった。
「見れば見るほど素晴らしい……ポー様、機会があれば、今度は是非うちの店の商品を承て頂きたいものです」
「運が良かっただけですよ。たまたま、同じような大きさで、同じような色艶の真珠を内包した貝に巡り会えただけです。すごいのは私じゃなくて、貝を育んだマーレ諸島の海です」
「――! なるほど、仰られる通りでございます。ふぅむ……貴女はまるで、磨きたての裸石(ルース)のようなお方だ。難億年もの間地中深くで眠っていた石が掘り起こされ、宝石として見出され、磨かれて、その表面に初めて光を浴びて輝いた――貴女のオーラからは、そんな、えも言われない美しい輝きを感じます」
「ど、どうも……!」
ひゃあっ、背筋がこそばゆい!!
そういえば、ビスケさんも人のことをやたら宝石に例えたがるけど、この人もストーンハンターなんだよね。
職業病ってやつなのだろうか。
「ところで、本日はポー様のために石をお探しで?」
うん、と頷いたのはイルミだ。
「婚約指輪を探してるんだけど、似合いそうなのを見繕ってもらえないかな」
「それはそれは! ご婚約おめでとうございます。当店にはブライダル専門のコンシェルジュを用意してございます。どうぞ、ごゆっくりお寛ぎの上、石たちとの対話をお楽しみくださいませ」
パチン、とアダマスさんが指を鳴らしたとたん、数人の店員さんが私達を取り囲み、別室に案内の上ソファーにお茶にお茶菓子に――そして、大きな大理石のテーブルには、大小様々なデザインの婚約指輪がケースに入れられ、ところ狭しと並べられた。
出入口には……警備員さん。
「め、目が痛いよイルミ……」
「我慢して。さてと。この店、島の火山帯で採れるマーレダイアの最高級品を取り扱ってる老舗有名店って肩書なんだけど、専門家としてはどう? ビスケ」
「異論はないわ。オーナーはハンターとしての腕も優秀だし、仕事に対しても真面目一筋。ただ、一流にこだわってる分、お値段もかなーり高級だわよ~」
「その辺は全く問題ない」
「おほほ~! そうだったわね、ゾルディック。んじゃ、依頼料として、あたしもついでに貢いでもらおうかしらね~」
「は? 言っておくけど、交渉した金額以上は一ジェニー足りとも払わないからね」
「金持ちがケチ臭いことぬかしてんじゃないわよ!」
おおう、ビスケさんっ!
泣く子も黙る暗殺一家、ゾルディック家の稼ぎ頭イルミに向かって、大阪のおばちゃん顔負けのつっこみをズバーン!とぶち込んだ!
お、恐ろしいことを……!
で、でも、意外にもイルミは「痛いな。やめてよー」と顔をしかめるだけで、ビスケさんにエノキを投げつけるような真似はしなか――
「イルミーッ! 今こっそりポケットからエノキ出して隠したでしょう! ダメ! お仕事でもないのに物騒なもの使わないでっ!」
「よくわかったねー。ちょっとびっくり。わかったよ。今度からはポーにもバレないようにこっそりするから、安心して」
「イルミ?」
「……わかった。仕事道具は使わない」
よろしい、と頷くと、指輪の説明や、宝石の詳細などのために付き添ってくれていたコンシェルジュの女性が、クスリと微笑んだ。
よく見ればこの人、すっごく綺麗だ。
優雅に波打つ亜麻色の髪。
冷たく輝くアイスブルーの瞳はどこか、シルバさんを思い出す。
眼の色に合わせてか、左耳に淡い青色の石のピアスをつけている。
彼女は数多くの指輪の中から、私の容姿や指の形なんかに合わせてひとつひとつ選んでは、嵌めてみてくれるのだけど……どの指輪も、室内灯を反射して眩いかぎり。
目がくらんでしまう。
うう、だんだん、どの指輪を嵌めたのかさえわからなくなってきたよ……。
「ポー、ちょっと休憩にしようか。疲れただろ」
「う、うん、お、おねがい……」
ぐったりとテーブルに突っ伏した私の背中を、イルミはしばらく撫でていてくれたけれど、少ししてから席を立った。
「ちょっと見たいものが他にもあるから、ポーはそこで休んでて。ビスケ、悪いけど、付き合ってくれる」
「OK! ついでに冷たい飲み物でも出すように、オーナーを小突いてくるわさ」
「ありがとうございます……」
鈍い頭痛に、ぎゅっと閉じた瞼の向こう。
パタン、と部屋の扉がしまった。
その、直後の事だった。
ヒヤリとした硬いものが、私の首筋に、貼りつくように押し当てられていた。
「動けば殺す」
「――っ!?」
「声を出せば殺す、念を使っても殺す――死にたくなければ、ゆっくりと上体を起こして目を開け」
なに……?
一体、なにが起こってるんだろう。
訳が分からない……混乱しかけた頭の中に、イルミの声が聞こえた気がした。
「逆らうな」と。
命を盾に脅されたときには、相手に逆らわないこと。
従順に従って敵の油断を誘い、隙を突いて攻撃に転じろ。
これは、いつだったか訓練の際に、イルミに言い聞かされた言葉だった。
ゾルディックの人間であるイルミに深く関わることで、もしかしたら、そういう命の駆け引きをしなければならない事態に巻き込まれるかもしれない。
だから、よく覚えてくように、と。
「……っ」
頸動脈にナイフを押し当てられたまま、
机の上のガラスケースに、背後に立つ人物がうつりこんでいる。
それは意外なことに、ついさっきまでにこやかに対応してくれていた、コンシェルジュの女性だった。
でも、髪の色が全く違う。
薄いガラスの上に輝くのは、腰まで届くような、長い銀色の髪――
「思っていたより、怖がらないのね。流石は、
「……っ!」
この人はイルミのことを知っているんだ。
それだけじゃない、私が彼の婚約者だということも知っている。
その上で、こうして命を狙いに来ている。
なんのために、あるいは、誰の差金で?
ソファの上で身を固くしたまま、必死に思考を巡らせる私の耳に、艶めいたため息がかかる。
ナイフが引かれ、つい、と長い爪の先が喉元をくすぐっていった。
「つまらないわ。このまま、ちょっと刃先の向きを変えれば、アッサリ殺せそう。いくらなんでも、こんなに無防備で弱い子だとは思わなかったわ」
「……っ」
突如、凶暴な腕に顎をわしづかみにされた。
指先から伸びるのは猛禽類のような鍵爪だ。
イルミやキルアをはじめ、ゾルディックの人達も身体を操作して爪を伸ばすことができるけれど、こんな風に湾曲してはいない。
皮膚が裂けるくらいの力で振り向かされ、至近距離で見据えられた。
青い、その瞳の中心にある瞳孔が、糸のように細まる。
「私はシィラ。シィラ・シーカリウス……家名を名乗っても、ピンと来ないかもしれないけど。光の世界で名を馳せる、売れっ子ハンターの貴女には縁のない世界だものね」
甘い香りが鼻をくすぐった。
深くて冷たい、花の香りが彼女――シィラの白銀の髪から漂っていた。
耳朶にぴったりと唇をおしつけ、彼女は囁いた。
「――運が良かったわね。今日はあいさつに来ただけなのよ。でも、これだけは言っておくわ……貴女は、イルミの伴侶には相応しくない。キキョウ様も、そう仰っておられた。彼は、私達のように、彼と同じ闇に生きる強者を娶るべきよ。誰が彼の妻に相応しいか、実力で証明してみせるわ」
「……!」
「貴女にイルミは渡さない」
その、最後の言葉が終わらないうちに客間のドアが開かれた。
「おや?」
入ってきたのは、オーナーのアダマスさんだ。
彼はソファに腰掛けた私を見つめ、不思議そうに首をひねった。
「お一人でございますか、ポー様。確か、ご相談役の担当者を一人手配したはずなのですが」
「……」
「ポー様?」
私は立ち上がって、ぼうせんとした頭のまま、室内を見渡した。
さっきまで、肌が触れるほど近くにいたはずのシィラの姿はどこにもなかった。