イルミと共に、デントラ港へ駆けつけた私。
ゴンとキルア、クラピカにレオリオ。ついでにヒソカさん。それから、有志で集まってくれたハンターさん達、血気盛んな生徒達と共に、奇襲攻撃をしかけてくる暗殺者たちを張り倒し、全員生け捕りにするのに、ニ十分もかからなかった。
捕まえた彼女達は気絶させ、念縛ロープという特種な拘束縄で縛り上げてある。
周の要領でオーラを込めて縛れば、100メートル近い海洋生物でも引きちぎることは不可能。
簀巻きにした彼女達を、まとめてリッポーさんに引き渡し、護送船に詰め込んで――これにて一件落着!!
「暗殺花嫁候補、全員捕獲完了――っ!!」
「お疲れ様でした――っ!!」
わっと湧き上がる歓声。
港が震えるほどの拍手喝采に包まれながら、ほっと息を吐く。
その瞬間、体中の力が急に抜け落ちた。
「おっと」
地面に膝をつく瞬間、肩を貸してくれたのはイルミだった。
「あ……ありがと。なんか、安心しちゃって」
「大丈夫? 今夜は色々無理させたからね。ポーが思ってるよりもずっと、疲れが溜まってるんだよ」
帰ったら、よく休まないとね。そんな言葉を、イルミは当たり前のようにかけてくれる。そんな彼の姿を、小さな蒼い瞳が二つ、物言いたげな視線で見つめていた。
睨んでいるような、ちょっと羨ましいものでも見るような、複雑な視線だ。
「キルア……私のこと、ゴンや皆に知らせてくれたんだね。危険を承知で、港の皆を守るために駆けつけてくれて……本当に、本当にありがとう」
「バーカ! ポーと俺達はダチ同士なんだから、礼なんていらねーよ。それよりも、兄貴」
「なんだい、キル」
クリン、と小首を傾げるイルミに、キルアは近づいていく。
あと一歩で、互いの間合いに入る……そんな、ギリギリの距離で立ち止まり、青く澄んだ瞳をまっすぐに向けたまま、彼は尋ねた。
「さっき、親父の前で言ったこと――「家を出る」って、本気だったのか?」
「ああ、本気だよ」
そう答えるイルミの横顔は、眉一つ動かない。
でも、私の剥き出しの肩に触れる彼の手の平は、火傷しそうなくらい熱かった。
「過去形じゃなく、今でもそう思ってるけどね。俺は、必要があれば、ポーと二人でいつでも家を飛び出す覚悟だ」
「親父と殺り合うことになっても?」
「うん。家よりもポーが大事だから」
「……そっか」
「うん」
視線を外して、キルアが俯いたのは、照れ隠しだろう。人差し指で鼻をこすり、嬉しそうに笑う暗殺少年の姿を見ながら、私は、イルミがこの場で、あえて口にしなかった言葉を想った。
『友達を選んだお前と、同じようにね』
「なに、ニヤニヤしてるの?」
「痛ーいっ!? 酷いよ、イルミ! なんでいきなりほっぺたつまむの!」
「別に。ただ、人の胸中を勝手に探られてるような気がして、ムカついただけ」
「そーんなの! たかが海洋生物学者に心を見透かされるイルミが悪いんだよ。修行不足! だいたい、シィラさんとラブホテルに行った時も、室内に私が潜んでることにだって全然気づいてなかったじゃない。そんなことじゃ、ゾルディックの看板外して独立営業なんて絶対無理なんだから。ウィングさんに弟子入りしようって言った時は、今更だって断ってたけどさ。イルミも一度、ビスケさんの所で基礎修行しなおしたほうが――ひだだだだだだっ!! いやー! 頭蓋骨ギリギリしないでーっ!!」
「余計なお世話だよ。というか、実力不足は今回のことで十分痛感済み。それが解ってる上で、苦労と無理を承知で、ポーを守るためなら家も財産も捨てていいって言ってるんだろ。これだけの愛情表現を、どうしてポーは分かってくれないのかな。そんな頭なら、なくっても困らないよね?」
「痛い痛い痛い痛いですイルミ!! 分かった分かりました!! イルミの愛情はもう十分に分かったからやめて痛い!!」
「やだ」
「ポーと兄貴って、ほんっと仲良いよなー」
大きな手の平で私の頭部をガッツリ鷲掴み、守りの泡が発動しないギリギリの痛みを的確に与え続けるイルミと、苦しみもがく私。
拷問じみたこの光景を前に、キルアはゴンと共に「なーんか、安心したぜ」と呑気に笑い合っている。
ええい、止めてくれ君たち!!
痛みで覚えさせる、これも愛情表現だとばかりに執拗な締め付けをしてくるイルミに、抵抗を諦め、涙目の私――そんな私に、ゴンが何の悪意もなく、無邪気に尋ねた。
「ねえっ! ポー、結婚式はいつするの?」
「え……っ!」
「俺達も絶対行くからさ、絶対、招待してね! ね、キルア!」
「おう! 今回みたいに、どこにいたって駆けつけてやるよ。いつやるか、もう決まってんのか?」
「え!? え、ええっと……」
しまった、困った。そんなの全然決まってない……っていうか、私はついさっき、イルミの正式な婚約者として認められたばっかりなのにそんな、いつ式を挙げるかなんて決まってるわけないじゃないの!
しかし、はたと気がついてみれば、目の前のゴンやキルアだけでなく、この場に居合わせた全ての人達が、騒ぎを止めて興味深そうに私の返答を待っているわけで……うううっ、ヒソカさん笑いすぎだし!!
困った挙句、イルミを見上げて――後悔した。
「いつ挙げるの」
「うっ!」
「いつ結婚するの? 俺達」
「う……あ……ええっと……」
イルミの目が。
イルミの目がああああああああああああっ!!!
も、もうなんか、餌に食いつく寸前の鮫にそっくりなんですけど……!!
こ、こいつはまずい。これはもう、「あははー、いつにしよっかー」なんてヘラヘラ笑ってお茶を濁そうものなら、即座に首が飛ぶレベル……!!
蟻編で王を前に生き残るための一言を必死こいて導き出したウェルフィンの気持ちが、今なら分る気がする……。
「ポー」
真っ黒な瞳を限界まで見開いたまま、視線を逸らすことを、絶対にゆるさないプレッシャーでもって、イルミは再度訪ねてきた。
「ねえ、俺達はいつ――」
「は、8月8日……っ!!」
「……え」
「ら、来年の8月8日。私の誕生日……に、け、結婚したい……イルミと!!」
「……」
「場所は、できるなら、このデントラ港で。今夜、こうして集まってくれた皆を招待して、そこで、結ばれたい」
「……」
「……って、実は、イルミと離れ離れになってた、ハンター試験後の半年間、なんとなく想ってたんだけど……」
「……」
「でも、ちっちゃな港だし、磯臭いから嫌だって言われるんじゃないかって不安で、なかなか言いだせなくってさ――わあっ!?」
頭を締め付けていた手が離れる――瞬間、ひょーいと、子供のように高い高いされて、最後はぎゅっと、イルミの腕に抱きすくめられた。
いいよ、と、耳元に囁かれるのは優しい声。
「海月がそうしたいなら、それが一番いい」
「よかった……! ありがとう、イル」
ミ……。
その、最後の一文字は、近づいてきた彼の唇にあっさりと奪われてしまう。
ゴ、ゴンやキルアや、その他百人近い色んな人達が見てるのにいいいいいい――っ!!
「っぷは! な、ななななんってことするの!」
「は? 結婚式本番には、屋外のしかも大多数の面前で誓いのキスをしなきゃいけないんだよ。こんなことくらいで文句言ってどうするの」
「うっ!?」
「大体さ、ポーは俺の婚約者になったっていうのに、今だにキス一つで真っ赤になって恥ずかしがるよね。 俺とラブホテルに行った時も、恥ずかしがって、結局ノーマルなプレイしか出来なかったじゃない。そんなことじゃ、式や初夜、ハネムーンなんて絶対無理だから。たまには道具でも使ってみるって聞いた時は、怖いから嫌だって断ってたけどさ。ポーは一度、じっくりとっくり俺と水入らずで過ごして開発されたほうがいいよ、絶対」
「そんなとんでもないこと淡々と言わないで――っ!!」
イルミの馬鹿ああああああああ――っ!!
そんな私の悲鳴に近い絶叫は、成り行きを見守っていた皆の大笑いと、拍手喝采の嵐に埋もれる。
やまない拍手と、笑い声。
そうと決まれば祝杯だと、我先に酒瓶を持ち出す海人達。集まってくれたハンターさん達も、酒で満たした盃を一斉に天に突き上げて、
「今宵の勝利と、先生のご婚約を祝って、乾杯――っ!!」
デントラ名物、宵越しの大宴会が、幕を開けた。
***
「うう……頭いたい……」
「飲み過ぎだよ」
デントラ港の港町から、高台へと続く夜道を、イルミの肩を借りて登って行く。
振り返れば、緩やかに続く坂道と、歩道灯の明かり。
麓に見えるデントラ港からは、賑やかな声が聞こえている。
暗殺花嫁集団との一戦を大勝利で収めた後、方々から集まってくれた皆をとれたての海鮮とお酒でもてなし、お礼をしたのは良かったんだけど……嬉しかったのと、おなか空いたのとが相成って、ついつい飲み食いし過ぎてしまった。
血気盛んなデントラ港メンバーと、ハンターのみんなはまだまだ騒ぎ足りない様子のようで、お祭り騒ぎはまだ当分続きそうだ……。
「いくら祝杯だって言っても、立てなくなるまで飲むかな普通……ていうか、あのバクテリアを使えばいいのに」
「ダメだよー、せっかくの祝杯が勿体無いじゃない。酔う時は、酔わなきゃ!」
「あっそ」
呆れたため息を落とすイルミの腕に腰を支えてもらいながら、私は立ち止まって、港を見下ろした。
「……みんな、元気そうだったね」
「うん」
「キルアもゴンも、クラピカも、レオリオも、それからヒソカさんも、おめでとうって言ってくれた――こんなに危険なことに巻き込んじゃったのに」
「ヒソカはむしろ、喜んでたぐらいだったけどね。あいつは、こういうスリルを生きがいにしてるから」
「ふふっ! そうかもね……イルミ、私ね、本当に感謝しきれなくらい嬉しいよ」
「海月……」
「今夜は、ごめんね。また、イルミの前で危ないことしちゃった」
「いつものことだから、いいよ。それより、俺の方こそごめんね……」
イルミの手のひらに、頬を包まれる。
「――キスしていい?」
「うん……」
ゆっくりと落ちてくる口づけを、幸せな気持ちで受け止めていたときだ。
ブー、と、タキシードの内側で携帯が震えた。
「それ、家のだよね。出てもいいよ?」
「うん、ごめん――はい、俺だけど。……そう、それはよかった。うん、うん。わかった。そっちのコテージは好きに使ってもいいよ。俺とポーは、あと二、三日好きにさせてもらうからね。……うん、じゃあ」
ピッ、と通話を切った後。
「父さんからだった。――母さんが、ポーのことをちゃんと認めてくれたって」
「え……!」
「よかったね」
ぽんぽん、と優しく頭を撫でられる。
「ほ……本当に? でも、キキョウさん、最後まで怒ってたみたいだったけど」
「母さんはいつでもそうだよ? それに、海月が気がついてないだけで、母さんはあれで海月のこと、気に入ってるし」
「ええっ!? ででででも、花嫁修行中でも私、褒められたことないよ?」
「台所を任されてるだけで、すごいことなんだってば。それが証拠に、俺と海月が仕事で家を開けている間に、衣装部屋が三つくらい増えてたよ。帰ったら、中を見てみたら?」
「な、なんか怖いんだけど――でも、よかった。キキョウさんが家に帰って来たら、お礼を言わないとね」
「殺されかけたのに?」
「そんなの、いつものことじゃない」
確かに、と無表情に頷くイルミがおかしくて、くすくすと笑っていたら、ふいに抱き寄せられた。
「イルミ?」
「海月、俺さ。海月に、一緒に家を出るって話を止められたの、ちょっとがっかりしてるんだけど」
「ええっ、嘘!?」
「ほんと。だって、俺、海月と二人で新婚生活送るのを楽しみにしてたんだよね。俺んちだと、誰かしら家にいるから気を使っちゃうし」
あれで……?
皆でリビングでくつろいでるときも、すきあらば服の中に手を突っ込んでくるくせに。
「そんな顔しないでよ。海月はしたくない? 俺と二人暮らし」
「そ、そういわれるとしてみたいけど――あ、そうだ」
「ん?」
「この先の分かれ道を右に行った所に、家を一件借りてあるんだけど、今夜は家に帰らずに、そこに泊まってみる?」
「……」
「岬近くの小さな一軒家で、機材とか本を置いてるからちょっと狭いけど、掃除はしてあるから。ガスや水道も通ってるから、明日の朝は市場の朝市に買い物に行って、朝ごはん作ってあげる。……イルミ?」
無言のまま、身をかがめたイルミ。なんだろうと思っていたら、ひょーい、と肩に担ぎ上げられていた。
そのまま、景色がブレるほどのスピードで走り出す。
「わっ、わっ!? おち、落ちる! そんなに速く走らないで、落ちるってばイルミー!」
「落とさない。そんな便利な物件持ってるなら、もっと早くに教えといてよね」
「しょうがないじゃない、半月も会えてなかったんだから……!」
「うん。だから今夜は、その半月分と、ミルキのダイエットに付き合ってたせいでイチャイチャ出来なかった分。それに、母さんに邪魔されたせいで海月に会えなかった分を、全部まとめて愛してあげるから、期待しててね」
「そ、そんなにまとめられたら死んじゃうよ!!」
「大丈夫だと思うけど。そうだ、ついでに、海月が俺に殺せない女かどうかも、ちゃんと確かめてあげるね。ふふふ……」
「ふふふ、じゃないよ――っ!!」
やーめーてえええええええええええええええっ!!
大勝利に湧く人々の宴が、夜の闇を賑やかに彩るパドキア共和国、デントラ地区デントラ港。
――その一角に、嬉しそうなイルミの笑い声と、私の悲鳴がいつまでも響いていた。