11 ハネムーンのその夜に

 

 

 

 

 

 

 

「うん。今、イルミと一緒にレストランで夕ごはん食べるとこ。テーブルバーベキューだから、よかったらチーちゃん達も来ない? ――え、ミルキくん、また気絶しちゃったの!? わかった、わかった。楽しんでくるよ。じゃあ、また明日の朝に」

 

 

 

ぷちん、と通話を切る。

 

 

 

「二人とも、今日はビスケさんのところに泊まるんだって」

 

 

 

「……そう」

 

 

 

豪華な海鮮がズラリと並んだテーブルの向かいで、イルミは呆れをめいいっぱにじませてため息をついた。

 

 

 

「幸せが逃げるよ、イルミー」

 

 

 

「そんなの海月がいくらでもくれるから、少しくらい逃しても平気だよ。それにしても、酷いね、ミルキは。昔からそうだったけど、ここまでたるんでたなんて。ちょっと反省するよ。俺の指導不足」

 

 

 

丸々太ったロブスターを、ボキイ、と素手で真っ二つにへし折って、炭火の上に並べるイルミはなんだか落ち込んでいる模様。

 

 

 

「でもさ、ビスケさんも言ってたよ。せっかくの才能が勿体無いって。私もそう思うの。ミルキくんて、今でもパソコン関係とか技術関係に関しての才能は物凄いじゃない。サボったりめんどくさがったりしなかったら、もっと伸びる子なのにって。私、正直言って、引きぬきたいくらいなんだよねー」

 

 

 

「海洋生物研究に? 役に立つの?」

 

 

 

「立つよ。ものすごく。念動力システムって聞いたことある?念の力で機械を動かすの。電力や原子力よりも、もっと軽コストでクリーンなエネルギーで、巨大な船や潜水艦だって動かせる。でも、念を使える人って限られてるから、技術者も研究者もものすごく少なくて、未発展の分野なわけ。そこにミルキくんをつっこみたいなー、ぜーったい天職だと思うんだよねー。ゆくゆくは、それで動く空母を……」

 

 

 

「あいつの天職は殺し屋だよ……っていいたいけど。確かに、ミルは変わってる。あいつは拷問とか、他人をいたぶるのは好きなんだけど、直に殺すのを極端に嫌がるんだ。子供の頃からそうだった。なんとか殺しても、その後がどうしてもダメでさ。血も、臓物も、ゲームは大丈夫でもリアルのものは受け付けなかったんだ。本人は必死に隠してるし、兄弟にはバラすなって言われてるから内緒だよ?」

 

 

 

ボキイッ! と、イルミはまだ生きているワタリガニの甲羅を安々とはがして、網の上に並べた。ロブスターは、透明な身がほんのりと白く染まってきて、ブクブクと殻の中に煮汁が立ってきてる。

 

 

 

食べごろだ。

 

 

 

「はい、イルミ。お皿かして」

 

 

 

「ありがとう」

 

 

 

取り分けてあげて、その横に、雲丹の身を二つばかりスプーンでくりむいたものを、軽く炙って添えてあげる。

 

 

 

「そうなんだ。知らなかった。だから爆弾なの?」

 

 

 

「うん。殺傷力は高いし、自分は離れていられるし、証拠も死体も全部燃えて、残り辛い。あいつ、アニメ好きだろ。なんか、そういう感覚で殺せるから、それが一番いいんだってさ。ただ、正確性、確実性には欠ける。そこがあいつのネック」

 

 

 

「ふぅん……」

 

 

 

「――ごめん」

 

 

 

ふいの謝罪に、びっくりしてイルミを見た。

 

 

 

お皿の上のロブスターには一切手をつけないで、彼は私を見ている。

 

 

 

「なんで謝るの?」

 

 

 

「だって、こんな話聞きたくなかっただろ。しかも、食事中に。ごめん」

 

 

 

「ええ?そんなの今更だよ。ゾルディック家では日常茶飯事じゃないの。むしろ聞けてよかったよ?ミルキくんのこともそうだけど、イルミの小さかった頃の話とか、兄弟との話とか、もっと聞きたいな。あ、もちろん、イルミが話したかったらでいいからね」

 

 

 

ぱくっとエビの身をほおばって、口いっぱいで堪能しながら、手では殻付きのホタテを並べていく。

 

 

 

どれも新鮮。

 

 

 

このレストランは半分海上にせり出しているから、海沿いのこの席からは、海に並んだいけすが見える。正真証明、とれたてのピチピチだ。

 

 

 

カップルで予約すれば全コース半額。しかも、二人で力を合わせて釣り上げた獲物はタダになる。

 

 

 

このユニークな趣向が名物らしく、店の中は楽しく食事を楽しむカップルと、浜で繰り広げられる必死の漁獲に声援を飛ばすカップルとで大いに賑わっていた。

 

 

 

「……海月」

 

 

 

そのざわめきの中で、イルミの周りだけがぽっかりと穴があいているかのように空虚だった。ポツリ、とイルミは言う。

 

 

 

ナイフとフォークを手に持って、お皿のエビに目を落としたままで。

 

 

 

「なに?」

 

 

 

「海月はなんで、俺達を軽蔑しないの」

 

 

 

「何でって、なんで……?」

 

 

 

「だって、俺達は所詮、人殺しだよ」

 

 

 

「違うよ。殺し屋さんでしょ。そこはきっちり線引しておくべきところじゃないの?」

 

 

 

「……そうかな」

 

 

 

「そうだよ。イルミが人を殺すのは、生きていくためなんでしょ。依頼もされていないのに人を殺したり、関係のない人を巻き込んで傷つけたり、殺しを脅しの道具に使うのは三流の殺し屋だってゼノさんも言ってたよ。ターゲットには、恐怖も悲しみも怒りすらも感じさせない……死しか与えない、一流の殺し屋にならなきゃダメだって! ほら、早く食べないと、せっかくの焼きたてがもったいないよ?」

 

 

 

「うん」

 

 

 

イルミは頷いて、上品に、一口大に切り分けたエビの白身を口に運んだ。

 

 

 

「おいしい」

 

 

 

「でしょ?イルミと一緒に獲ったんだもん。おいしいに決まってるよ。イルミは殺し屋さんで、私は海洋生物学者だけど、それ以前に人間で、生き物なの。誰かの命の上に立って生きてるの。そこに、いいも悪いもないよね」

 

 

 

「うん」

 

 

 

「それに、イルミは暗殺一家ゾルディック家って環境の中に生まれ育ったから殺し屋さんなんだよ。他のことが家業だったら、きっと他の仕事をしてたと思うんだよね。例えばお寿司屋さんとか?」

 

 

 

「寿司?」

 

 

 

「うん。イルミはきっちり修行して家業を手伝うけど、ミルキくんは食べる方とネットビジネス展開にハマって修行そっちのけ、キルアは才能はあるけど、「寿司なんか嫌いだ―!」って、やっぱり家を飛び出していくの」

 

 

 

「……目に浮かぶね」

 

 

 

「でしょ。だから、軽蔑なんかしないよ?」

 

 

 

パクパクと、イルミは大きなロブスターをあっという間に平らげた。雲丹ももちろん。目線で次を催促するので、真っ赤に焼けたワタリガニを剥いて、お皿に持ってあげる。

 

 

 

シャンパングラスを傾けたイルミの横顔が、ふいに、七色の光に染まった。

 

 

 

「花火だ」

 

 

 

「ホントだ!船の上でパーティーしてる。すごい、綺麗だね~」

 

 

 

パパン、パパン、と、藍色の空に光の花を打ち上げながら、白く美しい客船が、開け放した窓の外を通り過ぎていく。

 

 

 

先頭から船尾まで、余すところなく取り付けられた綱仕掛けの花火が点火された。数十メートルの速火線で連結した焔管から、金色の火の粉が一斉に流れ落ちる。すぐ真下にある水面に反射して、船はまるで、光の海を進んでいくようだった。

 

 

 

「うわあ、綺麗……。一体、なんのパーティーなんだろう」

 

 

 

「結婚式だよ」

 

 

 

見て、と指し示された指先に、純白の衣装の二人がいた。幸せそうに微笑みながら、こちらに向かって手を降っている。

 

 

 

夜空に舞い散る、白いプリムラの花弁。

 

 

 

イルミの手が、いつの間にか私の左手に重なって、薬指の指輪に触れていた。

 

 

 

天空闘技場の一件の後、プロポーズとともに、イルミによって嵌められたあの指輪だ。

 

 

 

「イルミ……」

 

 

 

「海月――この指輪、早く取ってよ」

 

 

 

「ええ!?なんでっ、せっかくキキョウさんに貰ったものなのに!」

 

 

 

「だから言ってるんだけど。見るからに怪しいじゃない。あのあと散々問い詰めたけど、母さんたらしぶとくて、絶対に口を割らなかったし。二匹の龍が絡まり合ってる指輪なんて、いかつすぎて可愛くない。あーあ。それさえなければ、婚約指輪探しに行ったのにな」

 

 

 

「何やっても外れなかったでしょ?サラダ油ぬっても、糸で指を巻いてみてもダメ。一度指を切り落として接合しようと思ったら本気で怒ったくせに」

 

 

 

「当たり前だよ。父さんに切られて大丈夫だったからって、俺の前で危ないことしないでね」

 

 

 

まったく、と、深い溜息。

 

 

 

賑やかな船上ウェディングパーティーを見送った後、イルミはふいに、しっかりと指を絡めた。

 

 

 

「この指輪、海月を母さんにとられてるみたいで嫌なんだよね……だから、二人で探そう。ちゃんとした婚約指輪」

 

 

 

「……うん」

 

 

 

結婚指輪も探さないとね。

 

 

 

柔らかく、目を細めて笑うイルミが綺麗だった。

 

 

 

恥ずかしくて、頷いたまま下を向いてしまった私の頭を、大きな手が撫でていく。

 

 

 

すい、と顎をすくわれて。

 

 

 

テーブル越しに、私は、今日何度目になるかもしれないキスをした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                     ***

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

食事を終えた私とイルミは、ゾルディック島へ戻るために、船着場へと続く道をのんびり歩いていた。

 

 

 

日が沈めば、街は深呼吸をするように落ち着きを取り戻す。

 

 

 

笑い声と音楽とで弾けそうだった通りは人通りもまばらになり、道の端のいたるところに焚かれたかがり火だけが賑やかだ。

 

 

 

パチパチと、火の爆ぜる音に浜辺の波音が繰り返し重なって。

 

 

 

オレンジ色の炎の立ち上る先には、紺青の夜天が広がっている。

 

 

 

パレオをすり抜ける南風が心地良い。

 

 

 

通りに出ていたカフェはそのままバーや屋外レストランへと一変し、ナイトドレスに身を包んだ女性たちが、パートナーとの甘い夜のひとときを楽しんでいた。

 

 

 

飲んでく?

 

 

 

と、イルミが振り向く。

 

 

 

「ミルキとチーは明日の朝に島へ戻ってくるって言ってたから、ゆっくりしていけるよ」

 

 

 

「本当に? じゃあ、お言葉に甘えて一杯だけ飲んでいこうかな。イルミはなにがいい?」

 

 

 

「カクテル。さっきの店ではデザートを食べなかったから、甘いやつがいい」

 

 

 

「あ、それいいね」

 

 

 

なんて会話を交わしながら、近づいていったスタンディングバー。

 

 

 

バーテンダーさんは女性だった。

 

 

 

しかも、ものすごく美人! 腰まで波打つ金色の髪に、真っ白な肌色が、シックなバーテンダースーツにこれ以上なく映えている。

 

 

 

髪は後ろでポニーテールに纏めていて、ハイビスカスの花飾りのついた紫色のリボンが印象的だった。

 

 

 

銀のシェイカーを手際よく操り、先客の注文をこなした後、彼女は私たちに視線を向けた。

 

 

 

ボリュームのあるピンク色の唇でにっこりと微笑み、

 

 

 

「注文をドウゾ」

 

 

 

「なににしようか。ポーは何が飲みたい?」

 

 

 

「うーん、イルミは甘いのがいいんでしょ?でも、後味はすっきりしてた方が好きだよね。ピニャ・コラータとか、どう?ラムベースだけど裏ごししたパイナップルとココナッツミルクが甘くて、さっぱりしてて美味しいよ」

 

 

 

「うん。じゃあ、それにする。――すみません、ストロー二本つけて下さい」

 

 

 

「え」

 

 

 

「嫌?俺は一杯もいらないから、ポーと一緒に飲みたいと思って。それに、ほら」

 

 

 

アレ、と、イルミの人差し指の先。

 

 

 

ピンク色のネオンサインが輝くバーの看板に、

 

 

 

「“二人で一杯、ダブルのストローで愛を深めるラブカクテルはダブルのシェイクでお値段半額!!”こ、こんなシックな場所にまで島長の魔の手が……!!」

 

 

 

「お得でいいと思うけど」

 

 

 

くりっと首を傾げるイルミの向こうでは、注文を聞いたバーテンダーさんがさっそくシャイカーを振ってくれている。

 

 

 

大きめのグラスに注がれる、パラダイスイエローの飲み物。

 

 

 

縁にはハートに飾り切りされたレッドチェリーがいっぱい。

 

 

 

うわあ、かわいい……。

 

 

 

「うん、美味しい」

 

 

 

真っ赤なストローの先をちゅっと咥えたイルミがまた……うわあ、かわいい。

 

 

 

「何赤くなってるの。酔っ払うには早すぎない?」

 

 

 

「な、なってないもん!」

 

 

 

「なってるよ。ほら」

 

 

 

ぴた、とイルミの手のひらが頬を包んだ。冷えたグラスに触れられていたために、指先まで冷たい。なのに――

 

 

 

「熱い。ポー、熱でもあるんじゃない?」

 

 

 

「な、ないよ、熱なんて。……イルミ、わかってて意地悪言わないでよね」

 

 

 

「意地悪?してないよ、そんなの」

 

 

 

すっと、長身を屈めてきたイルミのおでこが、私のおでこにコツン、と触れた。

 

 

 

「可愛がってるだけだろ……」

 

 

 

「ん……っ!?」

 

 

 

掠め取るように唇が奪われる。

 

 

 

強いアルコールとフルーツの香りに、頭の芯がくらくらした。

 

 

 

カクテルも、イルミの唇も冷えてつめたいはずなのに、触れられた箇所がたちまち疼くように熱をはらむ。

 

 

 

その瞬間だった。無言でこちらの様子を眺めていたバーテンダーさんが、いきなり、姿勢を正して声高に叫んだのだ。

 

 

 

「おめでとうございマスっ!!当店でご注文頂いたラブカクテルと只今のキスで、お二人のラブポイントが合計10万ポイントを達成いたしまシタ――っ!!」

 

 

 

「……はい?」

 

 

 

「なにそれ」

 

 

 

コチン、と固まった私とイルミに、バーテンダーさんはまさに天子のような笑顔のまま、

 

 

 

「ラブポイントとは、ラブハリケーンアイランドでのカップルイベント、カップルサービスに付点されるお得なボーナスポイントデス!お二人は今日一日で獲得されたデイリーラブポイントが堂々の第一位。この島に滞在するどのラブラブカップルよりもラブラブしていたナンバーワンのベストカップルとして、島長よりスペシャルなプレゼントが送られマス!」

 

 

 

ドウゾ!と手渡されたのは白い封筒だった。

 

 

 

裏にはキスマーク。真っ赤でハートな蝋印で封がしてある。

 

 

 

「……開ける勇気が」

 

 

 

「大丈夫だよ。もしもろくでもないものが入ってたら、破って捨てればいいだけだし」

 

 

 

あの島長のプロマイドとか、などと、冗談にもならないことをさらっとつぶやくイルミである。

 

 

 

「そんなの見たら今夜眠れなくなっちゃうじゃない!!――って、あれ?写真じゃないよ。なにこれ、チケット?」

 

 

 

「ホテルの宿泊券だ。しかも、地図によるとこの通りのすぐ近くにあるみたい」

 

 

 

「へえ~!嬉しい!昼間がんばったかいがあったね。ちょっと恥ずかしかったけど」

 

 

 

「そんな風には見えなかったけどね。じゃあ、島に戻るのはやめて、今夜はここに泊まろうか。島辺へは明日の朝、ミルキたちと合流して向かえばいい」

 

 

 

「うん、そうする!ありがとうございます、バーテンダーのお姉さん!」

 

 

 

「ワタシの名前はガブリエラ、デス!どうぞ、この島の夜を心ゆくまでご堪能アレ!」

 

 

 

どこか聞き覚えのあるようなイントネーションとともに、綺麗にカールされた睫毛でパチン、とウインクされた。

 

 

 

イルミと二人、カクテルを飲み干して、地図を見ながら向かった先は――

 

 

 

ピンク色にライトアップされた、いかにもなホテル!!

 

 

 

「!!!???」

 

 

 

「やっぱり。ここ、ネットでも有名なラブホテルだよ。俺、一度は行ってみたいと思ってたんだよね。ラッキー」

 

 

 

「ラッキーじゃないよ!!うわあもう島長さんってば何考えてるの!!セクハラだよ!!公金を乱用したセクハラだよ!!」

 

 

 

「いいじゃない。カップルへのプレゼントなんだから、これ以上のものってないと思うよ?しかも、ラブホテルって言ってもピンからキリまであるうちの、ここは会員制の超高級ラブホテル。本当なら年会費を払ってないと宿泊不可。しかもビーチに面した一等地。なにが不満なの?」

 

 

 

ここがラブホテルだっていうことがですよ!!

 

 

 

しかし、イルミは既に乗り気である。怪しい色のライトを除けば、豪華で巨大なホテルを見上げるその眼差しが、心なしか輝いている!

 

 

 

「イルミ……」

 

 

 

「海月、俺、実は言うとさっき海月に指摘されて反省してるんだ。確かに、俺と海月は恋人関係になる前は師匠と弟子同士だったから、海月に対して厳しく当たる面も多かった。自分でもスパルタだったと思うし、昨日の夜は歯止めがきかなくて酷い抱き方もしちゃった。だから、ちゃんとあげたいんだよ。ご褒美」

 

 

 

「……」

 

 

 

「海月に、もっと甘えて欲しいって思ってるし。俺。もっと、海月のこと甘やかしてあげたい。だから……ね?」

 

 

 

行こ?

 

 

 

だなんて、不安げに瞳を揺らめかせながら顔を覗きこまれた夜には。

 

 

 

「…………うん」

 

 

 

と、頷くしかないわけで……。