10 イルミと南国バカンスデート!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「驚いたわさ……!!」

 

 

 

「ふふふ~!」

 

 

 

二時間後、ラブハリケーンアイランドのメインストリートにあるビスケさんのエステサロンに戻ってきた私とイルミ。

 

 

 

ドアを開くなり、待ちきれない様子で駆け寄ってきた彼女に、採れたてピチピチのアクアパールを手渡した。

 

 

 

水槽型の保存ボックスに入れたまま、母体の貝付きでね。

 

 

 

「きゃあ~~っ!! この大きさ、この輝き、この鮮度!! しかもこの短時間で採取してきてくれるだなんて、くう~っ! ポー、あんたって子はほんと素晴らしいわさっ!! さすが、ハンターライセンス取得して数ヶ月間でダブルハンターに昇格しただけのことはあるっ!!」

 

 

 

「そ、それはなにかの間違いなんですけど……でも、喜んでもらえてよかったです!」

 

 

 

保存ボックスを手に、真っ白なほっぺたをスリスリ~スリスリ~とやっていたビスケさん。私の言葉にぱちっと瞬き、口元のヨダレを拭って真面目な顔つきになった。

 

 

 

「間違いなんかじゃないわよ。ハンターの世界は実力勝負! 実力のない者が、運や偶然でのし上がられる世界じゃないわさ。んん~! それにしても、アクアパールの美しさはなおのこと、母体の海泡貝がこれほどまでに綺麗な貝殻を持っているとは思いもよらなかったわさ。もっとこう、白っぽい貝だったと思ってたけど?」

 

 

 

「それはきっと、水分を失って乾いてしまったからですよ。常に水を含ませてあげていれば、貝殻のガラス質の透明度は失われません。石でいうならオパールのように水中で保存するか、乾いても貝の色が濁らないように加工してもらうのがいいと思います。あと、その身も。豊富なアミノ酸をしっかり蓄えていますから、バターなんかで焼いて食べるとおいしいですよ!」

 

 

 

「なるほどねぇ~。よし、やってみるわさ!」

 

 

 

「ところで、さっきから気になってたんだけど」

 

 

 

ぽつり、と、私の斜め後ろで、壁に背中を任せていたイルミがサロンの奥のほうをすうっと指さした。

 

 

 

「なに、あれ」

 

 

 

うん、私も気になってた。

 

 

 

床の上にドロンと溶けた雪だるま。

 

 

 

はたしてその実態は!!

 

 

 

「あんたたちを待ってる間、あんまり暇だったから、ちょっとあの子の念を見てやろうと思ってね。軽く鍛えてやってたんだわさ」

 

 

 

ほほほーっと、白い手袋で上品に口元を隠して笑う、ビスケさん。

 

 

 

ビスケさんのシゴキって言ったら、グリードアイランド編でお馴染みの――あーあ。

 

 

 

「ミルキくん!ちょっと、大丈夫!?」

 

 

 

慌てて助け起こしに行く私。ミルキ・ゾルディック、19才。体力もオーラも使い果たしました……といわんばかりに、真っ白になって気絶していた。

 

 

 

ペチペチと、何度かホッペタを叩いてやると、くぐもった唸り声とともに、うっすらとまぶたが開く。

 

 

 

「ミルキくん、大丈夫?」

 

 

 

「……う、だ、大丈夫じゃ、ねー……コ、コフー……コフー……こ、殺してやる……殺してやるぅ……あのババアにあのチビぐげっ!」

 

 

 

スコーン! と、せっかく気がついたミルキの額に、ヒットするマッサージ用のヒーリングストーンは、チーちゃんだ。相変わらず、真っ黒なフードをかぶったままで、サロンの奥の部屋からやってくる。

 

 

 

「誰がチビやねん、デブ」

 

 

 

ふむ、と感心した面持ちで、イルミ。

 

 

 

「スパルタだねー。気に入ったよ」

 

 

 

「あんなのまだまだシゴキのうちに入らないわさ。それにしても、勿体無いわね~、有り余る才能を無駄にしてるって思うわさ。怠慢、妥協、自己防衛本能。この強い感情が、自己の力や能力を押さえ込んでしまっているようね。ほんっとーに勿体無いわさ!」

 

 

 

両手を腰に、むん、と胸を張るビスケット・クルーガー。

 

 

 

燃えている。

 

 

 

その可憐な少女のような外見は、イルミが“変装してるんだね”と見ぬいた通り、仮の姿。

 

 

 

本物はシルバさんも真っ青な、ムキムキマッチョな54才!

 

 

 

――あれ、そう言えばシルバさんも54才じゃなかったっけ?

 

 

 

この二人、同い年なんだな。

 

 

 

なんか納得。

 

 

 

「“月のしずく”“人魚の涙”とも呼ばれているほどの美しい光沢に富む真珠は、もとは貝の体内に潜り込んだ異物……貝の分泌する消化、分解酵素にも負けず、いつしかその身の一部として受け入れられた、美しいバイオミネラル……!それゆえに、酸や乾燥、日光、外界のあらゆるものへの耐性が弱く、劣化しやすい。しかし!それも、人工的な加工を施せば半永久的な美しさを得ることができるわさ!!ミルキ!あんたは、まさにそれ!!」

 

 

 

ビッシイ!!

 

 

 

と、へたばる二人を指さすビスケさん。えー、とすかさずイルミと一緒に抗議した。

 

 

 

「ミルキくんが真珠ってことはないですよ!」

 

 

 

「右に同じ。異物っているのは合ってると思うけど」 

 

 

 

「二人してボロカス言いすぎだ、コフー!!」

 

 

 

「ま、なにはともあれ、才能ある原石に、長らく錆び付いていたアタシの師匠心に火がついたってわけだわさ。てことで、ポー。しばらくこいつをアタシに預けなさい。希望以上のアクアパールを入手してくれたお礼に、エステの施術と一緒に修行もつけてあげるわさ!」

 

 

 

「本当ですか!やったあ!!」

 

 

 

「余計なお世話だコフー!!ダイエットで水中作業すんのだけでもイヤイヤだってのに、この上、修行だなんてやってられっかコフぐほあっ!」

 

 

 

あ、イルミが見えない速度で殴りに行った。

 

 

 

痛そうだなあ。

 

 

 

「いいじゃない。どのみち、五日間でウエストサイズを三十センチ以上削らなきゃならないなんて、無茶なことを考えてるんだから。多少の無茶はどんどんしないとね」

 

 

 

「兄貴!」

 

 

 

「ミル。それとも、俺がビスケの代わりにシゴイてあげようか……?」

 

 

 

くりん、と、真顔で傾くイルミの首。

 

 

 

ミルキくんの顔が真っ青になる……血の気の引く音が、こっちにまで聞こえてくるようだ。

 

 

 

「そのへんの事情は、チーから聞いたわさ。そこで、提案。朝は毒珊瑚の植えつけ作業、昼ごはんを食べたら、アタシのところにいらっしゃい。昼間にみっちり修行して、夕方になったらマジカルエステで全身の体脂肪と疲労をじっくり解消して、夜には島に返してあげる。このコースで、今日をふくめて五日間!」

 

 

 

「聞いてるだけで痩せそうです!!これならいけるよ、ね、ミルキくん!痩せて強くなって一石二鳥!」

 

 

 

「聞いてるだけで死にそうだよコフ―!」

 

 

 

「骨は拾ってあげるよ。お前が痩せないとポーが父さんに殺されそうになるんだから、死ぬ気で頑張ってね」

 

 

 

「う……!」

 

 

 

ぽん、とミルキの肩を叩くイルミは真顔である。

 

 

 

フードの下で、チーちゃんはにんまりと口角を引き上げた。

 

 

 

「お目付け役はチーに任しときぃ。ポーちゃんとイルミっちはブラブラしてたらええよ。二人にとったら、せっかくのバカンスなんやろ?」

 

 

 

「そうだけど。いいの?」

 

 

 

「ええよ。チーはミルキの身体に興味があるねん」

 

 

 

フッフッフッ、と悪の科学者オーラ全開で笑うチーちゃんに、イルミはくりっと首を傾げた。

 

 

 

「ミルキの身体に興味があるなんて、変わってるね。まあいいや、そういうことなら、任せるよ」

 

 

 

「い、いいのかなあ……」

 

 

 

「ええねん。しっかり羽休めてきぃ。何かあったら、携帯に連絡するわ……あ、そうや。この島を歩くなら一個だけ気ぃつけーや。何があっても、一人で外を出歩いたらあかん。店の中はセーフなんやけど、シングルで外を出歩くと、あの衛兵どもがやって来て、しょっぴかれてしまうんやって。な、ビスケ」

 

 

 

「そうだわさ!久しぶりに店に戻ろうとして酷い目にあったわさ。反対に、二人でラブラブ、仲良くしてると色んな特典があるらしいけど。アタシには縁のない話だし、もう、島ごと吹き飛ばしてやろうかしらって考えてしまうわさー!」

 

 

 

ホーッホッホッホーッ!

 

 

 

「……」

 

 

 

「ま、あんたたち二人なら大丈夫わさ。仲良くデートでもしてくるといいわ」

 

 

 

「うん、そうするよ。ありがとう」

 

 

 

さらっと返して、イルミは私の手をとって、早々にその場を立ち去った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                      ***

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ビスケさん……目が笑ってなかったね」

 

 

 

「うん。この島まるごとふっとばす、か。もし、本気を出したら彼女には出来なくないかもしれないだろうけど」

 

 

 

「やっぱリ分かる!?ビスケさん、めっちゃくちゃ強いよね!?」

 

 

 

「うん。あれは親父並みだね」

 

 

 

メインストリートをのーんびり一望しながら、イルミが頷いた。

 

 

 

「でも、それは海月も一緒。正直に言うけど、驚いたよ。まさか、本当にあんな短時間で依頼品を見つけられるだなんて思ってもみなかった。“千里の水の眼(ウォーターマーク)”を使って念波で獲物の纏うオーラを見つけ出せても、見た目じゃどの貝がどんな真珠を内包してるかなんて分かんないじゃない。どうやったの?」

 

 

 

遠くに聞こえるような気がするミルキくんの絶叫は――澄んだ青空の彼方。

 

 

 

白い肌とシャツを南風に吹かれるままに、ゆったりとした歩調で歩きながらイルミが首を傾げた。

 

 

 

「イルミくん、私を誰だと思っているのですか!そんなの、念のバクテリアを貝の体内に侵入させて調べればすぐに分かるよ。それに、片方のパールが既にあるんだから、パールに残った貝の残存オーラを基準値にして調べれば、“千里の水の眼”で辺りを探った時点で、目標とする個体は数個に限定できるわけ。どう?海洋幻獣ハンターのこと、少しは見なおした?」

 

 

 

「うん。というか、最初からバカにもしてないけどね」

 

 

 

イルミの腕が伸びて、私の手を取る。

 

 

 

握り返すと、とたんに引き寄せられた。

 

 

 

「海月は凄いね。ハンター試験では目を離すたびに死んじゃうんじゃないかって心配してたけど、俺がいないところでどんどん成長してるんだね……」

 

 

 

「イ、イルミ……!」

 

 

 

恥ずかしいよ、と胸を押すけれど、筋肉質な腕はびくともしない。

 

 

 

「大丈夫、周りもカップルばっかりなんだから。ほら、あそこの二人なんか、町中なのにキスしてるよ」

 

 

 

「ええっ!?」

 

 

 

「これなら多少、大胆にイチャついても問題ないよね。うん、やっぱりいい島だね、ここ」

 

 

 

「――っ!」

 

 

 

くい、と上向かされると同時に、イルミの唇が降ってくる。

 

 

 

離れた途端に、

 

 

 

「来てよかったよ」

 

 

 

なんて。

 

 

 

そんな、幸せそうな顔をして笑うものだから……もう、浮かんだ文句もどこかに消えていってしまった。

 

 

 

「行こうか、海月。仕事も、家のことも全部忘れてデートしよう」

 

 

 

「――うん!」

 

 

 

ラブハリケーンアイランド、メインストリート。

 

 

 

ここは、中央広場を中心に、目抜き通りおよび、放射線状に伸びる無数の専門店通りで構成された街である。

 

 

 

ビスケさんの言っていた通り、どの通りにも“カップル利用でお得なサービス有り”の看板がずらりと立ち並んでいる!

 

 

 

お得なサービス、という言葉に揺らがない乙女心なんて……ない!!

 

 

 

「イルミ、イルミ!!手はじめにあそこのお店でジェラート食べよう!海で泳いだ後だから喉乾いちゃった。二人で一つのコーンで食べたら、シングルの値段でダブル頼んでもいいんだってー!」

 

 

 

「いいけど。カップリングサービスなんて、海月はこういうの好きなの?」

 

 

 

「好き!なんか楽しいし、得してる気分で美味しさ倍増しない?」

 

 

 

「ふーん。まあ、分かる気がするけど。じゃあ、ついでにこれもやってみようよ」

 

 

 

「これって?」

 

 

 

青やオレンジのカラフルなパラソルの下、フレッシュな南国フルーツを山盛りに盛り付けるのが売りらしいジェラート屋さん。

 

 

 

小さな黒板に、チョークで書かれたフレーバーメニュー……その一角に、デカデカと貼りつけられたポップが嫌でも目を引いた。

 

 

 

『アガペリオ・ラブ・バレンタイン新島長就任記念特別サービス!好きなあの子とジェラート☆キッス記念撮影でお好きなフレーバーをラブ盛り放題!!』

 

 

 

「……」

 

 

 

にこにこと、微笑ましそうにこちらを見つめる店主のおじさんが、早々とインスタントカメラを構えている。じりっ、と後ずさろうとした私の背中には、既にイルミが回り込んでいて肩に手があああ……!!

 

 

 

「ラブ盛り放題だって。いくつ食べようか?」

 

 

 

「そんなにいっぱい食べたらお腹壊すでしょ!二つでいいよ、二つで!!」

 

 

 

「腹痛なんて大丈夫。訓練してるから」

 

 

 

「そ、そんなのどんな訓れ――んっ!」

 

 

 

問答無用、と上向かされた私の顔に、イルミが覆いかぶさってくる。

 

 

 

サラリ、と冷たい髪が頬を滑り落ちる――パシャリ。軽いシャッター音が重なった。

 

 

 

は……恥ずかしいいいいいいいいいいいいいいいいっ!!

 

 

 

「イルミ!ちょっと、いくらなんでもキス写真はどうかと思うよ!?しかもこれ、取った写真は店先に貼りつけられるパターンでしょ!?」

 

 

 

「そうだけど。これだけあれば、俺達の一枚なんてどうってことないと思わない?」

 

 

 

つい、と指し示されたパラソルの裏側に、天を覆う無数のキス写真の山、また山。

 

 

 

しかも……中には結構ハードでディープなキッスもあるではないか。

 

 

 

「うわあ……」

 

 

 

「海月、写真できたってさ。ベストショットに選ばれたら、滞在中はいくつトッピングしてもタダだって」

 

 

 

店主さんから受けとったインスタント写真にいそいそと目を落とし、しかし、イルミはとたんにズウウン、と暗い影を背負った。

 

 

 

「ど、どうしたの……?」

 

 

 

「俺の髪の毛で、せっかくの海月とのキスがかくれてる……」

 

 

 

「いいよそれで!むしろありがたいよ!」

 

 

 

「ダメ。ベストショットになるまで撮り直して。今度は二枚取って、一枚は俺に頂戴。うん、じゃあ、もう一回ね」

 

 

 

「えええ!?」

 

 

 

店主さんも親指立てて笑顔で応じないで――!!

 

 

 

ああ、恨むぞアガペリオ・ラブ・バレンタイン新島長め。

 

 

 

こんなことならジェラート食べようなんて言わなきゃよかったああああ!

 

 

 

そんな後悔にさいなまれる私の視界に、再びイルミが近づいて、からかうように甘いキスをした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                     ***

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「楽勝だったね」

 

 

 

「そりゃあねぇ。口元にココナッツミルク味のジェラートくっつけたイルミが、髪の毛が落ちてこないように指で抑えながらキスしたら確実にとれるよ。ベストショット!」

 

 

 

てんこ盛りのジェラートを手に、無表情にごきげんなイルミはなんだか可愛らしい。

 

 

 

 

イルミとデート。

 

 

 

どこに行こう、何しよう、期待に胸を膨らませ、最初はどうなることか心配する気持ちもあったんだけど、そこはそれ、私達である。

 

 

 

イルミと二人、メインストリートを歩いて三分。気がつけば、看板を掲げるカップルサービスを片っ端から制覇していくことに燃えていた。

 

 

 

「イルミ!お姫様だっこしたまま十秒以上キスしていられたら、ボディーエステにフェイスパックもつくんだって!最長記録は5分12秒!塗り替えれば全コースタダ!」

 

 

 

「楽勝だね。それが終わったらヘアエステ行こうか。目隠しして、髪の毛の毛質だけでカップルを当てられたら、スペシャルトリートメントがサービスでつくよ。最短記録は57秒。塗り替えれば全部タダ」

 

 

 

「楽勝!イルミの髪の毛なら一秒以内に当てられるもんね!」

 

 

 

イチャイチャ、イチャイチャしたピンク色のノリに、最初のほうこそ倦厭していた私だったんだけど、各店ごとのサービスに記録があったりして、上位に入れば更にお得なサービスが――なんて、競争心を煽られるような真似をされるとですね。

 

 

 

天空闘技場の一件同様、他のカップル達に対する闘争心が沸き起こってしまうわけですよ!

 

 

 

負けられない!!私はともかく、イルミが負けるわけがない。イルミの足をひっぱってたまるもんかシャアコラー!!

 

 

 

みたいな、乙女心の燃えさかるままに、ジェラートショップを皮切りに、エステサロン、ヘアサロン、ボディーショップ、ネイルショップ、雑貨屋さん、それから気分転換にカジノでぱーっとフィーバーを決めた所で、ようやく満足して、手近な喫茶店に立ち寄った。

 

 

 

青いパラソルの綺麗なオープンカフェ。

 

 

 

「いやあ、まさか。“カップル同時にストレート・フラッシュ”が決められるとは思わなかったよ。念つかったからズルだよね?」

 

 

 

「うん。ディーラーにはものすごい目で睨まれてたけど、見破れなかったらズルにはならないよ。向こうの実力不足。ま、さらっと勝って引き上げたから、後をつけられることもなかったし、大丈夫だろ」

 

 

 

「難易度的には、一番高いのをクリアーしたよね。この島、やっぱり面白いねー。最初はどうかと思ってたけど」

 

 

 

「まあね」

 

 

 

冷えたレモンティーに、ガムシロップ三つを放り込んだイルミは、ストローを咥えたまま、あ、と言うように目を開いた。

 

 

 

「どうしたの?」

 

 

 

「しまった。ここのカフェ、ペアルックで来たらドリンクがサービスでついてきたのに。失敗した」

 

 

 

見れば、周りのカップルたちはペアばかりである。

 

 

 

本当だ。

 

 

 

「あとで買いに行く?イルミが恥ずかしくなかったらでいいけど」

 

 

 

「今更だよ。そう言えば、俺さ、実はずっと気になってたんだよね。あのドレス」

 

 

 

「どれ?」

 

 

 

あれ、と指で示されたのは、カフェの女性店員さんが着ている巻きドレスだった。

 

 

 

私の元いた世界では、パレオとかムームーとか、そういう巻布敷のドレスに近いんだけど。

 

 

 

見たことはあれど、着たことはなかったな。

 

 

 

「え!でも、あれでペアルックするの!?似合うだろうけどさすがに恥ずかしくない痛い!」

 

 

 

こん、と頭をノックをするようにすかさず突っ込まれ、

 

 

 

「おばかさん。俺はシャツでもいいの。同じ柄ならペアルックになるだろ?」

 

 

 

「あはは……そ、そっか。でもちょっと見たかったなー」

 

 

 

「ヒソカみたいなこと言わないでよ」

 

 

 

イルミは真顔でのたまって、残りのレモンティーを飲み干した。

 

 

 

ドレスショップは、偶然にもオープンカフェの真向かいにあった。

 

 

 

「え、アレってただの布だったんだ」

 

 

 

「そうなんだって。結んだり捻ったり、巻き方次第で何通りにもアレンジ出来るんだってさ!いざという時には風呂敷みたいにカバン代わりにも出来るし、便利だよねー」

 

 

 

イルミの要望を聞いた店員さんから、パレオ用の布を受け取って、さっそく合わせてみる。

 

 

 

水色の生地に、プリムラやハイビスカスの花が涼しげだ。

 

 

 

「浴衣みたいで可愛いね。ねえ、イルミ。これ、どう思う?」

 

 

 

「いいと思うけど。でも、ちょっといつもと違う色も着てみたら。――ほら、こんなのはどう?」

 

 

 

「あ、綺麗」

 

 

 

はい、と手渡されたのは真っ白なパレオだった。

 

 

 

でも、一部分にだけ赤紫の蘭の模様が染め抜かれていて、大人っぽい雰囲気。

 

 

 

「確かにこういう色の柄は着たことないかも……似合うかな?」

 

 

 

「と、思う。着てみてよ」

 

 

 

「う、うん」

 

 

 

大丈夫、と頷くその言葉を信じて、店員さんに頼んで試着室で着つけてもらうこと数分。

 

 

 

「おまたせ~、どうかな?」

 

 

 

カーテンの隙間から出てきた私をまじまじ見つめ、こっくりとイルミは頷いた。

 

 

 

「可愛い。それにしなよ。決定」

 

 

 

「うん!あ、イルミのもあるかな?おんなじ柄のアロハシャツ。アロハに短パンのイルミなんて新鮮だよね。着てみてよ!」

 

 

 

「いいけど。でも、パンツはひざ丈のクオータータイプがいいな」

 

 

 

「やったー!!」

 

 

 

イルミが交代で試着室に入って数分後。

 

 

 

私の目の前に現れたイルミは……イルミは!!

 

 

 

うおおおおおおおおおおおう!!!

 

 

 

思い馳せること10年以上前、アニメHUNTER×HUNTERのエンディングで、南の島をテーマにしたようなのがあったけど、あのときのイルミが今ここに!!!

 

 

 

きゃー!!

 

 

 

きゃあー!!!

 

 

 

イルミの生足いいいいいいっ!!!

 

 

 

エステ行きたて、イルミのスベスベツルツルなナマ足が――!!

 

 

 

「海月、鼻血」

 

 

 

「うわあ、ごめん!」

 

 

 

「ドレスが汚れたらどうするの。はい、ハンカチ」

 

 

 

「あ、ありがと……」

 

 

 

だって、だって……!!

 

 

 

白いアロハシャツにクオーター丈のカーゴパンツのイルミだなんて、これはもういろんな意味でたまりませんよ!!

 

 

 

ああー、南国最高!

 

 

 

来てよかったああああー!!

 

 

 

「ありがとうございました」

 

 

 

店員さんに見送られ、上からしたまで、すっかり南国スタイルに様変わりした私とイルミ。

 

 

 

再びメインストリートに戻ると、日は少し傾き始めていた。

 

 

 

「あれ、みんなどこに行くんだろ?」

 

 

 

オレンジ色の空気の中、さきほどまではてんでにバカンスを楽しんでいた恋人たちが、みんな同じ方向に歩いて行く。

 

 

 

「なにかあるのかな?」

 

 

 

「もう五時近い時間だし、きっと夕日でも見に行くんだろ。この先は岬になってるらしいから」

 

 

 

「夕日かあ~、いいねぇ。マーレ諸島の夕日って言ったら有名だもんね!」

 

 

 

「海月も見たい?」

 

 

 

「うん!見に行きたい。今日は天気がいいし、絶対綺麗に見えるよね!」

 

 

 

「……わかった」

 

 

 

いこっか、と手を引く。

 

 

 

あれ?今、イルミってばちょっとだけ悲しそうな顔しなかった?

 

 

 

「イルミ、疲れてるならいいよ? 今日は朝から色々あって大変だったんだし」

 

 

 

「え……大丈夫だよ。……ていうか、海月。もしかして俺、今変な顔してた?」

 

 

 

「変なっていうか、なんかちょっと元気無さそうだなって、思って……」

 

 

 

「……」

 

 

 

顔色を盗み見るように、僅かに目線をあげては伏せる私を、イルミは歩きながらじっと見下ろしてくる。

 

 

 

軽く指を包んでいた手が、ふいにしっかりと握りしめられ、同時に、意を決する様に彼は言った。

 

 

 

「俺、夕日は苦手なんだ。血だまりみたいで。子供の頃は特に嫌いだった――ほら、暗殺の仕事って、夜に出ることが多いだろ。、日暮れの時間が来ると、俺は暗殺者にならなきゃいけなかったからさ」

 

 

 

「……イルミ」

 

 

 

「赤い光が窓から差し込んで来るのを見るのが嫌で、いっつもカーテンを閉めきって、時間がすぎるのを待ってたよ。今、海月と一緒に使ってるあの部屋でね」

 

 

 

「……イルミ、戻ろう。見なくていいから、ごめん、そんな思い出があるなんて知らなかったから、私――」

 

 

 

「海月」

 

 

 

引きとめようと腕引いた。その、倍の力で引き寄せられる。

 

 

 

手から離れた手の平に、むき出しの肩を抱かれた。

 

 

 

イルミの足は止まらない。

 

 

 

夕日色に滲む通りの向こうを目指して、歩いて行く。

 

 

 

「だから、見に行きたいんだ。海月と。ハンター試験で、軍艦島のホテルでキスした時のこと、覚えてる?」

 

 

 

「う、うん」

 

 

 

「あのときも、丁度、夕暮れだった。でも嫌じゃなかったよ。それよりも、びっくりして真っ赤になった海月の顔の方が気になってさ。夕日のせいで、余計に赤く見えて可愛かった。そんな――そんなことばっかり、これから先も思い出していきたいから。だから、一緒に見に行きたい」

 

 

 

「……わかった」

 

 

 

行こう、と、肩に置かれた手の平を握り締める。

 

 

 

道は、いつの間にか舗装されたアスファルトから土肌の地面に移り変わっていた。

 

 

 

ゆるやかにカーブして、高台になった岬の先へと続いている。

 

 

 

その先は、オレンジ色に輝く海だ。

 

 

 

眩しい、とイルミは目を細め、その顔に、強い海風に髪が煽られて被さった。

 

 

 

私の白いパレオも、大きくひるがえる。

 

 

 

「そうだ。イルミ、夕日を見るなら、もっといい場所から見せてあげようか?」

 

 

 

「もっといい場所って?」

 

 

 

「上」

 

 

 

私はにっこり笑って、念の泡を発動した。

 

 

 

いつものように身体を包むのではなく、巨大な泡から触手を伸ばして、イルミや私の腕や胴体に巻きつける。

 

 

 

それはまるで、本物のくらげのよう。

 

 

 

かさの部分が、見る間に風をはらんだ。

 

 

 

「西の風、風力良好」

 

 

 

「ちょっと、待って、海月」

 

 

 

「イルミ、もっとしっかり私につかまって。離したら落っこちるからね」

 

 

 

「ちょ――」

 

 

 

ふわり、と身体が浮いた。

 

 

 

幸い、周りのカップル達は互いの姿と夕焼け空に夢中だ。

 

 

 

私達がこっそり宙に浮いていても、気づく人はいない。

 

 

 

パラシュート型の泡が、風でたっぷりと膨らんだのを見はからい、地面に吸い付いていた触手を回収した。

 

 

 

「テイクオフ!」

 

 

 

「海月――」

 

 

 

 

丸くなったイルミの目。

 

 

 

鏡のような彼の瞳に映る景色が、どんどん高度を増していく。

 

 

 

10メートルほどまで昇ったところで、上昇気流をつかむのを止めた。

 

 

 

「イルミ、見て!空から見下ろすと、沈む前の夕日は二つに見えるんだよ」

 

 

 

「……ほんとだ」

 

 

 

一つは本物の夕日。

 

 

 

もう一つは、海に映った夕日。

 

 

 

二つの太陽は時間をかけて近づき、交わって、ゆっくりと水平線に吸いこまれていった。

 

 

 

紅の残照が滲む空に、銀色の星が輝き始める。

 

 

 

ふいに、後ろから回されていたイルミの腕に力が込められた。

 

 

 

ありがとう、と、吐息のような声。

 

 

 

「綺麗でしょ」

 

 

 

「うん」

 

 

 

また見に来ようね、そう言って笑った私の唇に、イルミの唇が重なった。